94%も「値下がり」した椎茸と、790%に「値上がり」した松茸……その違いから見えてくる「日本人の給料が上がらない根本理由」とは?(画像:I/PIXTA)

「お金の本質を突く本で、これほど読みやすい本はない」

「勉強しようと思った本で、最後泣いちゃうなんて思ってなかった」

経済の教養が学べる小説きみのお金は誰のため──ボスが教えてくれた「お金の謎」と「社会のしくみ」には、発売直後から多くの感想の声が寄せられている。本書は発売1カ月で8万部を突破したベストセラーだ。

著者の田内学氏は元ゴールドマン・サックスのトレーダー。資本主義の最前線で16年間戦ってきた田内氏はこう語る。

「みんながどんなにがんばっても、全員がお金持ちになることはできません。でも、みんなでがんばれば、全員が幸せになれる社会をつくることはできる。大切なのは、お金を増やすことではなく、そのお金をどこに流してどんな社会を作るかなんです」

今回は、なぜ日本人の賃金が上がらないのか、椎茸と松茸の比較から解説する。

もともと松茸より椎茸のほうが高価だった

国内産の松茸はもはや絶滅危惧種と言っていいかもしれない。温暖化の影響などから収穫高が減っていて、毎年のように高騰している。スーパーで見かけることさえ少なくなった。


一方で僕らがいちばんよく食べているキノコは椎茸ではないだろうか。これからの鍋の季節、欠かせない具材の1つである。

この庶民の味方的な存在の椎茸だが、じつは100年前は松茸よりも高価だった。松茸が100gあたり8銭(0.08円)の一方で、椎茸は39銭(0.39円)である。

どうして椎茸が安くなったのかを考えると、物価と賃金の関係が見えてくる。

この話を聞いてまず気になるのは、当時の1円は現在のいくらに匹敵するかというところだろう。当時と現在の物価水準を比較すればすぐにわかりそうだが、実際に計算しようと試みて、一筋縄ではいかないことに気づく。

1920年の1日の食費は35銭だったが、100年後の2020年は785円。実に2243倍になっている。食費から考えると、当時の1円は現在の2243円になる。

しかし、食べ物それぞれで、価格の上がり方が違う。豆腐は6銭から74円で1233倍。食堂のカレーは15銭から750円に5000倍になった。松茸100gは8銭から4800円と、実に6万倍だ。当時は松茸より高かった椎茸は39銭から170円と、価格は436倍しか上昇していないのだ。

モノの値段を「給料」と比べる

ここまでは、お金を使う場合を考えてきたが、もらう場合はどうだろう。給与所得者の年収はこの100年で、583円から443万円に上がった。実に7599倍になっている。つまり当時の1円紙幣の価値は現在だと7599円になる。

いったいどの数字が正しいのか。当時の1円の価値は今だといくらだといえばいいのか?もちろん、どの数字も正しい。給料に比べて物価が安くなっているのだ。


椎茸は436倍になったが、所得収入は7599倍になっている。所得対比で考えると、椎茸の価格は0.06倍と爆安になっている(436÷7599=0.06)。これは、人工栽培によって効率的に作れるようになったからだ。少ない人手でよくなったのだ。

他の食品もおおむね相対的に安くなっているのは同じ理由だ。豆腐の生産も機械化できるところは機械化して、少ない人手で作れるようになっている。それが価格にも反映されている。

一方で食堂のカレーはそこまで安くはなっていない。食材の価格が安くなっても、食堂でカレーを作る人の労力はそこまで減っていないからだ。

残念ながら、松茸は大量生産できなかった。山に分け入って見つけるしかない。希少になれば見つけるのも苦労するし、価格も上がる。

この100年間、機械化などで生産効率が上がった産業では、価格が安くなった。そのおかげで、消費者としての僕たちは他のことにお金を使えるようになった。例えば、当時は存在しなかった携帯電話やパソコンを購入できるようになった。

一方で、「生産効率を上げる」ことは人々に不安を生む。雇用の喪失だ。現代社会も同じ理由でChatGPTなどのAIの活躍をおそれている。

拙著『きみのお金は誰のため』の中では、主人公の優斗と投資銀行で働く七海が、同じ不安を抱いているのだが、それに対して、先生役の“ボス”が明快に答えている。

七海は、まだ引っかかっているようだった。

「幸せを目的にしたほうがいいのは、私も同感です。(中略)将来、ロボットやAIが人間の仕事を奪う恐れも指摘されています」

お金が稼げなくなるのは困る。AIの活躍する未来に、優斗は不安を覚えた。

ところが、ボスの考えはまるっきり反対だった。

「経済は、ムダな仕事を減らしてきたから発展できたんや」

「どういうことですか?」と七海がたずねる。

「昔は、大勢が鍬や鋤を持って、田畑を耕しとった。トラクターなんかの機械ができたおかげで、仕事は激減した。そうして手のあいた人たちが、新しい仕事に取り組んで、新しい物を作るようになったんや」

『きみのお金は誰のため』94ページより

100年前に比べて、食費が所得収入対比0.29倍になったということは、食料の調達のために働く人たちの割合がだいたい3割になったことを示している。7割の人たちが失業したのである。

ところが、100年後の現代では失業者があふれているわけではない。生産者としての僕たちは、椎茸の採集や豆腐の生産のために大人数で働かなくてもよくなったから、携帯電話やパソコンを作る製造業に人材を投入できるようになった。

「雇用を守れ」という言葉は一見正しそうだが、雇用を守るだけでは、新しい分野に人が流れない。少子高齢化の進む日本では人手が足りない分野が増えつつある。例えば介護の分野では、毎年必要な人材が3万人ずつ増えると言われているし、IT技術者だってまったく足りていない。

インターネットなどの情報産業の分野ではかなり出遅れた。iPhoneやiPadなどの情報端末や、GoogleやYouTube、Netflixなどのアプリケーションなど、日本は海外製品に頼らざるをえない。教育の分野でも人手不足が深刻化していて、地域によっては公教育が崩壊している。

新しい仕事が増えなくても大丈夫な条件

しかし、さらに反論する人もいるだろう。「新しい仕事が増えなかったらどうなるのか」と。小説の主人公である優斗も、こんな問いをなげかける。

「新しい仕事が増えなかったら、やばくないですか?」

当然の心配だと思ったが、それこそがお金に囚われている証拠だとボスは言う。

「100人の国の話と同じやで。僕らが食べているのは、お金やない。パンが必要なんや。ロボットが活躍して仕事が減っても、生産されるパンは減るどころか増えるやろう。それなのに、生活できない人が増えるなら、パンを分かち合えていないってことや。せっかく仕事を減らせたのに、会社のえらい人や仕事のできる一部の人だけが得をしているという状態なんや」

『きみのお金は誰のため』95ページより

生産効率を上げることや「分かち合う」ことができなければ、賃金を上げることはできないだろう。小説の中では中学生でも理解していることだが、さて……。

(田内 学 : 元ゴールドマン・サックス トレーダー)