新橋〜横浜間を50分で走破!明治維新後に誕生した日本最初の鉄道。その名も「陸蒸気」【その1】

写真拡大 (全5枚)

明治維新からわずか5年後。近代化の象徴である鉄道が、新橋・横浜間で開通しました。

人々から親しみを込めて「陸蒸気」と呼ばれた日本最初の鉄道です!現在の鉄道大国・日本の礎となった、「陸蒸気」にまつわる秘話をご紹介しましょう!

欧米列強に追いつくために必要だった鉄道

横浜の鉄道と船(写真:wikipedia)

明治維新を迎え、日本は欧米諸国に追いつくため、近代化に向けて大きく舵を切りました。

なかでも、新政府の2大スローガン・「富国強兵」「殖産興業」に不可欠だったのが鉄道事業です。発足してからすぐに鉄道設置の検討がなされ、1869(明治2)年に、新橋・横浜間の建設が決定しました。

明治政府は、そこから急ピッチで鉄道建設をすすめていきます。

明治政府に鉄道技術主任として雇用されたエドモンド・モレル

日本の鉄道の礎を築いたエドモンド・モレル(写真:wikipedia)

しかし、日本に技術的なノウハウがあるわけがなく、政府はイギリスの技術を導入。イギリス植民地で鉄道建設に携わったイギリス人技師エドモンド・モレルと、彼を中心とした技術者たちに鉄道建設を委任しました。

そして、ついに1872(明治5)年6月12日、日本初の鉄道が、品川・横浜間で仮営業を開始し、10月14日に、新橋・横浜間が開通したのです。

「陸蒸気」と呼ばれた日本最初の鉄道

鉄道開業時に用意されたイギリス製の1号機関車(写真:wikipedia)

政府は、1871(明治4)年、イギリスから150形式蒸気機関車(1号機関車)など、10両の蒸気機関車を輸入します。

人々は、鉄道のことを、海の蒸気船に対し、陸の蒸気ということで、「陸蒸気」と呼びました。しかし、当時の日本人にとって、西洋文化を受け入れるということは、不安と恐怖を伴うことでもあったのです。

特に、鉄道に関しては、従来の移動手段として人力車や馬車しか知らない日本人にとって、新橋・横浜間を約50分で結ぶというスピードは脅威以外の何ものでもありませんでした。

陸蒸気は「妖術のなせる技」!?

加悦1200形・2号機関車(撮影:TERUAKI.T)

新橋・横浜間の距離は、およそ29kmですので、「陸蒸気」の平均時速は約32kmということになります。これは、当時最も速かった乗り物である馬とほぼ同じですが、「陸蒸気」は、馬と異なり29kmの距離を休むことなく走ったのです。

そんな「陸蒸気」をみて、なかには、キリシタンの妖術のなせる技だと真剣に信じていた人もいたということです。また、開通当初は、鉄道への反対運動も盛んだったとのこと。

それは、「蒸気機関車から出る火の粉で火災が起こる」、「貨幣の元になる鉄でできたレールの上を走るとは、けしからん」など、今では笑いごとのような逸話が残っています。

【その2】に続きます……