この記事をまとめると

■昭和の時代の道路上ではいまでは考えられないような行為が子どもによって行われていた

■公道でボール遊びをする子どもも多くボールを追って交差点に飛び出す事例が多発

■ローラースケートのブームにより公道を暴走する子どもが大量発生した

コンプライアンス意識が低かった昭和ならでは

 昨今、クルマの分野では旧車の中古車価格が爆上がりし、週末には多くの旧車系ミーティングなどのイベントが開催され、いわゆるレトロまたはリバイバルブームの勢いを感じます。

 そのムーブメントはクルマ以外の分野でも活発化しているようで、近ごろでは昭和ど真んなかの1986年をフィーチャーした「クドカン」脚本の「不適切にもほどがある!」というドラマが話題になりました。そのドラマを観て「あのころはよくあんなことを平気でしていたなぁ〜」と、当時の出来事に思いを馳せた人も少なくないでしょう。

 ここでは、昭和のあの時代だからこそ問題にならなかった、いまではちょっと考えられない子どもの行動を振り返ってみることにしましょう。

■その1:路地で堂々とキャッチボールやミニ野球

 昭和の男子小学生の遊びといえば、筆頭に上がるのは野球でしょう。シーズンに入るとテレビのゴールデンタイムは野球の生中継で占領され、多くの野球好きはブラウン管の前で近所をはばからずに大きな声で推しのチームや選手に声援を送っているのが日常の風景でした。

 そんな状況ですから、多くの家庭では父から息子にバットやグローブを誕生日やクリスマスにプレゼントされ、週末の休みには家の前でキャッチボールするシーンもよく見かけました。

 そのため、自然と子どもたちだけで遊ぶ際にも、その辺の路地でキャッチボールや、バットも使ってのプチ野球を楽しむのが当たり前でした。

 それだけ聞く分には微笑ましい限りですが、その頃のドライバーは何度もヒヤッとした場面に出くわしたことでしょう。

 キャッチボールやプチ野球をおこなっていると、ほぼ確実に暴投してしまったりエラーしたりでボールを外に流してしまうことが起こります。

 ボールが路地の範囲で止まればいいのですが、転がった先が交差点だったりすると、ボールしか見ていない子どもはクルマが往来する交差点に飛び出してしまいます。運よくクルマが通らなかったり、クルマに気がついて止まればいいのですが、出会い頭に「ガシャン!」となってしまうこともありました。

 当時はそんな事故のニュースが、年に数回は聞こえてきたように記憶しています。

 いまでは危険意識が高まったことや、子どもが外で遊ばなくなったことなどの理由でほとんど見かけなくなりましたが、当時はそれが当たり前だったんです。

■その2:ローラースケートの流行で暴走児が急増

 いまをときめく「Z世代」の子たちのなかで、ローラースケートを知っている割合はどれくらいいるでしょうか? やったことがあるという人に至っては、ほぼいないのではないかと想像します。

 しかし、これも昭和の時代では遊具売り場やスポーツ用品売り場に行けば普通に売られていました。

「えっ? どこで使うの?」という疑問も現代ではごもっともですが、昭和の時代は少数ながらもそれで通学する子どももいたりして、歩道を走り抜ける光景が普通にありました。

 その時点で普通に走るより速い速度が出るローラースケートは、事故を起こすこともしばしばあったのですが、1987年にデビューした「光GENJI」の登場でローラースケートの人口が急激に増えたんです。

 ローラースケートを履いて軽やかに歌いながら踊りを披露するアイドルグループの姿に魅了された子どもたちが、いっせいにローラースケートを履くようになり、公園や公道でその踊りを真似るシーンがあちこちで見られるようになりました。

 利用人口が増えれば必然的に事故の割合も増えてしまいます。そんなニュースが増えてきたところで当局が動き出し、道交法で「交通のひんぱんな道路」での使用が制限されました。

昭和の子どもはやりたい放題だった

■その3:火薬銃や爆竹が駄菓子屋で売られていた

 これもいまでは考えられないことですが、昭和の中期辺りまでの時代では、たまに「パン!」とか「パパパパパン!」という炸裂音が住宅街に響くということがありました。

 おそらくそれが海外で、とくに拳銃の所持が認められている国で起こったら、ほとんどの人の脳裏に事件の可能性が頭をよぎるでしょう。治安のよくない地域では反射的に懐から拳銃を出して構える人がいるかもしれません。

 しかし、当時の日本では、「あぁ、どこかで子どもがヤンチャな遊びをしているな」という感想で済んでいました。

 それというのも、その当時は駄菓子屋の店頭で多くのお菓子と並んで火薬式のオモチャの拳銃や爆竹(バクチク)が売られていたからです。

 ちなみにそれがどういうものかというと、火薬式のオモチャの拳銃の方は、薬の錠剤くらいのサイズのプラスチックのカートリッジに火薬が込められたものを拳銃の姿を模したオモチャにセットして、引き金を引くと撃鉄が作動してその火薬を炸裂させるというものです。「パン!」というそれらしい大きな音がするので、刑事ドラマの推しデカを演じるのにもってこいのアイテムでした。

 厳しいご家庭では禁止するところもありましたが、小学校の高学年になったら使っていいという家庭が多かったと記憶しています。

 そして爆竹の方は、少量の火薬を紙で包み導火線がセットされたもので、いってみれば超ミニサイズのダイナマイトです。だいたい20個くらいが束になった状態で売られていました。こちらは先述の拳銃より火薬の量が多いためか、近くで炸裂させるとしばらく耳がキーンとなるくらいの音を発します。

 元々は中国のお祭りなどで景気づけに連続で鳴らされていたものですが、それが日本に輸入され、いつの間にか駄菓子屋の店頭でお菓子や花火と共に並べられるようになっていました。

 さすがにこの爆竹は危険な代物という認識がふつうで、多くの家庭では禁止していたと思いますが、ヤンチャな子どもがこっそり買ってきて近所の公園や林などで鳴らして楽しんでいました。

 実際にどれくらいの威力があるのかと試してみたところ、当時流行っていた「ガンプラ」がバラバラに粉砕されました。導火線のタイミングが掴めずに手に持ったまま炸裂させてしまった子どももいましたが、ほとんどは部分的な火傷で全治1週間以内という程度で済んでいたように記憶しています。

 中学生になり思春期特有の学校や世の中への不安や不満を募らせるようになると、そのはけ口を求めて学校で爆竹を炸裂させるという暴挙に出てしまった子がいたという話も伝わってきました。

 いまとなってはそこらの店の店頭ではすっかり姿を消してしまいましたね。

■その4:犬の糞を投げつける恐ろしい子どもたち

 最後は、マンガのなかで出てきたら笑えるレベルですが、実際に遭遇したら悲鳴を上げてしまうかもしれない、ある意味何より恐ろしいケースです。

 昭和の時代はいまと比べるとだいぶ衛生意識が低く、道端や公園の隅などに犬の糞が落ちていることは日常の光景でした。いまではほとんどの人が常備している犬の散歩用エチケット袋ですが、当時は持ち歩いている人は皆無だったといっていいでしょう。

 マンガの「ドクター・スランプ」に代表されるように、子どもたちは「ウ○チ」が大好きです。道端でソレを発見すると必ずといっていいくらいに立ち止まり、キャイキャイとはしゃいでいたものです。

 それが少し成長して小学校の低学年を卒業するくらいになると、ただはしゃぐだけでなく、それを罰ゲーム的に扱う子どもが出てきます。エスカレートしたあげく、棒に刺したソレを投げつけるという暴挙に及ぶ輩もけっこういました。それがもし避けられなかったときは最悪です。運悪く流れ弾に当たった他の子に至ってはトラウマになることでしょう。

 現代では道端のソレ自体を見かけることがほとんどなくなったおかげでそういう輩も消滅しましたが、今振り返るととても恐ろしいおこないだったと身震いしてしまいました。

 さて、いまでは考えられないような昭和の時代の子どもがしていたとんでもない行為を4つピックアップして紹介してみましたが、いかがだったでしょうか。年配の人は懐かしい目をして遠くを見るかもしれません。いまの若い子は眉間にシワを寄せるケースも少なくないでしょう。昭和とは、そういう時代だったのです。