広島復帰の黒田博樹が抱く「反骨心」と「勝負への異常なまでの覚悟」

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昨年も終わりに迎えようとしていた頃、ニューヨークヤンキースに在籍していた黒田博樹投手が広島カープに復帰するというビックニュースが飛び込んできた。

黒田博樹はどういった人物なのだろうか?

自身が執筆した「決めて断つ」(著:黒田博樹/ベストセラーズ)を読むと、「反骨心」と「勝負への異常なまでの覚悟」が彼を形づける重要な要素となっているようだ。

【反骨心】
世界でも有数の名門チームであるヤンキースで活躍した黒田が反骨心を持っているといわれてもピンとこないだろう。しかし、彼は高校・大学・プロと挫折を経験し、それを「反骨心」によって乗り越えてきたのだ。

中学時代、それなりに結果を出していた黒田は、名門である上宮高校を志願して無事入部する。ちなみに当時の上宮高校というと、現タレントである元木大介氏が(今となっては信じがたいかもしれないが)甲子園で大活躍してアイドルだった時代だ。
だが、上宮高校に入部した黒田を待ち構えていたのは初めての挫折経験だった。プロ野球選手というと、高校時代はエースまたは4番でチームのなかでは中心だったということは珍しくない。だがそんななか、黒田は3年間控え投手に甘んじて、チームのエース投手が消耗しないために重要でない練習試合で投げさせられる程度だった。

それでも腐らずに投げ続けた黒田は、専修大学から誘いがあり、大学でも野球を続けた。そこで黒田はだんだんと頭角を現すことになるのだが、結果を残せるようになった要因のひとつは、常に抱いていた反骨心だ。
まず入部した当初は、自分が経験していない甲子園に出場したチームメイトに対して抱く。そして実力を付け、チームでも有数の投手になった後は、他大学の有力選手(例えば現ロッテの井口資仁や現巨人の井端弘和)対して反骨心は向けられた。

このように常に飽き足らない姿勢をもち、野球選手としての力を大きく向上させた黒田はプロ入りを果たす。プロ入りから数年後には、日本でもトップレベルの投手へと成長した。だがそんな状況でも彼は、反骨心を抱き続けていた。

それを象徴するエピソードがある。2004年のアテネオリンピック代表に、前年13勝という好成績を残した黒田は選出された。普通であれば、選ばれただけでも快挙のように感じてしまうが、黒田は挫折を味わうことになる。
選出されたメンバーには松坂大輔や上原浩治といった各球団のエースが揃っていたため、黒田は先発投手ではなく中継ぎに甘んじる。さらには、黒田を含めた広島カープの選手は、巨人や阪神の選手と比べると扱いが低いと感じたのだ(黒田自身、本書では巨人などを「中央球界」と表現している。黒田はカープ女子などの言葉が生まれ、広島カープが注目を集めている現状をどう思っているのか気になるところだ)。

【勝負への異常なまでの覚悟 】
また、黒田は勝負に対して時に異常なまでの覚悟を見せる。マウンドでは「打たれる」ことに対してかなりの恐怖心を抱き、大炎上したある日の晩には、1試合打たれただけなのに本当に死のうかと思ったらしい。

そんな彼はマウンドとは戦場であり、その試合で選手生命が終わってもよいという考えを持っている。黒田が自らの近くに打球が飛んできた時、とっさに利き手である右手を出してしまうのは(もちろん打球に利き手を出すことは怪我の恐れもあり、本来はすべきではないが)そんな覚悟の表れだ。また、選手としてダメだと感じた時にすぐに辞められるように1試合ごとの契約でも良いとも語っている。

ついもっと楽に臨んでも良いのではないかと考えてしまうのだが、黒田いわく自分で結果を残してきたスタイルを続けたほうが成功する確率が高いからという理由でそのままにしているらしい。

反骨心を持ち、勝負に対して異常なまでの覚悟を見せる黒田は、まさに日本の「サムライ」と呼ぶに相応しい人物であろう。そんな彼は、今年から日本へと戻り古巣である広島カープでプレーする。日本と海外で培ったことを日本の若い選手へと継承し、第二の黒田が生まれることを期待したい。
(さのゆう)