相撲に関心のなかった伊津美さんだが、この写真で若かりし寺尾のスリムな体形を知り、「いつかこの体形に戻るなら付き合ってもいい(笑)」と思った思い出の1枚(写真提供◎福薗さん)

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大相撲の錣山(しころやま)親方(元関脇・寺尾)が、2023年12月17日にうっ血性心不全で亡くなった。享年60。力士としては細身の体から繰り出す突っ張りと甘いマスクで人気を集めた。通算出場記録(1795回)、幕内の連続出場記録(1063回)はともに歴代4位、幕内在位は歴代6位の93場所。「鉄人」とも呼ばれた約23年の土俵人生で数々の記録を残し、引退後は錣山部屋の師匠として指導にあたった。妻の伊津美さんが、ともに過ごした日々を振り返る(構成:佐藤祥子)

【写真】結婚前の寺尾さんと福薗さん

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たくさんの思いが 詰まった棺

うちの人――寺尾が亡くなった12月17日の夜は、それこそ深夜12時を回ってから部屋に棺が運ばれたのですが、まず部屋の前の報道陣の数に驚いてしまって。

それから通夜までの4日間、寺尾が眠る稽古場には600人もの方々が弔問に来てくださいました。藤島親方(元大関・武双山)や高田川親方(元関脇・安芸乃島)が連日来てくださり、盟友だった貴乃花さん(元横綱)も駆けつけてくれて、号泣していらして……。

同期生だった琴ヶ梅さん(元関脇)や長年付け人を務めてくれた安芸ノ州さん(元幕内)は、それこそ付きっきり。ほかにも、全国からOBや知人、友人が集まってくださいました。葬儀の日までホテルに連泊したり、なかには稽古場に雑魚寝する人もいたほどです。

通夜には800名、告別式には400名。相撲界での一門は違えど、佐渡ヶ嶽親方(元関脇・初代琴ノ若)や浅香山親方(元大関・魁皇)などたくさんの相撲関係者が参列してくださって。本当に多くの方に好いていただいていたんだな、と思えたひと時でした。

死ぬことなど考えもしない元気な頃のことですが、寺尾は「俺は葬儀をしてもらうつもりはないよ。みんなにスケジュールを合わせてもらうのは嫌だから。どうしても、という時はせめてこの部屋で、かな」と言っていました。だから内々では密葬のような形にしよう、と話していたんですけれど。

愛弟子の阿炎(あび)クンは、棺に初優勝した時の表彰状を入れていました。「そんな大切なもの! コピーでいいじゃない!」と皆で止めたのですが、「いや、また優勝すればいいので」と言ってね。

長年、寺尾の心臓を診てくださった病院の先生方から、還暦祝いに贈られたくまのプーさんのぬいぐるみも棺に入れました。足の裏にアニバーサリーの刺繍も入っていたのに、新聞には「大好きなぬいぐるみも棺に」などと書かれて、最後の最後にプーさん好きにされちゃったね、と笑ったものです。

私が聞いた最後の言葉は、「また明日来てね、バイバイ」でした。まさかこれきりになるとは、本人も思っていなかったでしょう。

入院したのは、秋場所13日目の9月22日のことでした。自宅で心臓発作を起こして救急車で運ばれたのですが、こういう事態は寺尾の常。月に3回も救急車で搬送されたことがある、いわば常連だったのです。

血圧を測ると上が60、下が40くらいなので、初めての救命士は焦ってしまう。でも運転する方は慣れたもので、「親方はいつもそんな数値だよ」と言うほどでした。

心臓に持病を抱えて

世界的な名医たちに手術していただいた寺尾の体には、特別な補助心臓の機械が入っています。だから心臓マッサージはできないのですが、心臓が止まってしまったとしても、補助心臓が機能すると言われていました。ただ、その日は主治医が海外にいたこともあり、かかりつけとは別の病院に搬送されたのです。

そもそも発作を起こして意識をなくしたのは、この時が初めてでした。まったく意識が戻らず、「肝臓にも原因があるのでは」と血液の透析を7回したところ、40日目にしてようやく戻ったのです。

でも、本人にはその自覚がまったくないんですね。「95時間、おじいさんと一緒に舟に乗っていて、迷ったあげく、やっとここに帰ってきたんだよ」などと言う。「それは、三途の川を見たということでは……」と思いつつ、とても口には出せませんでした。

しかも、「そのおじいさんは血縁ではなく、ここの病院の人だった」と言うので怪訝に思っていると、向かいの病室のおじいさんが亡くなったと知って。驚きましたね。

ただ、いつまた意識を失うかわかりません。「今のうちに会わせたい人を呼んでください」と言われて、1回に2人ずつ、5〜10分ほどの面会を繰り返し、毎日20人くらいの親しい方が見舞ってくださいました。

ICUと一般病室の中間であるHCU(高度治療室)から一度は個室に移りましたが、また意識がなくなってHCUに逆戻り。それが10月のことで、「意識がなくても話しかけたほうがいい」と、亡くなる日まで毎日電車とバスを乗り継いで会いに行きました。

歯を磨いたり顔を拭いたり、ベッド上でずれた体勢を息子が直したり。意識が戻ると、「今日はみかんを3粒食べようか」などと、なるべく食べ物を口に入れましたが、もう体はカリカリに痩せていました。

亡くなる少し前には、歩行器につかまって立ち上がり、つま先を上げ下げするリハビリを始められたので、再度HCUから個室に移りました。でも、本人は嫌がりましたね。前回、個室で意識がなくなったこともありますし、面会制限が厳しくなるので。

後ろ髪を引かれる思いで「また明日ね」と手を振り、病院を出て2時間後、心臓が止まったという連絡を受けました。

心臓が悪いのは、若い頃からの寺尾の持病です。最初は17歳で新弟子検査を受けた時にわかったそう。現役生活の23年間は、自分で不整脈の回数を数え、「あ、今飛んだ」と言いながら、正の字で数字を記録していました。その数字も1日600回といった数。結婚前から心臓にカテーテルが入っていました。

体が細く、寝ているだけで痩せてしまうような体質。普段の体重は114キロなのですが、本場所が始まる2週間前には、120〜122キロまで増やさないといけません。体重を増やすために夜中の3時や4時に起きて、無理やりサンドイッチを口に押し込んでいました。

とはいえ、体重が122キロを超えると心臓に負担がかかりすぎるので、本場所を終えたら体重を戻す。これを年6回繰り返すのです。正直、力士としての生活が心臓に悪影響を及ぼしたのだろうと思わずにはいられません。

<後編につづく>