9月にアメリカのナスダック市場に上場したイギリスの半導体設計会社アーム(写真:ロイター/アフロ)

予想を下回る売り上げ見通しに株価急落――。

2016年のソフトバンクによる巨額買収後、昨年AI向け半導体の騎手、NVIDA(エヌビディア)への売却が頓挫し、今年9月にアメリカのナスダック市場に上場したイギリスの半導体設計会社アーム。

上場後初となる2023年7月〜9月期の決算で収益は好調だったが、10〜12月期の売り上げ見通しが市場予測を下回り、株式市場には不安が漂った。背景にあるのはスマートフォン市場の停滞感だ。

それでもアームが半導体市場の成長企業の1つであることに変わりはない。2022年度の売上高は26.79億ドルしかない同社の時価総額は、今や20倍近い503.3億ドルに上っている。世界の半導体メーカートップ10の売り上げが各社1.5兆円をはるかに凌ぐ中、4000億円程度しかないアームがなぜこれほどまでにもてはやされるのか。そして、AI時代におけるアームの「勝ち方」を考える。

ソフトバンクに振り回されてきた

アームは、単なる半導体設計会社ではない。半導体集積回路(IC)の中の一部のCPUや、AIの開発に適しているGPU(画像処理装置)のIPコア(半導体の再利用可能な回路コンポーネントの設計情報)をライセンス販売する会社であり、顧客にはそれを利用する半導体メーカーが多い。

スマートフォンのモバイルプロセッサーを設計するクアルコムやアップル、グーグル、エヌビディアなどに加え、日本のスーパーコンピュータである「富岳」のCPUにも使われている。

半導体界における実力派のアームだが、これまでの動向を見ていると、孫正義氏率いるソフトバンクに買収されて以来、同社に振り回されているというよりほかない。今回、株式上場に踏み切ったのも、2022年初めに起きたエヌビディアとの統合失敗がきっかけとなった。

そもそも、アームのIPコアはどの半導体メーカーにも販売できるというオープンなビジネスモデルだ。ところが、エヌビディアという半導体メーカーにアームの組織が取り込まれてしまえば、ほかの半導体メーカーはアームから購入しにくくなる。購入する半導体メーカーの次世代チップの仕様が漏れてしまう恐れがあるからだ。

実際、クアルコムやメディアテックなど多くの半導体メーカーがエヌビディアの買収に反対していた。幸い、アメリカ司法当局の独占禁止法の恐れがあるという判断で、買収が許可されなかった。

ソフトバンクは自社が出資する他企業の損失を穴埋めする目的で時価総額の高いアームを売却しようと考え、同じく同社が出資するエヌビディアへの売却を模索したもののうまくいかず、ならばキャピタルゲインで、と上場したわけである。

中国事業をめぐって両社に「隙間風」

もっともそれ以前から、ソフトバンクとアームには隙間風が吹いていた。ソフトバンクがアームを買収した当時は、アームの経営陣は喜んでいた。それまで上場企業として、株主から短期的な利益の追求ばかり迫られていたからだ。孫氏は長期的な研究開発に理解を示し、短期的な利益は考える必要はないと述べ、アームのエンジニアたちも買収を歓迎していた。

ところが、2020年6月に中国のアームチャイナを巡って両社に亀裂が入る。イギリスのアーム本社が、アームチャイナCEOを利益相反の開示を怠るなどの不適切な行為をめぐって取締役会で解任を決議したが、これに対しアームチャイナはすべての業務は中国の法律に基づくものであり、通常通り業務を続けると反論した。

実は、ソフトバンクは2018年にアームチャイナの株式の51%を中国政府系ファンドなどに売却。アームの出資分は49%に減っており、実質的な経営権は中国側に移っており、アームはアームチャイナに対して経営上何も言えなくなっていたのである。

依然ソフトバンクが大株主であるものの、上場企業として再出発を果たしたアームはこれからどう成長していくのか。まずはこれまでの戦略を振り返って考えてみたい。

強みはアームならではの「設計思想」

アームのCPUコアの最大の特長は、低消費電力である。モバイル市場を狙っていたため、創業当初から性能はそこそこでかまわないから消費電力を徹底して下げよう、という設計思想であった。それでも基本は32ビットアーキテクチャーとした。

1990年代の初めに創業者のロビン・サクスビー卿が来日した際、筆者がアームIPコアの特長を尋ねても、高性能・低消費電力としか言わなかった。当時、日立製作所のSHマイコンとは何がどう違うのかを尋ねてもそれしか言わない。正直言って「胡散臭いイギリスのビジネスマン」という印象だった。

しかし、当初からモバイル機器の電池を長持ちさせるためアームのIPコアの低消費電力は歓迎され、ゲーム機や携帯電話に採用された。携帯電話がスマホに移行し、性能向上の必要性に迫られても、アームでは消費電力の低減は最優先で設計された。

その後は、低消費電力を維持しながら性能を追求。32ビットから高性能版は64ビットへと移行しながらも低消費電力化は続いている。

スマホに使われるモバイルプロセッサーのCPUコアには「Cortex-A」シリーズ、制御命令の多いマイコン向けには「Cortex-M」シリーズ、リアルタイム動作を狙った「Cortex-R」シリーズなどがある。さらに新しい高性能なコア「Cortex-X」としてシリーズも追加している。

アームはさらに、GPUコアも独自に開発、「Mali」という製品名で提供している。10年以上前から提供してきたが、最近は、よりリアルなビジュアル体験ができる高性能版「Immortalis」シリーズも追加。

さらにGPUの積和演算(2つの掛け算を次々に足していく計算で、AIで用いられるニューラルネットワークのモデルに合う)を強化してメモリーを集積したAIプロセッサーコアも開発するなど、幅広い用途に対応する製品を開発している。

スマホ以外の分野にも乗り出す

同社はIPコアを使って半導体ICを設計できるようにしているだけではない。そのICを使った、コンピュータなり、スマートフォンなりのシステム全体から見た技術も熟知している。

代表的例が、「bigLiTTLEアーキテクチャー」だ。これは性能を優先するCPUコア(コア1)と、消費電力を優先するCPUコア(コア2)を集積し、演算能力が欲しい場合はコア1を優先させ、演算が必要ない場合にはコア2を優先することを可能にする。この方法は、他のプロセッサーメーカーも採用しており、CPUの消費電力を下げる主要技術となりつつある。

セキュリティーについても強みを持つ。安全ではないデータ(ブラウザで閲覧している時など)はセキュアではない部屋に、安全なデータ(重要メールを送るときなど)はカギのかかる認証が必要な部屋にデータを保存する、という技術や、たとえデータが盗まれても読めないようにしておく暗号化処理、攻撃されたことを可視化する技術などを開発している。

「低消費電力」にこだわってきたアームはこれまでスマホ市場を席巻してきたが、これからはさらにコンピューティングや自動車市場で存在感を示していくだろう。PCといえば、インテルの牙城だが、ついにここへも切り込んでいくことになるわけだ。11月になり、クアルコムがアームのCPUを搭載した新型プロセッサー「Snapdragon X Elite」をパソコン向けにリリースした。

さらに今後は、AI機能を強化していくことが見込まれる。具体的には、AI専用のプロセッサーを強化していくことになるだろう。

一口にAIチップと言ってもその種類はさまざまだ。大量に学習しなければならないGPT-3やGPT-4などの生成AIには大量の積和演算回路とメモリーが必要となるのに対して、PCやスマホ、ウェアラブルデバイスなどで使う場合には消費電力の低い、ほど良い規模のAIチップが望ましい。

今後、AIがさらにさまざまなデバイスなどに活用されていく中で、高価なオールマイティーのチップではなく、ある特定の業務に適している専用のチップの需要が増えていくことは間違いない。そして、アームはそこへ商機を見出すだろう。それぞれの用途ごとに最適なサイズが必要なため、用途ごとにファミリー化していくことが見込まれる。

強力なライバルも台頭している

アーム最大の悩みの種は対抗馬として登場したオープンでフリーなCPUコアである「RISC-V(リスクファイブ)」であろう。

アームのCPUコアはライセンス料がかかる上に、量産することになればロイヤルティー料金も発生する。しかしRISC-Vは教育を目的として米カリフォルニア大学バークレー校のデビッド・パターソン教授、カーステ・アサノビッチ教授らのグループが開発した誰でも使えるオープンなCPUコアである。

もっともアームのCPUコアとは違い、命令数が47個しかなく、そのまま使うには性能・機能面で大きく劣る。このため自らアームのコア並みに機能を追加し実用に耐えうるように加工しなければならない。

こうした中、アームと競合できるCPUコアに完成させたサイファイブ社やアンデステクノロジー社などが誕生。これらのスタートアップもアームと同様、ライセンス料を求めるがアームほど高くなく、アームのライバルになりうる。

ただ、アームの強みはCPUに載せるミドルウエアやアプリケーションなどのソフトウエアのエコシステムだ。1000社からなるアームのエコシステムは極めて強力。RISC-Vのエコシステムはまだ数十社しか参加していないため、この点ではまだ弱いが、今後、特定用途向けのAIチップで競争が激化することは間違いない。


(津田 建二 : 国際技術ジャーナリスト)