【闘病】続く微熱とだるさの正体は『急性骨髄性白血病』… 白血球は通常の10倍だった

急性骨髄性白血病は、血液のがんの一種で、がん化した細胞が骨髄の中で急速に増え、正常な血液が作られにくくなる病気です。その結果、正常な血液が作られにくくなり、貧血や感染、出血しやすくなることがあります。松野さんは2023年5月、続く微熱と強い倦怠(けんたい)感をきっかけに受診し、53歳でこの病気と診断されました。さらに、予後不良とされる「FLT3」遺伝子変異のあるタイプと判明し、絶望に直面します。つらい治療を乗り越え、職場へ復帰した松野さんに発覚から診断、現在に至るまでの経緯を聞きました。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2026年6月取材。

体験者プロフィール:
松野隆二さん

1970年1月生まれ、北海道旭川市在住。診断時はサービス業の会社員として勤務。2023年5月に急性骨髄性白血病と診断される。抗がん剤治療と子どもをドナーとする造血幹細胞移植を経て、2024年1月に退院。2024年8月に職場へ復帰した。

突然の告知と予後不良の宣告。支えとなった家族への思い

発症前の松野さん(大阪にて)

編集部

体に異変を感じたのはいつごろでしたか?

松野さん

始まりは2023年5月6日でした。37.7℃ほどの微熱が続き、8~9日にかけては今までに感じたことのない倦怠感に襲われました。胸が苦しく、ため息ばかりが出るようになり、その苦しさは日に日に増していったんです。
月に1回、糖尿病で通院しているクリニックを受診したのが5月19日の金曜日でした。その場では異常が見当たらず一旦帰宅しましたが、翌週の月曜午前にクリニックから「検査結果について話があるからすぐ来るように」と電話がありました。
駆け付けると「白血球が通常の10倍になっている。紹介状を書くので、このまま市立病院の血液内科へ向かってください。おそらく即入院になります」と告げられました。妻は仕事中で連絡がつかなかったため、子どもに「入院になるかもしれない」と妻へ伝えるよう頼み、そのまま病院へ向かいました。

編集部

診断を告げられたときの心境を教えてください。

松野さん

白血病なんてドラマの中の話だと思っていたので、頭が真っ白になりました。市立病院に到着するとすぐに17本分の採血と骨髄穿刺(こつずいせんし/骨に針を刺して骨髄液を採取する検査)が行われ、「急性白血病」と告知されたんです。
真っ先に「子どもに遺伝はしないですか?」と医師へ質問しました。「原因は不明ですが、遺伝はしません」と言われ、少し安心したことを覚えています。

編集部

治療はどのように進んでいったのでしょうか?

松野さん

告知の翌日には腕にカテーテル(薬剤を投与するための細い管)が挿入され、抗がん剤治療が始まりました。
初回の治療後、家族同席で今後の治療方針について話があった際、私の病型は急性骨髄性白血病の中でも予後不良とされる「FLT3」という遺伝子に変異のあるタイプだと説明され、家族全員で泣いたことを思い出します。死刑宣告を受けたようなショックでしたが、「自分のため、家族のために克服して退院するんだ」と自分に言い聞かせ、無菌室(感染を防ぐために空気を清浄に保った病室)での生活を耐え抜きました。
このタイプは造血幹細胞移植が必要とのことで、当初は骨髄バンクでドナーを探していましたが、私の白血球の型が特殊で1人も見つからず、最終的に子どもをドナーとするハプロ移植(白血球の型が半分だけ一致する血縁者をドナーとする移植方法)を受けることになりました。
抗がん剤治療は1クールごとに一時退院を挟みながら計4クールに及び、2023年11月28日に移植を受け、2024年1月12日に完全退院できました。

編集部

闘病を続ける中で、心の支えになったものは何でしたか?

松野さん

「家族と普通の生活をしたい」という思いですね。それだけが支えでした。入院中は家族と離れ、無菌室で孤独を感じることも多かったです。

壮絶な副作用と高額な治療費。痛感した「備え」の重要性

一時退院前に受けた点滴の様子

編集部

抗がん剤治療では、どのような副作用がありましたか?

松野さん

私の場合、よく聞く「ひどい吐き気」はありませんでした。ただ、味覚障害で食べ物をおいしく感じられなくなり、食事が摂れなくなったことで20kg痩せてしまいました。ほかにも、発熱やおなかを下す症状がありました(※)。

※副作用の表れ方には個人差があります

編集部

退院後、経済的な面での苦労はありましたか?

松野さん

退院後も再発を抑えるために、分子標的薬(がん細胞が持つ特定の分子を狙って攻撃する薬)を2年間服用していました。1錠2万円以上する薬を毎朝2錠飲む必要があり、経済的にはかなりきつかったですね。体調が万全ではなくても、働かなければ薬代が払えないという現実がありました。
改めて、がん保険や入院保険などの備えは不可欠だと痛感しています。私の場合は、日額1万円の入院保険に入っていたおかげで大変助かりました。入院中は給料が止まってしまいますが、傷病手当金(病気やけがで働けない間、健康保険から支給される手当)や会社の福利厚生、そして保険金があったことで、医療費や家族の生活費を何とか賄(まかな)うことができたんです。

一歩ずつ取り戻す日常。医療の進歩を信じて伝えたいこと

退院後も経過観察を続けている

編集部

もし発症前の自分に何か伝えられるとしたら、どんな言葉をかけますか?

松野さん

昔の私は、仕事や自分のことばかり考えていたように思います。だからこそ「周りの人への感謝を忘れず、家族を大事にして、子どもと一緒にたくさん遊んであげて」と伝えたいですね。

編集部

現在の体調や生活の様子を教えてください。

松野さん

2024年8月1日から職場に復帰できています。とはいえ、体調面ではまだケアが必要です。移植によってリセットされた免疫を戻すため、ワクチンの打ち直しを行っています。この接種は保険適用外のため費用がかかります。
また、免疫低下の影響で帯状疱疹(たいじょうほうしん)にも見舞われました。1カ月ほどは激しい痛みが続き大変でしたが、今は治療の効果もあり、だいぶ楽になっています。

編集部

医療従事者に伝えたいことはありますか?

松野さん

弱気になっている患者さんに勇気を与えてくれる医療従事者には、本当に感謝しかありません。

編集部

最後に、読者へのメッセージをお願いします。

松野さん

医療は年々進歩しており、かつては不治の病と言われた白血病も、現在は長期生存や治癒を目指せる病気になったといわれています。これからも新しい治療法や薬が開発され、長期生存率が上がっていくことを期待しています。
皆さん一人ひとりが持つ生きる力を、どうか信じてください。

編集後記

白血病の告知を「死刑宣告のよう」と受け止めた松野さんを支えたのは、「家族と普通の生活をしたい」という思いでした。退院後も高額な薬代やワクチンの打ち直しなど、治療との付き合いは続きます。
松野さんが実体験から語る経済的な備えの大切さは、誰にとってもひとごとではありません。

本稿には特定の医薬品、医療機器についての記述がありますが、情報提供のみを目的としたものであり、医療上の助言や販売促進などを目的とするものではありません。

なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

記事監修医師:
今村 英利(いずみホームケアクリニック)
※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。