社会科学の先行研究や各種分析理論を縦横無尽に使いこなし、資本主義経済とは何か、戦後日本社会とは何か、日本国憲法とは何かを説いた小室直樹氏の論説が求められる理由(写真:Ryuji/PIXTA)

近年、小室直樹氏(1932〜2010)の著作が続々と復刊されている。デビュー作にして社会学の古典的名著でもある『危機の構造』、一般向けに書かれた予言の書というべき『ソビエト帝国の崩壊』、ベストセラーになった異色の数学本『数学嫌いな人のための数学』など。

小室氏は数学に始まり、社会学、政治学、経済学など広範な学問を修め、在野の学者として、ボランティアで自主ゼミを開いて多くの研究者を育成するとともに、該博な知識をもとに、現実社会の分析・評論を行い、数多くの著作を発表し、多くのベストセラーを出した人物である。

本稿では、小室氏の生涯を関係者への広範な取材と、膨大な資料をもとに、上下巻1500ページに及ぶ『評伝 小室直樹』をまとめあげた村上篤直氏に近年の「小室ブーム」について語っていただいた。

相次ぐ「小室本」の復刊

小室直樹の著作の復刊が続いている。

最初は2022年8月。小室の代表作2冊がほぼ同時に復刊された。


『ソビエト帝国の崩壊』(光文社未来ライブラリー)と『新装版 危機の構造』(ダイヤモンド社)である。『ソビエト帝国の崩壊』の初版本が刊行されたのは1980年。『危機の構造』は、さらに早く1976年。すでに半世紀近くが経過している。

復刊は、その後も続いた。2022年8月にビジネス社から『新装版 日本教の社会学』(初版本は1981年、講談社刊)、『新装版 日本いまだ近代国家にあらず』(初版本は1994年、クレスト社刊『田中角栄の遺言』)が復刊。

そして2023年3月には、徳間書店から『「天皇」の原理』(初版本は1993年、文藝春秋刊)、同年6月には、集英社インターナショナルから『日本人のための憲法原論 新装版』(初版本は2001年、集英社刊『痛快!憲法学』)、『日本人のためのイスラム原論 新装版』(初版本は2002年、集英社刊)が復刊された。

なぜ、いま、小室の著作(以下、「小室本」)の復刊が続いているのか。その理由の一端を明らかにしたい。

かつて、小室は「近代資本主義とは何か」について講演する際、次のように説いた。1980年代前半の講演の記録からで、少し長くなるが、以下に紹介したい。

講演録「近代資本主義とは何か」

なぜ、近代資本主義が誕生したか。

これについて最も素朴な考え方は「技術が進歩したからだ」という説。これを技術史観という。テクノロジーが近代資本制社会を作った、と。たとえば、マルクスの『哲学の貧困』を読むと、そんなふうに読み取れなくはない。

「手押し車が封建制社会をつくり、蒸気機関が資本制社会をつくった」と。さらに「原子力が共産主義社会をつくるのだ」とまではマルクスは言っていない(笑)。

この技術史観はいかにも浅薄だ。単なる技術というものに着目すると、近代資本制社会ができる直前の状態にあった社会は多いが、結局そうはならなかった。

それから、技術が独立に発達するのではなく、資本制社会の要請によって発達するという側面が大変強い。たとえば、英国に行くと国中に運河が張りめぐらされていることに驚く。その理由をゼミで学生に質問すると、「英国には山がないから」なんて言う人もいる(笑)。まぁ、それも1つの理由ではある。

しかし、最大の理由は、英国においては産業革命以前に資本主義が発展したからだ。資本主義といえば、「厖大な商品の集積」(マルクス)。ところが、馬や人間では運べない。だから、英国中に運河が張りめぐらされることになった。

厳密に言うと、産業革命の発展と資本主義の発展というのは、手を携えて進んだというべきであろう。

近代資本主義の誕生についての2番目の説は何か。

それは、「商業の発達が資本主義社会を作った」という説である。これは単なる常識としてではなく、偉い学者にもこの説をとる人が多い。

たしかに商業の発達が近代資本主義の生成と発展に与えた影響は、非常に大きい。数学の言葉をもってすれば、商業の発達は、資本主義が誕生の必要条件である。発達した商業がなければ近代資本主義社会は出現困難である。

近代資本主義社会を生み出す要因は

では、十分条件か。これが実に大問題なのである。

社会学者のマックス・ヴェーバーは「そうじゃない」という。いろんな歴史を調べてみると、単なる商業の発達からは資本主義社会は生まれてこない。古代バビロニア、古代アッシリア、古代ローマ、中世サラセン帝国、中世イタリア、中世ドイツ……。

商業がきわめて発展し、見かけ上は資本主義社会の一歩手前までいった社会はいくつもあった。しかし、そのような社会が資本主義社会になることはなく、途中でしぼんでしまった。したがって、商業の発達は重要な要素だが、それだけで近代資本主義社会が誕生することはない。

ここで考えるべきことは何か。

技術だとか、商業だとか、その他、諸々の条件、それよりももっと大事な、近代資本主義社会を生み出す要因は何であるのか。こういうことになる。

その場合に考えるべき非常に重要なことは、エトス(Ethos)における根本的な変化なのである。

エトスとは何か。英語で書くと、エシック(ethic)。「s」を付ければ「倫理(ethics)」という意味になるが、エトス、エシックとは、倫理なども含めた基本的行動様式のこと。つまり、社会にいろんな行動様式があるが、その中で最も基本的となる行動様式。倫理よりももう少し広い。生き様みたいなものだ。

このエトス、普通は変わらない。ところが、ヴェーバーによると、たった1回だけ変わったことがある。それがいつかというと、近代資本主義社会が誕生したとき。

ヴェーバーが強調する点は、プロテスタンティズム、特にカルヴァニズムの厳格な予定調和説によってエトスの根本的変革が起きた。だから、1つの十分条件で、必要条件ではない。

カルヴァニズムのほか、いくつかの経済的・社会的諸条件、つまり、技術の発達、商業の発達があるレベルに達していることは絶対必要だ。諸条件の下で、カルヴァンの予定調和説というものがエトスの変換を起こして、それによって近代資本主義社会が生まれたのである。

社会の本質と構造に迫る分析

このようにして、小室は、マクス・ヴェーバーの先行研究を踏まえ、近代資本主義の誕生の謎、その本質的な発生原因に迫っていくのである。

この小室流の分析方法の中に「なぜ、小室本の復刊が続いているのか」の謎を明らかにしてくれるカギがある。それを端的にいうと、小室本においては、社会の本質に迫る分析、構造を浮かび上がらせる分析が理論的になされている、ということだ。

ある社会の本質、構造を明らかにする小室の分析は、一面において彼の鋭い直観力に支えられている。この点、直観的に迫る鋭い社会分析をする学者や評論家は、小室以外にも確かに存在している。

しかし、彼ら/彼女らは、本人としても、なぜ自分がそうだと見抜いたのか、分析できたのかが明確に表現できない。あえて表現するとすれば、「勘」とか「経験上」としか言いようがない。

また、彼ら/彼女らの鋭い分析を聞いている側としても、「なるほど! 言われてみれば、確かにそのとおりに違いない」と感じてスッとしたり、眼の前が明るくなったり、快感を覚えたりすることもある。しかし、残念ながら、そこまで止まりである。

小室の凄さは、直観力レベルの洞察にとどまらない点である。

小室は、よく「自分は方法論学者(methodologist)である」と自己規定した。そのとおりに、小室は先行する学者、研究者の優れた理論的成果を学び尽くし、それら方法論を小室流に整理して、体系化し、分析枠組み(frame of reference)を作り上げた。

小室によって体系化された社会分析のための枠組みは、現時点においてもそのまま通用する。その分析枠組みをもとに、小室はさまざまな「モデル」を作り上げて、具体的な社会的現象を分析した。小室の理論モデルをもって眺めれば、複雑に絡み合ったように見える社会現象がスッキリと分析、整理され、説明できるのである。

約半世紀前に見抜いた日本社会崩壊のモデル

『危機の構造』を例にとろう。確かに、そこで例示されているのはロッキード事件や、企業爆破の狼グループの話など、1970年代の出来事である。いかにも古い。しかし、そこで示された理論、モデルは決して古くない。

小室は同書において、戦後の日本社会の構造を次のように分析した。

戦前の日本社会を上から支えていた天皇共同体が日本の敗戦と天皇の人間宣言によって一気に崩壊、下から支えていた村落共同体も徐々に崩壊し、その結果、日本社会にアノミー(無連帯)が蔓延した。

そのアノミーを吸収し、日本人の連帯を回復させたのは、本来、機能集団であるべき会社、官庁、学校などであった。会社、官庁、学校等が共同体化した結果、いったんアノミーは収まるであろう。

しかし本来、共同体であってはならない機能集団が共同体となってしまったというその根本的矛盾が、日本社会を崩壊に導くことになる。これが小室のいう戦後日本の構造的アノミーである。この戦後日本社会の構造的分析、日本社会崩壊モデルの提示。これこそ小室直樹の凄さだ。

小室モデルの力は論理能力、抽象化力の凄さにある

小室は、社会的事象について、現象レベルにとらわれず、表層からは見えない構造レベル、さらに本質は何かをズバリと見抜き、それを抽象化し、理論化し、言語化する。さらに、モデル化して思考上で作動、実験させてみる。

この小室の原理的説明ともいうべき論考は、たとえ表面的に社会が変わろうとも、インターネットやAIといった技術がいかに発達しようとも、社会構造が変わらない限り妥当するであろう。

これこそ、数学を基礎学として、経済学、心理学、社会学、政治学、宗教社会学、法社会学など、さまざまな社会科学を習得した小室の論理能力、抽象化力の凄さであり、小室モデルの力なのである。

『日本人のための憲法原論』では、日本国憲法が死文化してしまっていることを示した。

小室は、憲法が本質的に慣習法であること、そして「日本国憲法は死んでいる」と主張したのである。小室は、たとえ日本国憲法という条文があったとしても、それが現実に守られていない場合には死文化しているという。

そこでは、小室の歴史に関する該博な知識が存分に使われる。通常、憲法学の教科書では、最初に憲法の歴史に少し触れた後は、人権と統治機構の条文解釈が中心となる。それは、日本の社会的現実を無視し、条文にとらわれた解釈学といわれても仕方がない。小室の憲法学は、それら解釈学とはまったく別物といってよい。

小室理論の継承と発展が求められている

以上のように小室は、社会科学の先行研究や各種分析理論を自家薬籠中のものとし、縦横無尽に使いこなした。そして、資本主義経済とは何か、戦後日本社会とは何か、日本国憲法とは何かを説いた。さらに、小室は教育、政治、宗教とは何かについても幅広く分析した。

論理的に不要なものを捨象し、構造を抽出し、モデル化し、作動させて分析する。政治、経済、社会一般、宗教、教育と、分野の垣根を超えてこれができたのは、同時代では小室だけではないだろうか。

小室は、社会現象の背後にある「見えないもの」を見抜いた。それが、構造であり本質である。そして、小室は、自らが見抜いた社会の構造を、理論、モデルとして提示した。それが「小室本」である。構造や本質は、まず変わらないから、小室の理論は今も通用する。これが、今も小室本の復刊がなされる理由である。

そして、次の一歩を踏み出そう。小室の洞察は、理論やモデルとして提示されているから、私たちが継承、発展させることが可能である。不況が30年続き、先行きが見通せない今だからこそ、私たち自身による小室理論の継承と発展、「小室直樹の復活」が求められているのである。


(村上 篤直 : 弁護士、小室直樹研究家 )