オー・マイ・ユーロ!
決勝がスペイン対イタリアという組み合わせになるとは、オシムさん、恐るべし(笑)
「ナンバー」での予言通りになってしまいましたね。(千田)

決勝を前にして、オシムさんはクロアチアの「ユータルニリスト」にインタビュー。
この中で、イタリアのプランデッリ監督が「スペクタクルな方法でドイツの墓掘人に
なった」と評価。5試合で2勝しただけで決勝に進出し、「負けないこと」をモットー
にした、じつにイタリアらしいやり方で決勝トーナメントを「イタリア色に染めた」。
いまや全世界のサッカー関係者がプランデッリの前では帽子を脱いであいさつする。

一方、ドイツのレーブ監督については、過信という病に感染したか、教条的(硬直的)
で、最初の戦術が失敗した場合に備える「プランB」を用意することなくのぞんだが、
ドイツ不敗というドグマは打ち破られた。

サッカー監督を職業にするものの多数派は、大きなプレッシャーのもとで生活しており、
他人からは口先だけの人間だと思われないように、知恵と知識があると思われるように、
チームの基礎に責任感と規律を置き、ミスをできるだけ少なくするような意識を持たせ
ようと願っている。ところが、あのようなバロテッリがあらわれて、2ゴールも得点す
ることになるのだとしたら、オー・マイ・ゴッド! いったい何が可能だというのだろう。
バロテッリは新しいパオロ・ロッシだ。

しかしながら、だれも最初の6分間について話さないのはどうしたことか。その時間、
ドイツ人はイタリア人を追い詰め、ネズミの穴に押し込めた。あのブッフォンまでが
人生最大のミスの一つをおかし(失点するところだった)。ピルロが(ペナルティエ
リア内で)ハンドの反則を犯したことをだれも話さないのはどうしたことか。あれは
明らかにPKに値し、得点が(ドイツ側に)入っていたら、試合の流れはまったく変わっ
ていたことだろう。

まあ、しかし、ドイツ人は抗議しなかった。その時点ですでに試合が壊れ、結果が決
まっていたかのようだった。テレビの解説者たちさえ、文句を言わずに見逃したのだ
から。

試合の最初のドイツの嵐が過ぎ去った後で、プランデッリは避難場所からこっそりと
表に出てくることができた。代表監督としてのプランデッリ? まずかれがイタリア
代表監督に選ばれたことそのものが、オレにとっては意外だった。あのような保守的な
イタリアのサッカー界が、当時はまだビッグネームとは言えなかった人物を選ぶとは
信じられなかった。

しかし、かれを指名した人々は、プランデッリの経歴についてもっとも細かなディテ
イルまで知り抜いていた。

プランデッリは世界最強リーグの一つであるセリエから、経験のある選手たちを集め、
チームに落ち着きを与えた。ベンチの中でのいさかいや争いごとを禁じたのだが、そ
れはほかの監督たちがよくやるような「力ずくで」、役に立つなら筋肉だけでなく、
腕時計や靴やらを見せながら「パフォーマンス」を繰り広げることはしなかった。

プランデッリはやり方を変えた。監督になったとたんにプレースタイルを変えた。イ
タリア人たちは今では、ビューティフルでアトラクティブなプレーをするようになっ
た。代表チームには若い選手たちもくわえ、新しいヒーローまで誕生させた。

かれと対照的に、ドイツのヨアヒム・レーブは南アフリカで築き上げた名声とコンセ
プトが、イタリアに一度敗れただけで揺らいでいる。

ドイツ代表には今や、ゲルマン人だけではなくアフリカ人、トルコ人、ボスニア人ら
のフレッシュな血がくわえられ、ドイツサッカーのその動脈の中を流れている。しか