田中将大が知っておくべき「メジャー流のリード」
【吉井理人の投究論 第8回】
メジャーリーグへの移籍を表明していたマー君(田中将大)の所属先が、ニューヨーク・ヤンキースに決まりました。7年契約で、総額1億5500万ドル(約161億2000万円)。メジャーで何年も続けて2ケタ勝利を挙げているエース級のような契約内容です。これは、アメリカのスカウトがマー君の能力を最大限に評価しているという事実を意味します。
入団1年目から活躍する可能性は、めちゃめちゃ高いと思いますよ。なぜならヤンキースという球団は、マー君にとっていいことずくめだからです。
僕もメッツ時代にニューヨークでプレイしましたが、ドジャースやダイヤモンドバックスが本拠を構える西海岸より、ニューヨークのある東海岸のほうが、適度に湿度があって投げやすい。アメリカ全土をひと通り遠征していけばわかると思いますが、西海岸では気候がカラッとしているから、ボールが滑るし、打球が飛ぶ。もちろん好みは人それぞれですが、僕は東海岸のほうが投げやすかったです。
試合数は日本の144から162に増えますが、マー君は先発ピッチャーとして自分の調整をさせてもらえるから、まったく問題ありません。移動は距離だけを見ると長くなりますが、メジャーでは試合が終わったその日に、必ず移動します。試合後は、球場から選手専用バスに乗れば、そのままチャーター機の後ろに付けてくれる。
日本では公共交通機関を使って移動するので、新幹線のホームや空港で待ち時間があるし、周りの目を気にしてシャキっとする必要があります。一方メジャーでは、チームだけのプライベート空間で移動できる。加えて移動ゲーム(移動した当日に試合をすること)がほとんどないことを考えても、日本よりアメリカのほうが、移動は肉体的にも精神的にも楽だと思います。
環境的なことで言うと、「ニューヨークのメディアは厳しい」と言われます。調子の悪いとき、野球以外のことを書かれるのは事実です。
現地メディアへの対応で気をつけるべき点は、どんなに厳しい質問をされても、しっかり答えること。アメリカの記者は、「なぜ、あの場面で変化球を投げたのか?」とか、日本人記者がしないような質問を平気でしてきます(苦笑)。
でも、嫌な質問にも、しっかり答えなければいけません。なぜなら大リーグでは、「自分のプレイについて話すまでが、選手の仕事」と言われているからです。日本のプロ野球ではミスをした選手が記者から逃げるケースがありますが、アメリカでそういうことをすると、逆にたたかれる。しかし真摯に対応していれば、そんなに酷い扱いをされることはないと思います。
プレイ面については、アメリカに行くからといって、何も変える必要はありません。マー君は現在、誰もが認める日本球界最高のピッチャー。いまの自分の投球がアメリカで通用するか、試したいと考えているはずです。仮にやられたら、それから考えればいいだけの話。メジャーでは、マー君のようにフォーシームを投げるピッチャーが少ないので、バッターが見慣れていないのはプラス材料です。特にマー君はスプリットがあるので、その分、フォーシームも効いてくると思います。
ひとつだけ気にとめておいてほしいのは、アメリカでは、ピッチャーが配球をきちんと考えなければいけないということ。日本のキャッチャーはいろいろ考えてリードしてくれますが、メジャーでのキャッチャーの位置づけは"補助役"です。もちろん真剣に考えている選手もいますが、放っておくと、適当なリードになってしまう場合がある。アメリカでは「何でもシンプルにしよう」という傾向があるので、バッターの苦手なコースや球種で攻めるのではなく、ピッチャーの得意なボールを中心とした配球になりがちなのです。
例えば、"精密機械"と言われたグレッグ・マダックスの右バッターに対する配球は、70%が外角へのシンカー。あとは何球目にチェンジアップを投げるか、組み立てが違うくらいです。左バッターなら逆に、内角のカッターでファールを打たせて、バックドア(外角のボールゾーンからストライクゾーンに変化させる球)でしとめる。そうしたピッチャーの特徴をキャッチャーがわかっているから、サインに首を振ることがほとんどないし、投球間の時間もかかりません。
メジャー1年目のダルビッシュ有がサインに首を振る機会が多かったのは、自分の得意な球を選択するというより、バッターの嫌がる作戦を考えてマウンドに立つタイプだからなんです。アメリカのキャッチャーは日本人投手のそうした攻め方に慣れていないので、ダルビッシュの投げたいボールとサインが違っていたのです。でも、昨シーズンのダルビッシュはメジャー流のリードに慣れていき、首を振る回数が少なくなりました。
ピッチャーにとって、自分で配球を考えることは間違いなくプラス。僕はヤクルト時代、古田敦也とバッテリーを組ませてもらい、楽をしていた部分がありました。配球はすべて古田に任せて、「自分は変なプレッシャーを受けずに、シンプルに投げるだけ」という感じでした。
それがメジャーに行き、自分で配球を考えなければいけなくなった。初めは慣れることが必要でしたが、次第に楽しくなっていきました。自分で配球を考えると、集中力が高まり、特に変化球のコントロールがよくなります。そうして、ピッチャーとして成長できました。その代わりに日本球界に復帰後、キャッチャーとケンカするようになりましたけどね(笑)。
今の日本のピッチャーは配球をキャッチャーに任せることが多く、「なぜ、そのコースに投げなければいけないのか」という意図をわかっていない選手が多くいます。「どこに投げる」のかではなく、「何を投げるか」の意識が高くなっている。楽天の星野仙一監督も、「最近はキャッチャー任せにして、何も考えていないヤツが多いから困る」と話していました。まあ、マー君は自分で考えて投げていると思うので、あとはとにかく、違う野球文化の中で育ったキャッチャーと呼吸を合わせていくことだけ意識してくれればと思います。
僕自身の経験からも言えることですが、日本人投手はアメリカで投げていくうちに、ピッチングスタイルに幅が出てきます。ダルビッシュもメジャー移籍直後は日本で見ていたダルビッシュの投球スタイルでしたが、昨シーズンは大リーガーのダルビッシュっぽくなってきました。投球スタイルもそうだし、ベンチでの振る舞いもそう。黒田博樹は100%、メジャーリーガーになっています。
今のマー君は本当に、日本風のピッチャー。マー君はマー君であってほしいけど、当然、変わっていく部分もあると思います。メジャーのしきたりや環境に馴染んでいくうちに、どういう変化をしていくのでしょうか。
また、あのスプリットを、果たしてメジャーのバッターが打てるかどうかも興味のあるところです。アメリカの好打者は概(おおむ)ね、低めの選球眼がいいのですが、マー君のスプリットを見極められるバッターはいるのでしょうか。おそらく、いないと思います。
メジャー移籍を表明してからいろいろ想像していましたが、所属球団が決まり、アメリカで活躍する姿を鮮明に描けるようになりました。マー君がヤンキースタジアムのマウンドに立つ姿を、今から楽しみにしています。
吉井理人●解説 analysis by Yoshii Masato