FC今治のオーナーになるまでは「おもしろいサッカーをして強ければ文句ないだろう」という考えだったが、現在は一変したという(撮影:今井康一)

「岡田さん、僕はね、スポーツから日本の社会を変えたいんです」

2016年に他界した、ラグビー元日本代表監督の平尾誠二氏と初めて会った時に受けた”衝撃”がすべての始まりとなっている。

2014年11月、岡田武史氏は当時四国地域リーグだったFC今治のオーナーとなった。これは、スポーツを通じて自立した人間を1人でも多く生み出したいという想いを実現するための、人生をかけた挑戦である。

2018年にロシアワールドカップ(W杯)を控えるサッカー日本代表。6回目の出場となるが、今から20年前、初のフランスワールドカップ出場を勝ち取った代表監督こそが岡田氏である。

「アジア第3代表決定戦のジョホールバル前日に、自分の遺伝子にスイッチが入らなかったら今のオレはない。あそこで完全に開き直って初めて自分の人生を自分で開けるようになってきた。それまでオレはそんな人間じゃなかった。強い人間じゃなかったし。ジョホールバルっていうのは、自分の人生を変えた経験だね」

あれから、20年。2度のワールドカップを経験し、中国のクラブチームでも指揮をとった岡田氏だからこそ、語れる日本サッカーの現在地と目指すべき方向性とは何か。

W杯で日本は十分勝ち抜ける可能性がある

ロシアW杯での日本代表の組み合わせが決まり、いよいよワールドカップモード突入となる。2010年の南アフリカワールドカップでは、戦前の下馬評を覆して、決勝トーナメント進出を決めた。当時の日本代表監督には、日本が入ったグループリーグH組をどう感じているのか。

「このグループの中で勝ち抜けるかっていったら、十分勝ち抜ける可能性あるグループに入ったと思っています。コロンビアは確かに強いけど、ブラジルのワールドカップのときよりは、どう見ても少し落ちてますよ。セネガルも悪いチームじゃないですけど、アフリカのチームっていうのは、ものすごく波がある。そして、ポーランドは攻撃が単調ですし、ゴリ押し的な感じがあるので、十分可能性あるんじゃないかな」

2010年の南アフリカ大会で日本代表は、初戦のカメルーン戦を1-0で勝利し、勢いづいた。初戦のコロンビア戦を取れれば、グループリーグを突破できると岡田氏は話す。

現在、サッカー日本代表に対しては、世論からポジティブな声はきこえない。特に先日行われたE-1サッカー選手権(旧東アジアカップ)決勝での韓国戦、1-4での敗戦は今後をより不安視させる内容となった。

「(招集されたJリーガー達の意気込みもあいまいで)東アジア選手権の位置づけ自体、監督もそこまで重要視していないような気がする。それは監督の責任でもあるし、選手だけの責任ではないと思う。やっぱり日本人の、ここ一番でのメンタルの弱さというのは、あるのかもしれない」


岡田武史(おかだ たけし)/1956年生まれ。大阪府出身。日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現在はFC今治の運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」代表取締役会長。1997年10月〜1998年7月、2007年12月〜2010年7月に2度サッカー日本代表監督で指揮を執った(撮影:今井康一)

日本人に足りないメンタルの違いを、解説者として現地(アラブ首長国連邦)に行ったクラブW杯3位決定戦(12月16日)で目のあたりにすることになる。

本田圭佑の所属する、北中米カリブ地域代表のパチューカが決めた1つのゴールだ。

17歳のロベルト・デ・ラ・ロサのゴールに感動を通り越してショックを受けたという。

日本だとまだ子ども扱いの年齢だが、デ・ラ・ロサはもう大人としての振る舞いやプレーをし、緊張感が高まる試合での心の持ち方までも兼ね備えていた。

「是非ああいう選手、自立した人間を一人でも多く生み出したい」

確実に今治が変わりだした

現在、岡田氏が新たな挑戦の舞台に選んだのが愛媛県今治市。FC今治で日本人が世界で勝つためのプレーモデル、「岡田メソッド」を構築している。その理念とは「守破離」の考えに基づいて一貫指導を行うことだ。

守:基本の「KATA」を知識として落とし込む。

破:「KATA」の目的達成の方法を自ら見つけ出す。

離:完全に解き放ち、本人の潜在意識の欲求に従い生き生きとプレーさせる。

まずはしっかりしたサッカーの型を16歳までに身につけて、それを破ることで驚くような発想が出てくる選手を育成するクラブ作りを目指している。

FC今治は2025年には「J1で常時優勝争いをするチームとなり、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)で優勝を目指す」「5人以上の日本代表選手を輩出する」という長期ビジョンを掲げた。2016年にFC今治にはグローバル事業部が新設されており、中国サッカー・スーパーリーグの杭州緑城と提携を結んだ。同年2月、Jリーグ理事会において「Jリーグ百年構想クラブ」として承認された。

2017年からはJFLと戦いの舞台を移し、リーグ戦は年間6位の成績。同年の9月に5000人収容の「ありがとう サービス. 夢スタジアム(R)」を建設し、J3ライセンスの交付も受けた。岡田武史体制のFC今治は、J3昇格に向けて着実に進化の階段を登っている。

「手ごたえとしてはもう確実に今治が変わりだした、動きだしたと。最初は『なんだ、岡田が来て何をするんだ』と、斜に構えていた方がほとんどだった。ところが、5000人のスタジアムを前に3年後にこんな夢みたいな光景が見られるとは思わなかったって泣いていた。最終戦が終わった時に、僕は出口で全員の人に”ありがとうございました”って挨拶したら、ほとんどの人が楽しかったよ、また来年も来るからって言ってくれた」

ここまでは岡田武史個人の信用(クレジット)でやってきた。

しかし、これからはそうはいかない。

来年の予算は約7億円、従業員数はコーチ、契約コーチなどを含むと50人規模になる。そうなると岡田氏の個人決裁では回らなくなる。今まではスタートアップで割り切って、深夜までスタッフ達と働いていた。会社として、機能するには労務管理もしていかなければいけない。そして、第2創業期を迎えたFC今治は、経営人材をビズリーチのサイトで公募している。

「うちは皆、安定した一流企業を辞めて、給料が下がるのに集まってきてくれた。心意気は持っているメンバーだけど、マネジメント経験がある人材がいない。だから、サッカー好きというよりは、優秀なマネジメントができて、創業期を経験しているような人材がどうしてもほしい。現在は執行役員会があって、その下にクラブ事業本部とフットボール事業本部があります。このクラブ事業本部長を兼務した執行役員を探しています」

サッカーだけにとどまらない事業構想

健康とスポーツがテーマの複合型施設をつくるという「複合型スマートスタジアム構想」や今治地域全体を巻き込んだサッカー選手の育成事業「今治モデル」など、スポーツビジネスの枠にとどまらない事業構想を掲げている。

「複合型スマートスタジアム構想」では、 国内トップクラスのトレーニング設備をはじめ、大学と連携した医療機関や宿泊施設などを整備することで、世界で戦える強いチームを育成するだけでなく、世界中からトップアスリートが集まる環境づくりを目指している。

このような一連の取り組みにより、今治を国内はもとより、世界中から人が集まるスポーツタウンへと育てる目論みだ。今治の自然を生かした研修・教育プログラムの実施や、中国と香港の提携チームへの指導者の派遣、アジア企業との提携の可能性などもあり、今後も新規事業を立ち上げていく。

1997年11月17日、ジョホールバルの決戦で日本代表を悲願のワールドカップに導いていなかったら語れなかった思いがそこにはあった。

この20年間、世界に羽ばたいた日本人サッカー選手を何人も指導してきた。そんな指導者だからこそ、語れるアスリートとビジネスマンが飛躍していく共通項がある。

「これだけ変化が速い世の中で、保守的な思考、行動では生き残っていけないと思う。常に勇気を持ってチャレンジして、失敗してもまた立ち上がっていくような人間。サッカーでも同じで現状に満足したら終わりなので、変化を怖れず、リスクを冒してチャレンジできることが、やっぱり大事だと思います」

”岡田さん、僕はね、スポーツから日本の社会を変えたいんです”

今は亡き、親友の平尾誠二氏から受けた覚悟のバトン。

岡田武史が今治という町に種をまき、水をやり続け、やがて生態系となって、受け継がれていくだろう。

(文中一部敬称略)