しドイツのコメンテーターの中には早くも「ドイツ的でない名前」を持つ4人の妖精
(ゴメス、エジル、ケディラ、ボアテング)がドイツ国歌を歌っていなかったという
批判が出始めている。

問題は、ドイツ人が自分たちのカリスマ性に頼りすぎたことか。ドイツ人は死んでも
また生き返ることができると、数十年にもわたって信じられてきた。失敗は、木曜日
の試合でもそれを信じたが、うまくいかなかったことだ。もちろん、ドイツ人はこれ
までフェニックスの役を演じて成功したことが何度もあるし、試合時間があと5分長
かったら、何が起きていたか。

しかし、生きるか死ぬかのギャンブルは、イタリア人を相手にしたときにはうまくは
行かないのだ。それだけじゃない。ドイツ人のおかしたミスは、かつてのドイツなら
考えられないものだった。

ドイツは守備には定評があったが、いまではシュバインシュタイガーが守備がへたく
そだと非難され、本人が反論しなければならない。それに、かつてのドイツならば、
自分のゴール前からだれかにヘディングでシュートを決められるなどということは、
想像もできなかった。それを決めたのが、例のバロテッリだったのだが。

プランデッリの優れたところは、知性ある戦術家であるとともに、ベンチに秩序を
もたらしたことだ。選手たちの必要以上のテンションを下げるのに成功したことだ。
それは、エースを交代させてベンチに下げるときでもテンションは変わらない。バロ
テッリを交代させたときでも、だれも監督の「あら探し」をしなかっただろう。

いまやイタリア人監督は世界中に広がっている。まるでかつてのオランダ人たちの
ようだ。マンチーニはイングランドのチャンピオンだし、ディマッテオはチャンピオン
ズリーグの勝利者だ。プランデッリはユーロのファイナリストになった。ただし、
プランデッリには、最後の決戦が残されている。しかも相手は歴戦のデルボスケ。

あえて予想をするならば、少しだけスペイン人にアドバンテージがある。なぜなら
スペイン人たちの方がイタリア人よりも「サッカーらしい」サッカーをするからだ。
退屈でも、ボールポゼッションの経験を積んでいるかれらは、ショートパスのマス
ターたちだ。観客たちが気に入らなくても、デルボスケはクレバーだから、観客の
反応でゲームのテンポを変えるようなことはしない。

イタリア人たちは今回、サッカーの保守主義を放棄した。しかし、スペイン人たちに
とっては、そのようなスタイルがオリジナルなもので、その点ではイタリア人たちに
引けを取りたくないだろう。というわけで、予想はスペインの勝利。しかし、イタリ
アという経験豊富なものたちが、スペインというスーパーマイスターを相手にどの
ように食い下がるかは、予想の範囲を超えているかもしれない。