SNSの普及やコロナ禍によるレジャーの変化などから、史上何度目かのバイクブームが起きています。しかし、かつてバイク需要が華々しかった頃、それに急速にブレーキを駆けた活動がありました。「三ない運動」、いまどうなっているのでしょうか。

全国的に運動ではなくなっているが…

 コロナ禍の前後からの“バイクブーム”が続いています。2023年2月末に日本自動車工業会(自工会)が発表した結果によると、2022年における排気量251cc以上の二輪車の出荷台数が、前年比23.1%増の7万1606台となったそうです。6万台を超えたのは1998年以来24年ぶり。最近はコロナ禍による娯楽の変化のほか、SNSの普及による、映えの手段としても注目されています。


埼玉県で行われている高校生対象の自動二輪車等の交通安全講習(画像:埼玉県)。

 昨今のバイクブームまで、日本の二輪車需要はずっと下がり続けていました。その原因の一端を担っていたといわれているのが、今から約40年前に始まった「三ない運動」といわれています。

 バイクの販売台数は、1982年には328万台だったものが2018年には8分の1にまで減少してしまいました。この件に関し、当時ホンダの社長だった八郷隆弘氏は「この減少の大きな要因は、ピーク時の1982年に決議された『高校生の三ない運動』が大きく影響しています」とインタビューで明かしています。

 1980年代以降、全国的に盛んになったこの運動は、正式名称を「オートバイと自動車の三ない運動」というそうで、全国高等学校PTA連合会(全高P連)によって特別決議された、高校生に対して バイクの「免許を取らない」「乗らない」「買わない」の三原則からなっています。

 このような運動になった原因としては、バイクブームによる事故や暴走族の増加がありました。とはいっても当初からこの運動には否定的な動きもあり、各県によって締め付けの厳しさには温度差が存在したものの、当時バイクは不良の道具というイメージも強く、多くの高校で推進されることとなりました。

 なお、法律で認められている免許取得に制限を与える運動ということで、ホンダの創業者である本田宗一郎氏は自著で「教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、乗る際のルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか」と異を唱えていました。

一度は違憲判決が出たものの地域単位で運動は続けられた

 90年代に入ってからは、1991年に、東京地裁で「三ない運動は違憲」という判決が出たほか、教員の取り締まりから逃れるために、逃走中にバイク事故を起こす問題なども発生し、その厳しい運動の在り方への疑問などが出るようになました。そういった背景もあり、1997年には三ない運動は特別決議から、より拘束力の弱い宣言にトーンダウン、大規模な動きはなくなりましたが、学校単位の校則で禁止するなどの状況は続けられることになります。

 その後も三ない運動に関しては、「事なかれ主義の産物」「思考停止している」「大事なのは交通安全教育」といった批判が起きたものの、長らく維持され、2012年に全高P連が「マナーアップ運動」への転換を表明。一部の県では、この後も運動が続けられましたが、群馬県は2015年に、埼玉県は2018年に方針を転換し交通安全教育強化に改めました。しかし、京都府、広島県、岐阜県など、2023年現在も三ない運動に取り組んでいる県もあります。

 なお、2024年には電動キックボードが免許不要で16歳から乗れるようになる道路交通法の改正が予定されています。キックボードのせいで、「高校生の事故が増えるかもしれない」として、学校や地域で規制すべきという論が一部であるようで、三ない運動の失敗を繰り返してはいけないというネットの意見もあります。