加齢や老化の中身はさまざま

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「すべての道はローマに通ず」

これは、古代ローマ帝国の道路網がローマを中心としていたことから、「真理への道筋は一つではなく、どの経路を通るとしてもいずれ真理にたどり着く」という意味で使われる格言。隆盛と栄華を極めたローマ帝国だが、その繁栄は一朝一夕に築かれたものではない。
ローマは一日にして成らず。

さて、本題はローマならぬ老化。老化は、帝国のように能動的に築くものでも、あるいは本来「成る」という語で表現すべきものでもないが、一朝一夕に成るものではないという点では共通している。ここは敢えて文法を無視することにしよう。
老化は一日にして成らず。

老化は体のあらゆる部分でいつの間にか始まり、加齢とともにゆっくりと進行する。老化が始まる年齢や進み方は人によっても体の部位によってもまちまちだが、細胞レベルの話であれば、老化は誕生と同時に始まるとも言える。

五感、すなわち視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五つの感覚や、手足や指など運動機能に関わる部位の老化は自覚しやすい。また、シミ、シワ、たるみなど皮膚の老化や白髪・薄毛など、見た目に関わる部位の老化は本人だけでなく周囲の人も認識しやすい。他方、血管の老化(動脈硬化)のように、検査を受けるか関連疾患を誘発するまでは静かに老化が進行するケースもある。ひと口に加齢・老化と言っても、その中身はさまざまだ。

やや話がとぶが、この20年ほどの間に「アンチエイジング」という言葉は日本でもすっかり浸透し定着した。医療と美容を筆頭に食事、運動、睡眠など、生活や健康に関わるあらゆる分野で「アンチエイジング」が使われるようになった。それとともに、この言葉に対する反発も増えた。著名人が「アンチエイジング嫌い」を公言したことが報道され大きな話題になったこともある。長年アンチエイジング医療に取り組んできた身としては残念な思いもあるが、「アンチエイジング」の名のもと、外見上のアンバランスな若さへの執着を奨励するような風潮に対する反発が「アンチエイジング」という名称に対する反発に繋がったことは十分理解できる。

1990年代前半からアメリカで急速に広まったアンチエイジング医療は、大きくは内科的な領域と美容外科的な領域の2つに大別される。そして後者は一般的な美容の世界とも密接に関わる分野。美容外科を訪れる患者の大半は美容関連の商品やサービスの消費者でもある。このため、「アンチエイジング」は、その爆発的な普及の過程で、特に美容や外見に関わる語というイメージが強くなった。このような背景について興味のある読者は以下のコラムも一読してほしい。

「美容」のイメージが強くなってしまったアンチエイジング ――その歴史を振り返る(3)
http://www.agingstyle.com/2017/03/07001853.html

さて、古くは「アンチ巨人」や「アンチ阪神」、最近では作品名や商品名、あるいは芸能人の名前や会社・団体名など、ありとあらゆる名称の前に付けることで「反○○」を表すことができる「アンチ(anti)」という語。ただ、「反○○」だけでなく「抗○○」という意味もある。医療関連の例を挙げるなら、抗生物質(antibiotics)、抗がん(anticancer)、抗菌(antibacterial)、そして抗加齢(antiaging)。

「アンチエイジング」の場合、「アンチ付き」の方が外来語として先に広まるという珍しいケースだったが、最近では「エイジングケア」のように、「アンチ」が付かない「エイジング」という外来語も遅ればせながら普及した。エイジングビーフのように食肉などの熟成という意味でも「エイジング」が使われるようになったことが普及を加速したのかもしれない。いずれにしても、「エイジング」は「age+ing」で歳を重ねること。つまり加齢。その先に老化や熟成がある。繰り返しになるが、加齢や老化の中身はさまざま。

今回のコラムのタイトルは「すべての道は老化に通ず?」という駄洒落にしたが、アンチエイジングの場合、すべての道はどこに通じるのか。僕はやはりこう言いたい。

「すべての道はQOLに通ず」

QOL(クオリティ・オブ・ライフ)、言い換えるなら「生活・人生の質」の維持や向上への道筋は何通りもある。そして、これも繰り返しになるが、「老化は一日にして成らず」だ。歩みを進める途中で別の道を選び直す時間的な余裕もある。目的地をしっかり見据え、道を選び、歩み始めれば間違いなく目的地に近づき、やがてたどり着くことができるだろう。

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」