「子を怒ってばかりの母親」5つの特徴と、結末

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■「母親の怒声がBGM」の家庭が多い

「そっ啄同時」(そったくどうじ:「そつ」は口へんに「卒」)という言葉がある。

禅における四文字熟語だ。悟りを開こうとしている弟子に、師匠がうまく教示を与えて悟りの境地に導くことを指す表現で「そっ啄」は何かをするのに絶妙なタイミングを指す表現なんだそうだ(日本語表現辞典 Weblio辞書より)。

「そつ」はヒナが内側から卵の殻をつつくこと。

「たく」は親鳥が卵の外側からつつくことを言い表していて、親子のタイミングが合わさってはじめてヒナが生まれてくることを表していると聞いた。

ヒナは自分のくちばしで殻を少しずつつつき、親鳥はヒナのペースに合わせて外側から殻をつついてやって生まれてくる。

親鳥が焦って、先に殻をつついてしまっては殻を破ってしまうのでヒナは上手く生まれない、このように親は「先走り」をしないように注意して子どもを育てないといけないという忠告で使われることが多い言葉である。

これが、わかっていてもなかなかに難しいのが子育てであるが、子育てで重要な「先走りをしない」=「待つ」ということを的確に言い当てている言葉であると思う。

▼母は、24時間体制で怒りがちな生き物

子育てがいまいち上手くいかないと嘆く母には共通点がある。

ひとつは、この「待つ」という作業が大の苦手で「待つ」ということに耐えかねて、それを「怒り」という行動にすり替えてしまう母である。

今回はこの「すぐに怒ってしまう母」にスポットを当てたい。

私は「子育て=怒る」ということだと実感はしている。親や大人から怒られない子どもはかえって不幸であると思う。しかしである、物には限度があるのだ。

「怒る」という行為は「(自分と自分以外のものの)命にかかわること」と「社会通念上、許されないこと」で発揮できればもう万々歳なのである。

しかし、往々にして母たちは我を見失い、24時間体制で子どもを怒り続けるということをしがちな生き物でもあるのだ。

これがまずい。母の怒声がBGMになるので、肝心かなめ、ここ一番のときに効果を発揮しないからだ。

「子どもを本来、怒る必要もないことで怒ってしまう母」の共通点を挙げてみたい。

■夫への不平不満の矛先は、我が子

1. 夫とうまくいっていない

夫婦というものは協力して子育てに当たるということが必要であるが、うまくいっていない夫婦にはこれが難しい課題になる。

妻は孤独に陥りながらも、産んだ責任上、誰よりも子育てをがんばろうとするのであるが、がんばろうとする気持ちの中に「夫への不平不満」が渦巻いてしまう。そのストレスを「怒り」という行為で発散させようとするのであるが、往々にして怒りの矛先が「我が子」に向かうのである。

子どもは背景を敏感に感じ取っているため、母が本当に必要なときに必要なことを自分のためを思って怒っているのか、それとも単なるストレスのはけ口にしているのかくらいは簡単に見破るのである。

これを続けると子どもは両親を尊敬しないどころか、完全に見限る。

2. 高学歴の夫を持つ

夫が高学歴、あるいは親戚一同が高学歴、しかも自分自身(妻)に学歴コンプレックスがあるような場合は要注意である。

その家庭、或いは親戚縁者の中では大学と言えば「○○大学」を指し、ひどい場合には中学校と言えば「○○中学」しかこの世には存在しないという環境にあるケースも非常に多い。

妻自身がその学校に行くという「価値観」をこころから納得していれば問題ないのであるが、プレッシャーが先に立ってしまい、盲目的に「その学校」を目指さなければならないと自らに課したときに落とし穴が待っている。

我が子を見ずに「○○学校」を一心に見ている状態だからだ。自分の意地のために何が何でもと思う焦りが我が子への怒りに繋がりがちだ。学校は我が子に合わせるべきであり、我が子を学校に合わせようとする日常にするならば破たんは早い。

3. ママカーストの犠牲者

ママ社会は「カースト制」で出来ているのであるが、その「カースト」を敏感に嗅ぎ取り、その世界に順応しようとがんばる母は注意が必要である。

狭い世界で自分の家庭の格付けを勝手にくだし「上だ」「下だ」と比べることが、我が子への「怒り」に変わりがちなのだ。

子どもの教育は「見栄」のためにやることでも、誰かに褒められるためにやることでも、ましてや誰かの誹り(そしり)を免れるためにやることではないということを肝に銘じるべきである。

■断捨離下手は「子どものせい」

4. 老母からの呪縛

母は子どもを心配する生き物でもあるが、これが哀しいことに「心配という名のコントロール」になりがちなのだ。我が子を心配しているという気持ちよりも「母の理想像から勝手にドンドン離れないで」という恐怖であることが多い。

これは自身が老母からこのメッセージを受け続けている人に起こりがちだ。

「私の思うとおりに生きてほしい」というシグナルを受け続けて大きくなった娘はその呪縛に縛られて身動きできない。

特に老母(姑も含む)の理想が高ければ高いほど、その「心配という名のコントロール」は孫にも及ぶ。「お母さん(老母)に褒めてもらいたい」という思いが無意識でも我が子を老母の理想に沿わせようとして「怒り」でコントロールしようとするのである。

5. 片付けが出来ない

家の中に物があふれ、常に「探し物」で時を費やす母は要注意だ。

「整理整頓」が出来ていない家庭はその主であるその家の主婦の「頭が整理整頓されていない」ことを指す。

頭の中が整理整頓されていないと、次に優先してやるべきことへのアクションができない。

すべてが「やっつけ仕事」になるので、自分の理想像から大きく外れることになり、その乖離がストレスを生む。自身が「片づけ下手」という問題が何故かすり替わって、混沌とした状態を招いているのは「我が子のせい」になりがちなのだ。

そういう母こそ、一念発起して「断捨離」を実行すると、変わるのは部屋だけではない。

いつのまにか、あんなに聞こえていた怒鳴り声が響かなくなっていることに気が付くだろう。

以上、大まかに5ポイント挙げてみたが、これらの共通点は「怒り」が母の「ストレス発散」であるということだ。

■怒られ続けた子は「こころが委縮」

先に述べたが、子育ては必要なときに、必要なことを行うことが肝要で、もちろん「怒る」ということも大切なことである。しかし、それは本当に我が子がこれから先、生きて行く上で重要であるから「怒る」ことであり、ゆめゆめ、母のイライラをぶつけるために行うことではない。それは百害あって一利なしなのだ。

このように「ストレスという名の怒りのオーラ」を浴び続けた子はこころが委縮する。

まずは「安全確保」に走らざるを得ないので、その場を一刻も早く逃れることしか考えなくなるのである。

要するに「嘘で身を固める」「響かない振りをする」「親や社会への恨みを募らせる」「問題から逃げまくる」「反抗がエスカレートする」「考えることを拒否する」というような行為に出やすい。

つまり「防御」か「反撃」しか道がなくなるのである。

自身がゆっくりと安心して考える機会と空間を奪われる環境では伸びるものも伸びない。

こういう「怒る妻」を持った夫は是非、妻をこれまで以上に支えてあげてほしい。

「叱責」や「呆れ顔」ではなく、「やさしさ」で、24時間体制で怒らざるを得ないほどに追い詰められている妻のこころを溶かしてあげてほしい。

それが我が子に好循環をもたらすことになるばかりか、ひいてはあなたにとっても、居心地の良い家庭になること請け合いなのだ。

(鳥居りんこ=文)