「何もできなかった」松坂、2度目の実戦登板はなぜ不調に終わったのか

 寒すぎて、酷すぎた。ソフトバンクの松坂大輔投手(34)の2度目の実戦登板のことだ。3月4日の阪神戦(甲子園)で初実戦の場を踏んだ右腕は同10日の巨人戦に登板。長崎・ビッグNスタジアムでのマウンド、それはあまりにアンラッキーだった。

 この日は全国的に大荒れの天気だった。急速に発達した低気圧の影響で強い冬型の気圧配置となり、真冬のような寒さが戻ってきた。平年では最高気温が15度近くとなる長崎も例外にあらず。この日の最高気温はわずか5度。試合開始30分前の13時の時点での気温はわずか2・7度しかなかった。試合開始直前まで雪が舞う寒さの中でのマウンドは、予想以上に厳しかった。

「思うようにいかなかった。どうしても体の心配、ケガしないようにという意識が強くなってしまった。今日は何もない。何もできなかった」

 こう振り返った松坂。初回、先頭の松本哲にいきなり四球を与えると、盗塁と内野ゴロ2つの間に、あっさりと先制点を奪われた。2回は1死から橋本の中前打と盗塁、寺内の左前適時打で失点。3回は失点こそ許さなかったが、2つの四球と盗塁で2死一、三塁のピンチを招いた。3回で64球を投げて3安打3四球2失点。制球は定まらず、この日の最速は最後の打者、村田に投じた143キロ止まりだった。

 平成の怪物の胸には恐怖心があった。

4イニングを予定も3回で降板、「どうしてもこの寒さは気になってしまう」

「故障を経験してなければ、何の不安もなく投げられたでしょうけど、どうしてもこの寒さは気になってしまう。どうしても怖さがある」

 2011年に右肘を故障し、靱帯再建術(トミー・ジョン手術)を受けている松坂。術前のレッドソックス時代には、寒さの厳しいボストンで投げていた経験があるとは言え、どうしてもケガをした右肘が気になった。

 そんな状態で100%の力が出せるはずもない。躍動感は出てこず、恐る恐るのフォームになった。腕は振れず、球も走らなかった。当初の予定は4イニングだったが、「あのまま長い回を投げても仕方ない」と投手コーチとの話し合いの末に判断。3回で降板した。

 シーズン開幕直後、春先の東北でも同様の気温になる可能性がある。これについても松坂は「春先に仙台で投げることがあれば、経験しておいて良かったとなるかもしれないですけど……。もう少し体が出来てから、こういう気候で投げるのと、体を作っていく段階で投げるのとでは違いはある」と言った。

女房役も「寒すぎて参考にならない」

「なぜ、気候に左右されないヤフオクドームではなく、長崎で投げたのか?」という声も上がりそうだが、それは結果論でしかない。ここまでの登板スケジュールは2月の宮崎キャンプ終盤に首脳陣の間で話し合われ、決まっていた。

 ローテにはシーズンを見据えた上での順番がある。それは松坂に限らず、ほかの投手もしかり。松坂の登板日をズラせば、ほかの投手にも影響が出る。

 日程を決めた段階では、3月も半ばに差し掛かる長崎開催がこれほどの天候になると誰が予想できただろう。あくまでこの日の登板は順番通り。あまりに不運だったとしか言いようがない。

 松坂の球を受けた女房役の鶴岡は「寒すぎて参考にならないですよ」と何度も繰り返した。確かに内容は悪かったが、それだけで松坂に「失格の烙印」を押すのはあまりにも酷だ。3度目のマウンドは17日のロッテ戦(ヤフオクD)。次こそが松坂の今の状態を知る物差しになるに違いない。