「神との関係」で文明は変わる。アレクサンドロスがもたらした新時代、神々の融合が始まった!

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マケドニアの王、アレクサンドロスの征服活動によって、ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレニズム時代。しかし、この時代に刷新されたのは、都市文化や学芸ばかりではなかった。各地の神々が融合し、新しい信仰と宗教が生まれたことこそが重要なのだという。「地中海世界の歴史〈全8巻〉」の最新刊、第4巻『辺境の王朝と英雄』(本村凌二著、講談社選書メチエ)から見ていこう。

「神と人間の関係史」からみたヘレニズム

古代ローマ史研究者の本村凌二氏(東京大学名誉教授)が、メソポタミアからローマ帝国までの4000年を一人で書き下ろす「地中海世界の歴史」。さまざまな観点から長大な文明史を描く全8巻のシリーズだが、「神と人間の関係史」ともいうべき視点が、ひとつの重要なモチーフになっている。神に対する人間の認識の変化が、その時々の文明の変貌に大きく関係しているのでは――というのが、本村氏の見立てだ。

シリーズ第1巻の『神々のささやく世界』では、そのタイトル通り、古代人には神々の声が幻覚や錯覚ではなく、現実として感知されていたのではないか、という。メソポタミアでもエジプトでも、神々の存在はまず、「声」として感じ取れるものだった。

しかし、第2巻『沈黙する神々の帝国』で語られるように、紀元前1000年前後の数百年間に、その声は人々に届かなくなってしまう。このころ進行したアルファベットと貨幣の発明、ヘブライ人の唯一神への信仰、そしてアッシリアやペルシアなど大帝国の登場は、「神々の沈黙」と何らかの関係があるのだろうか――。

古代ギリシアが舞台となる第3巻『白熱する人間たちの都市』では、それまでのようにただ神々を怖れていた人々とは違うタイプの人間が現れる。叙事詩『オデュッセイア』に登場するオデュッセウスは、自分の思いを実現するために知力を尽くし、神をも怖れない。

〈オデュッセウスはきわめて新しいタイプの人間であり、彼らこそ世界史上まれなポリスを形成する牽引力になったことを想像したくなる。〉(『白熱する人間たちの都市』p.54)

そして、第4巻『辺境の王朝と英雄』で描かれる「ヘレニズム時代」にはまた、「神々と人間」をめぐって新たな展開があるのだ。

紀元前4世紀の終盤、マケドニアのギリシア制圧からアレクサンドロスの大帝国を経て、紀元前30年にエジプトのプトレマイオス朝が滅亡するまでの約300年をヘレニズム時代という。

ヘレニズム時代には、ギリシア語を共通語としてオリエントにギリシア文化が広がり、オリエント文明とギリシア文明が融合して新たな文明「ヘレニズム文明」が誕生した。

〈コイネー(共通語)の普及は、その後の世界の宗教・思想に大きな影響をおよぼした。たとえば、学問の都アレクサンドリアでは旧約聖書がギリシア語に翻訳され、それが多くの人々の目にふれることになり、後世のキリスト教の成立にもかかわっていたのである。このように、ヘレニズム期以降の数世紀間は、人々の宗教生活、つまり信仰の在り方にも大きな変容が目につく時代であった。〉(『辺境の王朝と英雄』p.220)

宗教に関して特に重要なのが、「シンクレティズム」と呼ばれる現象だ。

シンクレティズムとは、外来の神と土着の神が習合して宗教が融合することで、人間集団が触れ合うところでは、いつでも起こりうる。しかし、ヘレニズム期のシンクレティズムはひときわ規模が大きかっただけではなく、驚くほどの創造力をもっていたという。

20世紀の著名な宗教史家、ミルチャ・エリアーデは、ヘレニズム時代を未曽有のシンクレティズムの時代であり、農耕の開始、産業革命に匹敵する歴史の変動期であると指摘しているほどなのだ。

ディオニュソス、ミトラ神、イシス女神

この時代にはたとえば、ギリシアのディオニュソス神(バッカス神)が地中海世界の各地で信奉されていった。

ブドウの栽培が盛んな地中海の沿岸では、その蔦にからまれた酒神ディオニュソスはどこにでも姿をみせる。ギリシアのオリュンポス12神に数えられる神が、はなはだしく変容し多様な姿で現れるのである。もともとバルカン半島北部からギリシアに入ってきたこの神は、どんな環境にも適応し、土着の神々と結びつき溶けあってしまうのだった。

〈西アジアやエジプトの神々の祭儀や秘儀がギリシア風に味つけされながら推し進められ、それらの信奉者たちの結社ティアソスがつくりだされていた。これらの結社ティアソスと競合しながら、ディオニュソス崇拝者は増殖しつづけるのである。オリュンポスの神々のなかでも、変幻自在の酒神ディオニュソスこそが、神々の混乱と融合の時代にもっともふさわしいものであったのだろう。〉(『辺境の王朝と英雄』p.231)

東方からも密儀宗教が地中海沿岸地域に進出している。アーリア人の間では古くから崇められていたミトラ神である。大いなる救いの手をさしのべる神であり、仏教では弥勒菩薩として習合している宗教界の「大物」だ。

ミトラ神は、ヘレニズム世界ではまず小アジアに登場する。小アジア沿岸のキリキアに出没する海賊はミトラの「密儀をひそかに行っていた」(プルタルコス『英雄伝』)という。前1世紀、ローマの武将ポンペイウスがこの地を征服すると、ミトラ密儀はさらに西方に広がっていくのである。

ミトラに関する神話では、牡牛を屠(ほふ)り、その脂肪と髄からつくられた飲料は人間を不死にすると語られていた。この密儀宗教は地中海世界を席巻し、後のローマ帝政期には、スコットランドからイベリア半島まで広まり、その力強い独創性で人々を魅了したという。

また、エジプトの神話に登場するオシリス神の妻、イシス女神への信仰も、各地に広がった。ギリシアの豊穣の女神デメテルや、愛と美の女神アフロディテなどとも重ね合わされ、あらゆる女神への期待を一身に集約する神格として崇められるようになる。

そして本村氏によれば、これらのシンクレティズムによって姿を現した宗教には、「救済の約束」という共通項があるという。逃れがたい運命を克服し、来世での救済の約束にあずかろうとする人々の願いがみとめられるというのだ。

〈このようにして、さまざまな来世信仰をもつ救済の密儀が地中海世界の各地で迎えられていた。人々は都市や国家から孤立していくのを感じながら、個人としての認識にめざめつつあったのであろうか。共同体としての安泰よりも、個人としての救済を求める兆候がみえてくるようでもある。もとより問題はそれほど単純ではない。しかし、歴史の幹道から離れないようにして、信仰を中核に古代人の心性をながめるのであれば、まことに大きな変貌の時代として理解されるだろう。〉(同書p.244)

人類最初のグローバリズムといわれる新たな時代に、「個人としての救済」を求め始めた人々――。この後、地中海世界の片隅に生まれた一神教=キリスト教はローマ帝国の国教となり、またしても「神と人間の関係」が文明を大きく転換させることになる。

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