語彙力は必要ない!「推し」の素晴らしさを語るとき「やばい」から脱却する方法

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大好きな存在について語るとき、「やばい!」しか出てこない……という経験はありませんか? 魅力を伝えたいのに“自分には語彙力がないからダメなんだ”と落ち込んだことがある方も多いのではないでしょうか。

「好きを言語化するために必要なのは、語彙力でも観察力でも分析力でもありません」

そう語るのは書評家の三宅香帆さん。

三宅さんは、書評家として日々“本”という名の「推し」の魅力について文章を書き続けています。また、プライベートではアイドルと宝塚をこよなく愛する大のオタク。そんな三宅さんの最新書籍『「好き」を言語化する技術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、書評家として長年培ってきた文章技術を「推し語り」に役立つようにまとめあげた1冊です。

本書から、好きなものや推しの素晴らしさを「やばい!」以外で語る技術について抜粋し、お伝えします。前編では、“好き”を言語化するうえで語彙力より大事な「妄想力」について。

三宅香帆 プロフィール

文芸評論家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。著作に『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』『人生を狂わす名著50』など多数。2024年4月に発売した『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は新書としては異例の、16万部を超えるベストセラーとなっている。

読解力ではなく妄想力が必要!

「推しについてなにか書きたい! 」と決意したところで、そんなにぽんぽんとネタがでてこない、書くことが思いつかない。そんな悩みをよく聞きます。

本や漫画について書こうとしても「読解力がないから感想が書けないんだ」と考えてしまう。あるいは、好きなアイドルについて書きたくても「観察力がないからネタが思いつかない」と嘆いてしまう。好きなものや人の魅力について言語化したいのに、その魅力を紐解くための読解力や観察力がない。そんなふうに感じている方は多いでしょう。

でも、感想を書くうえで大切なのは、読解力でも観察力でもありません。

なにが必要かといえば「妄想力」なのです。

「妄想力」とはなにか? それは、自分の考えを膨らませる能力のことです。

たとえば、推しの俳優がドラマですごくいいシーンを演じていたとき。あなたはそのドラマの感動をファンレターにして、推しに伝えたい。しかしなにを書いていいかわからない。でも、とにかくよかった。すごくよかった。

──この「よかった」という地点から、自分の思考を展開させる力が妄想力なんです。推しがものすごくいい台詞を言っていた。「ああ、あのシーンよかったなぁ」と頭の中で反芻する。そこであなたは、「よかった」シーンのなにがよかったんだろう? と考えます。

恋愛ドラマで両想いになるシーンって、よくある気がするけれど、じつはなんでもない台詞っぽくしゃべることってあんまりないんじゃないか? 変なわざとらしさがなくて、そこがよかったのかな? 普通、ああいうシーンって気張って変な力みがわかっちゃうもんな、自然な感じがよかったのかな。なんで、ああいう自然な感じで台詞を言ったんだろう。それって推しのキャラ解釈なのかな? 今まで出演していたドラマの演技より、今回のほうが全然よかったし、推しと役との相性がいいのかな。それとも脚本がよかったのかな。

......と、これは一例ですが、「よかった」理由を考えるには、こんなふうに思考を転がしていく妄想力が必要になってきます。ただじーっと観察したり、読み込もうとしたりしても、感想は膨らみません。「なんでよかったのかな? 」「どこがよかったのかな? 」という点から、思考という名の妄想を膨らませてみる。

「よかった」理由について、昔見たものや昔好きだった推しを引っ張りだしつつ、自分の妄想を広げていく。そんなイメージで考えるほうが、感想のネタはでてきやすいのです。

妄想だから、正しくなくていい

「読解力が必要」とか「観察力が必要」とか「分析力が必要」とか言われると、身構えちゃいますよね。それ、どうやって鍛えたらいいのと思ってしまいます。私だって、どう鍛えたらいいのかわかりません。

でも、妄想力つまり「とにかくなんでもいいから妄想を広げればいいんだ」と言われたら、ちょっとできる気がしてきませんか?

たとえば私は、本を読み終わると、自分の昔読んだ作品や同じような作品がぼーっと頭に浮かんできます。あれと似ている本だったな、いやでもここが違うからよかったんだよな、とか。面白くなかった本だとしても、こういう系統ならあの本のほうがいいよなーと思ったり。そして、なんでこういう内容の本が、生まれてきたんだろう? なんてぼんやり考えるのがクセなんですね。

時代としてこういうあらすじの本が今売れやすいのかな、とか、このキャラクターって若い人にウケない感じがするけど、なんでそう私は感じるんだろうとか、妄想をひたすら繰り広げています。その妄想が、書評を書くときの取っ掛かりになるんです。

ここで大切なのは、私の考えていることが、ほぼほぼ妄想であること。つまり、その考えが正しいかどうかは定かではありません。

「あの本とこの本は似ている気がする」と思ったところで、実際に作者がその本を参照したかどうかはわかりません。私以外の人からすると、たいして似た本じゃないかもしれない。作者や他の読者からすると、「はあ?」って首を傾げられてもおかしくない発想かもしれない。

でも、そんなことはどうだっていいんです。妄想ですから。客観的に合っているかどうかなんてどうでもいい。とにかく妄想を広げるのが重要なんです。

妄想力で思考をこねくり回す

もちろん、妄想をそのまま事実かのように文章に書くのはダメですよ。

「××と●●は似ているし、なんなら××は●●のオマージュっぽくもあるよな〜」と思っても、感想を書く際に「この××の作者は●●という作品を真似している」と書いてしまうのはNGです。これは、嘘をまき散らしているだけになってしまいます。

でも、あくまで自分の感想であることを断ったうえで、「××は●●と似ていると私は感じた。なぜかというと〜〜という展開が似ていて、そしてこの共通点は今の時代を象徴しているように思えた」なんて書けたら、それは立派な感想文になります。

自分は感想を書けない、書くネタが見つからないと思ったら、ぜひ、妄想を膨らませてみてください。合っているか間違っているかは置いておいて、まずは、自分の感想を頭の中でこねくり回すという体験が重要なのです。

もちろんいい感想を書いたほうが、結果的に観察力や読解力のレベルが高いように見えることは多々あります。しかし、それはあくまで結果。私たちが身につけるべきものは、妄想力なのです。

推しの魅力を伝えることは、自分の人生を愛すること

推しの魅力を伝えるのって、すごくすごく素敵なことです。自分の好きなものや人を語ることは、結果的に自分を語ることでもあります。冷静に自分の好みを言語化することで、自分についての理解も深まる。それでいて、他者について語っているのだから、自分じゃない他者にもベクトルが向いている。すると、他者の魅力や美点に気づく力も身につきます。

せっかく出会えた好きなものや人について語ることは、自分の人生の素晴らしさについて語ることでもある。私は真剣にそう考えています。

だからこそ、推しを語ることをぜひ楽しんでください!どうせなら楽しく伝わるように語れたほうが、伝える側も伝えられる側も嬉しいはず。本書が、その一助になることを願っています。さあ、抽象的な話はここまで。

推しを語る準備、できていますか?

後編では、「推し」の魅力を語る具体的なテクニックについてお伝えします。好きなものを語るときに注意すべき、聞き手との距離感とは?

「推し」の魅力を布教したい…好きなものを語るとき「オタク用語」を使いたくなる理由