エルナンデスは周囲とまったく噛み合わず、この交代をきっかけにむしろ攻撃が硬直したメキシコは、65分に追加点を奪われ敗れ去った。アギーレはこの不可解な采配について、いまだ説明責任を果たしていない。
 
 10年の南アフリカW杯でも、アギーレは小さくない議論を呼んでいる。
 
 国内ナンバーワンの呼び声が高かったギジェルモ・オチョアではなく、日韓大会でレギュラーだったベテランのオスカル・ペレスを守護神に据えた判断は、周囲の意見に左右されず、みずからの考えを貫き通すいかにもアギーレらしい振る舞いだったが、それ以上に物議を醸したのが、パレンシアと同じようにハビエル・エルナンデスを軽視したことだ。
 
 国内リーグでゴールを量産し、大会前にマンチェスター・ユナイテッド移籍が決まっていたチチャリート(エルナンデスの愛称)は、エル・トリの救世主としてファンの間で待望論が沸騰していた。にもかかわらずアギーレは、選手としてとっくにピークを過ぎ、コンディションも万全ではなかったアルゼンチン生まれのギジェルモ・フランコをFWのスタメンとして起用しつづけたのだ。
 
 批判が吹き荒れたもうひとつの選考が、アドルフォ・バウティスタの招集だった。代表レベルにすら達していないというこのアタッカーを、それでもアギーレはW杯メンバーに加えたうえに、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦でトップ下のスタメンに抜擢したのだ。
 
 案の定と言うべきか、アギーレの期待も空しく、バウティスタはほとんどなにもできないままハーフタイムでベンチに下げられた。前半のメキシコは、まるで1人少ない状態で戦っているようだった。それほど、指揮官の「隠し玉」は酷い出来だった。1-3で敗れたアギーレは、またしても汚点を残して代表を去る結果となったのである。
 良く言えば信念の人、悪く言えば頑迷固陋、それがアギーレという監督だ。みずからの考えを押し通そうとするあまり、周りが見えなくなるきらいがあり、メキシコ代表監督としては、二度の機会ともその頑迷さで墓穴を掘っている。
 
 そうした根本的な部分は、いまも変わっていない。日本代表監督としても、良い意味でも悪い意味でも、外野の声に惑わされず、みずからのサッカー哲学に沿った選手を選び、ピッチに立たせるはずだ。例えば、代表を離れて久しいベテランのサプライズ招集などがあるかもしれない。
 
 もっとも、頑固なアギーレもメキシコ代表での経験から教訓は得ているだろう。過去の過ちを糧に、日本代表での挑戦がうまくいくよう、同じメキシコ人としてアギーレの幸運を祈っている。
 
文:アルマンド・ネリア
翻訳:下村正幸