宝塚歌劇団の会見が波紋を呼んでいる(写真:宝塚大劇場/fotoco)

宝塚歌劇団が14日、宙組の劇団員女性が9月に転落死した問題を受けて記者会見を行い、その内容が波紋を呼んでいます。

会見で理事長や制作部長らが語った「いじめ、パワハラは確認されなかった」「事実を判断することは困難」「指導内容は社会通念に照らして不当とは言えない」などの見解。さらに、再検証を求める遺族側の声に、12月から新理事長となる専務理事が「証拠となるものをお見せいただきたい」などと語ったことで、宝塚歌劇団に対する批判の声が高まっています。

ジャニーズ当事者の会の男性の事件も

また、同じ14日には、ジャニーズ性加害問題当事者の会に所属している40代男性が、大阪府の山中で遺書のようなメモを残して死亡していたことが報じられました。遺族が「誹謗中傷や事務所の対応によって、心労が一層深刻なものになった」などのコメントを発表したこともあって、こちらもネット上には批判的な声が飛び交っています。

どちらも、その心境は本人しかわからないものの、精神的に追い詰められていたのは間違いないでしょう。だからこそ第三者である私たちがすべきは、単にいじめ、ハラスメント、誹謗中傷を断罪するだけありません。

「本人たちはどのような心理状態だったのか」「現在は過去の事例よりどのように深刻化しているのか」などを知ろうとすることで、悲しい事態を繰り返さない社会にしていきたいところです。

これまで、いじめ、ハラスメント、誹謗中傷などの被害者や、その家族、友人などから相談を受け続けてきたコンサルタントとしての経験を踏まえて、私たちが理解しておきたいポイントをあげていきます。

まず、いじめ、ハラスメント、誹謗中傷の被害者は、主にどのような心理状態になのか。

私が接してきた相談者さんの中でも、特に被害の深刻な人々に共通していたのは、「最初は怒りがあるけど、徐々に何も考えられなくなってきて、感情が失われていく」という心理状態。いじめ、ハラスメント、誹謗中傷の被害を受けた相談者さんは口をそろえるように、「ついマイナスなことばかり考えてしまう」「『言われても仕方がない』と思うようになって、ただ終わるのを待つしかない」などと言っていました。

明るい人の「大丈夫」にリスクあり

しかも、「明るい人や元気な人は大丈夫」というわけではなく、むしろ危険なところもあるのが難しいところ。「これくらいならまだ大丈夫」「もっとつらい人はいると思う」などと頑張りすぎてしまい、ストレスフルな状態を継続・悪化してしまう人が少なくありません。

とりわけ、パブリックな立場にある人、実績十分の人、プライドの高い人、しっかり者キャラの人などは、「人知れず追い詰められていて、気づいたときには手遅れだった」というケースが考えられるため、「あの人は大丈夫」などと決めつけないほうがいいでしょう。芸能人だけでなく、ビジネスで成功している人が「実は誹謗中傷に苦しんで追い詰められていた」というケースがよくあるだけに、同僚やビジネスパートナーなどは要注意です。

基本的に人間の人生にはプラス面とマイナス面があり、個人差こそあれ、通常時は両面をフェアに見て感情のバランスを取ることができます。しかし、いじめ、ハラスメント、誹謗中傷を受けたときは、マイナス面だけが一気に膨れ上がり、プラス面に目が向かなくなるほか、周囲の人々を見る目などもゆがみやすいもの。

たとえば、笑顔で話しかけてきた人に「この笑顔は嘘。裏では自分のことをバカにして笑っている」、気づかいの言葉をかけた人に「優しいふりをしてマウントを取っているだけ。どうせ心配なんてしていない」などと、ゆがんだ解釈をしがちなところがあります。

だからこそ周囲の人々は、「一度きりでなく繰り返し声をかけてケアする」とともに、上から目線などと決めつけられないために「できるだけふだん通りの落ち着いたトーンで接する」ほうがいいでしょう。傷つきやすくなっている状態だけに、「元気出して!」「頑張って!」などと明るく直接的な声をかけることは、逆効果のリスクがあることを覚えておいてください。

さらに怖いのは、前述した「ついマイナスなことばかり考えてしまう」「『言われても仕方がない』と思って、ただ終わるのを待つしかない」という状態が常態化したとき。「こんな人生なら終わらせてもいいのかもしれない」「もし生まれ変われたら何になれるのかな」「これより下の人生はないだろう」などと感じる頻度が増えていきます。

最愛の人も絶対的な抑止力にならず

恐ろしいのは、本人にはあまり深刻な感覚がないのに、そのように考えてしまうこと。これは「いつどのタイミングで最悪のケースが起きてもおかしくない」という危険な心理状態であり、ワンランク上の注意が必要です。

実際、自死を選んだ家族の話をしてくれたある相談者さんは、「ずっと普通に生活していたので気づきませんでしたが、実は2年以上ハラスメントに悩まされていたようでした。気づいてやれなかったことが悔やまれます」「でも、こちらからしたら、突然のことすぎて気持ちの整理がつかないですし、本当に死のうと思っていたのかすらわかりません」などと話していました。

自死を選んだ人の中には、「『死にたい』という気持ちはあるけど、『本当に死ぬと決めたわけではない』という人が少なくない」と言われています。遺書を用意せず、翌日の準備もしていて、家族や友人などとの約束もあった。あるいは、最愛のパートナーや幼い子どもがいるのに自死を選んでしまった……。

必ずしも「何かのきっかけがあったから決意した」というわけではなく、これといったきっかけがなくても、その選択に至る危険性があるのでしょう。やはり「周囲の人々が日ごろから声をかけて、できるだけ本音を話してもらう機会を作り、少しでも心を軽くしておく」という日常的なコミュニケーション。さらに、「死にたい」という気持ちになったとき、「最後にこの人と話しておこうかな」と思える関係性を作っておくことが大切なのです。

加害者への報復より無力感や悟り

これまでさまざまな相談者さんと話してきましたが、このところ「いじめ、ハラスメント、誹謗中傷の問題で過去より深刻化している」と感じさせられるのは、加害者に対する感情の変化。

たとえば以前は、いじめの加害者に対して、「自分がいなくなることで罪や罰を与えたい」などと報復の手段として自死を選ぶ人も少なくありませんでした。

しかし、最近では「そんなことをする意味がない」「あいつらに何を言ってもムダだから」などと無力感を訴える人や、「カッコ悪いことはしたくない」「自分で死ぬことを選んだというだけ」などと悟ったような考え方の人がいるようです。もし遺書が残されていたとしても、「加害者への恨み言ではなく、家族や友人への感謝や愛情だけがつづられていた」というケースを何度か聞きました。

また、アプリのグループ、SNSのコミュニティ、あるいはネット上の不特定多数から、いじめ、ハラスメント、誹謗中傷を受けるケースが増えていることも、無力感や悟ったような考え方に至る一因と言っていいでしょう。

それ以前に、日ごろからネット上で人々の厳しい言葉や悪意を目の当たりにしているためなのか。個人からいじめを受けていたとしても、「どうせその他の人々も似たようなものだろう」などとあきらめてしまい、「この状況を何とか変えたい」「加害者にどうやめさせたらいいのか」などと思いづらくなっているところに現在の生きづらさが感じられます。

では、そんな生きづらさがある現在の世の中で、私たちは再び悲しい事態を引き起こさないために何ができるのか。最も大切なのは、日ごろの備えでしょう。

いじめ、ハラスメント、誹謗中傷は、「誰の身にもふりかかりうる」ことであり、「どの組織にも存在しうる」ことであり、それが「いつ深刻化して命にかかわる事態につながりかねない」という想定の社会にしていくこと。日ごろから互いに目配りできる人間関係や組織を作る一方で、第三者の相談窓口を悩みの種類や細部の内容ごとに設置し、各年代の聞き手を用意するくらいのきめ細かな対応が必要でしょう。

その際、覚えておかなければいけないのは、必ずしも「話していることがすべて」「外部の第三者なら安心して話せる」とは限らないこと。被害者にとって真実や本音を話すことの恐怖感は相当なものがあるだけに、「話してくれたことは、まだ一部のみかもしれない」「外部の人だから話すのが怖くなっているのではないか」などと決めつけずに対応したいところです。

さらに1つの方法として、「一時的に大半の人間関係や情報を遠ざける」という距離感を意識したアプローチも視野に入れておきたいところ。該当する人や物だけでなく、それらに少しでもつながりかねないものがあれば遠ざけてストレスレスの状態を作る。「マイナス面のみに狭まりがちな視野を広げてもらう」、あるいは「とりあえず最悪の事態を避けるため」などの意味で多少の効果が期待できるでしょう。

その際、被害者に伝えておきたいのは、いじめ、ハラスメント、誹謗中傷の加害者から「逃げる」のではなく、「『相手にしない』『ただ向き合わない』というだけ」というスタンスを伝えること。そう思うことができれば、「被害者の心が軽くなる一方、これまで相手を傷つけていた加害者の心が重くなっていく」という逆転現象につながっていきます。

人を傷つけると自己肯定感が下がる

いじめ、ハラスメント、誹謗中傷の問題は、どうしても被害者の目線から語られがちですが、程度の差こそあれ、実は加害者にとっても深刻な影響を及ぼしています。

いじめ、ハラスメント、誹謗中傷は、繰り返して誰かを傷つけるほど、心にネガティブな感情を蓄積させ、自己肯定感を自ら下げてしまう傾向がある行為。これらを繰り返すほど、徐々に相手を傷つけている感覚が薄れていきますが、それこそが危険な兆候です。

たとえば、「自分さえよければ相手がどうなってもいい」という利己的な言葉は「自分のことなんて誰も理解できないだろう」という孤独を感じさせ、「あなたはダメだ」という他者否定は「自分もダメなところがいっぱいある」という実感につながり、「お前なんて死ね」という暴言は「自分もいつ『死ね』と言われるかわからない」という怖さを感じさせるもの。これらの言動を他人に繰り返すほど、自らの心の中にネガティブな感情を募らせ、自己肯定感の低下を招くリスクが潜んでいます。

第三者から見て、立場や金銭的には成功を収めていたとしても、その人が本当に幸せかどうかは別問題。もし、いじめ、ハラスメント、誹謗中傷で他人を傷つけていたとしたら、間接的に自分を傷つけることにもつながり、第三者が思っているより幸せを実感していないというケースがあります。

事実、相談者さんの中に、「全員が敵に見えてしまう」「人間の醜さばかり目につく」「こんなしんどい世界に生きていくのはつらい」などと悩む経営者がいました。しかし、彼は長年、社員たちにハラスメントを行っていたほか、学生時代から“いじり”と称していじめのようなことを繰り返してきたことを「40代の今なお後悔している」と言っていたのです。

最後に少し話を変えると、13日に「第74回紅白歌合戦」(NHK総合)の出場者が発表されました。その中で注目が集まったのは、素顔を出さずに活動している3組が選ばれたこと。

素顔を隠す芸能人が増えている

Ado、MAN WITH A MISSION、すとぷりの3組で、「声と歌を純粋に聴いてもらうため」「ユニットのコンセプトで」「ミステリアスなキャラクター設定」など、それぞれ素顔を出さない理由があるのでしょう。

しかし、この3組に限らず近年は素顔を出さずに活動する芸能人が増えていて、その理由の1つに「自分と家族を守るため」をあげる声が目立ちます。かつて多かった「プライベートを大切にしたい」という意味合いより、「別人格にすることで自分に対する誹謗中傷を避け、心身を守る」という意味合いが強くなっているのでしょうか。

私たちは自分たちが生きやすい世の中にするためにも、「有名税」などと決めつけて好き勝手な言葉を浴びせるのではなく、芸能人たちが素顔で安心して活動できる世の中にしていきたいところです。

(木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者)