のれんが汚れてれば繁盛店の理由…鎌倉時代から変化・発展を遂げてきた「暖簾」の歴史

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飲食店の店先や、部屋と部屋の境目にかけられることの多い「暖簾(のれん)」。日本らしい物のひとつだと思いますが、みなさんはそんな「のれん」の歴史を知っていますか?

いつ、どこで生まれ、どのように発展してきたのでしょうか。

この記事では、のれんの歴史に迫り、知っておくとちょっと自慢できるかもしれないのれんに関するトリビアもご紹介します。

のれんの発祥は?

のれんは、禅宗とともに中国から日本にもたらされたと言われています。時期は鎌倉時代末期ごろ。禅宗の用語で「暖かい簾(すだれ)」という意味がありました。

禅寺で簾(涼簾)に布をがけたものを「ノウレン」や「ナンレン」と呼ばれていたものが転訛して「のれん」という言葉になりました。

室町時代にはメディアの役割も

室町時代になると、さまざまな商家が家紋などを入れたのれんを使うようになりました。どんな屋号なのか、どんな業種なのかを示すものとして、メディア的な役割を果たすようになっていきます。

なお、この当時は識字率も高くなかったため、人々に伝わりやすいよう、文字ではなく動物・植物・道具・天文・地理などの記号が一般的でした。

江戸時代には文字入りのものも増える

安土桃山時代の末期ごろから文字入りののれんも登場。江戸時代になり、一般の人々の識字率もあがると、文字入りののれんの数も増えていきました。

もともと日よけなどの実用的な目的のために使われていたのれんですが、室町時代〜江戸時代にかけて、宣伝・広告媒体としての意味合いも強まっていきました。

のれんに関するトリビア

江戸時代、庶民の多くがファストフードのように楽しんで食べていたのが「寿司」でした。

歌川広重 画

そんなお寿司屋さんは、なんと「のれんが汚れている方が繁盛している」と言われたのだとか。

「え、のれんが汚いなんて、逆にお客さんが遠のいてしまうんじゃないの?」と思う方も多いかもしれません。しかし、おしぼりのなかった江戸時代、お客さんはまずガリで手を綺麗にし、水分をつけて寿司を手で食べていました。

また、醤油用の小皿もなかったため、お寿司にはハケで塗られた醤油がついていました。そのため、寿司を食べると醤油が手に少しついてしまうため、食後はのれんで手を軽く拭いて出ていきました。

「のれんが汚れている=繁盛しているお店」という理解だったのです。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。