リニューアルされた大阪メトロ御堂筋線心斎橋駅のホーム(撮影:伊原薫)

日本有数の繁華街、大阪・ミナミの一角に位置する心斎橋。大丸心斎橋店や心斎橋筋商店街といった商業施設が軒を連ね、その賑わいは今も昔も、というよりも、江戸時代から変わらないという。

現在は大阪市高速電気軌道(Osaka Metro、大阪メトロ)となった大阪市営地下鉄が、初めての路線となる御堂筋線の終着点をこの地としたことも、決して無関係ではないだろう。

開業時から長いホーム

御堂筋線と心斎橋駅が開業したのは、1933年5月20日である。当初、同線の列車は1両編成だったが、当時の大阪市長・關一は「将来この路線の利用者は飛躍的に増加する」と予想。各駅のホームは12両編成が停車できる長さで建設された。

それから90周年となる2023年、心斎橋駅は大規模リニューアルを終えた。新たなデザインのコンセプトは「ジ・オオサカ・ブランド」。ホームは2層分にわたるアーチ構造をそのままに、現代の同駅周辺を象徴するキーワード“高級感と上質感”が感じられるデザインとされた。

「当駅の大きな特徴は、この“高級感と上質感”、そして多様性にあると思っています」と、心斎橋駅の駅長を務める梅咲昇司さんは話す。


心斎橋駅の梅咲昇司駅長(撮影:伊原薫)

このエリアには、古くは300年近い歴史を誇る大丸心斎橋店をはじめ呉服店が集まり、近年は高級ブランドショップが軒を連ねる。一方で、四つ橋筋側は若者向けの店が立ち並び、いわば“流行の発信地”だ。その傾向は、駅の混雑にも表れているという。

「心斎橋駅は、平日よりも土休日の方が利用者が多いという特徴があります。これは、繁華街に位置するほかの駅ではあまり見られない傾向です。また、平日のラッシュ時は北改札口が、日中や休日は南改札口が混雑するのですが、曜日や時間帯によって混雑する改札口が違うというのも、ほかの駅にはない特徴です」(梅咲さん)

リニューアルでは、前述の通り高いアーチ天井がそのまま残された。このアーチ天井は、同時期に開業した梅田駅と淀屋橋駅にもみられる構造だが、この2駅は後に一部が2層に仕切られて改札口や通路が増設されている。

アーチ天井にシャンデリア

対して、心斎橋駅はそうした大幅な構造変更が行われておらず、現在もアーチ天井が残ったまま。地下とは思えないダイナミックな空間が広がっており、これを生かす形とされた。

また、天井の照明もこれまで親しまれてきたシャンデリアのデザインが引き継がれている。

「心斎橋駅のシャンデリアは、開業当初は凸型のデザインでした。現在のような円錐型となったのは1953年に設置された2代目からで、そのデザインが3代目にも引き継がれました。今回設置した4代目は、アーチ空間とシャンデリアのバランスを考えてひと回り小さなサイズとしましたが、光源を蛍光灯からLEDにしたことで、照度は増しています」(梅咲さん)

確かに、壁や天井が濃い色合いになったにもかかわらず、以前より明るくなった印象を受ける。


シャンデリア照明は従前のデザインが受け継がれた(撮影:伊原薫)

天井を見渡してもう1つ気付いたのは、上部から吊り下げられていた列車の接近表示器や案内看板が、ホーム中央に建てられた柱から水平方向に延びる形になったこと。これまで必要に応じていわば場当たり的に増設されてきたが、リニューアルを機にまとめられ、見栄えもすっきりした。ホーム中央にはクーラーの吹き出し口が塔のように立っているが、これらも壁面などと意匠がそろえられている。


麻の葉の模様が随所にあしらわれている(撮影:伊原薫)

「ホーム中央部のベンチも新たなものに交換しましたが、その下部には和服の柄などで広く用いられている麻の葉の模様を用いました。この模様は、ほかにも床面のタイルや軌道側の壁に設置したデザイン照明にも取り入れています」(梅咲さん)

「高い天井と柱のない構造」が評価

ちなみに、心斎橋駅をはじめとする御堂筋線開業当初の地下駅は、アーチ型の高い天井や柱のない構造が生み出す広大な空間、照明器具の工夫などが評価され、土木学会の選奨土木遺産にも認定されている。

今回のリニューアルも、その評価を損なわないよう配慮されているようだ。ホーム中ほどにある柱の足元に、選奨土木遺産の認定プレートが設置されているので、訪れた際はぜひ探していただきたい。


どこにあるか見つけられる? 選奨土木遺産のプレート(撮影:伊原薫)

今回のリニューアルでは、改札口の集約も行われた。従来、駅の南側には改札口が2カ所あったが、これを1カ所に集約。改札機などと合わせて駅員の配置もまとめた。労働人口の減少は都市部でも深刻であり、人員の効率化は避けて通れないが、心斎橋駅の場合は他の事情もあるようだ。


リニューアルされた心斎橋駅の南改札(撮影:伊原薫)

「当駅は外国人観光客の利用も非常に多く、きっぷの買い方などが分からずに困っている方をよく見かけます。そのため、時間帯によっては券売機の前にスタッフを配置し、積極的に案内するようにしています」(梅咲さん)。同駅にはハンディタイプの翻訳機も配備されていて、威力を発揮している。

昔の面影が残る場所

アーチ型の天井やエスカレーターの配置などに開業当初の面影を残すとはいえ、リニューアルによって大きく姿を変えた心斎橋駅。利用者の目に触れる部分はほとんど装いを新たにしているが、昔の面影を残している部分がわずかにあるという。

「1つは、閉鎖された『南南改札』へと続いていた階段です。改札階の部分は床が張られて店舗や通路となっていますが、ホーム階の部分は今も残っています」(梅咲さん)。特別に中を見せてもらうと、ホームの最も難波寄りに上へと続く階段があった。


関係者以外は立入禁止のホーム南端に残る階段(撮影:伊原薫)

もう1つも関係者以外は立ち入れない、駅のバックヤード部分にあった。駅事務室の裏側に回り、仮眠スペースへと続く階段を上がろうとすると、「足元を見てください」と梅咲さん。そのタイルには、見覚えがあった。

「この階段は、もともと利用者が改札階から地上に出るためのものでした。足元のタイルも、その頃のままです」。確かに、当初から職員用の階段として造られたのなら、わざわざタイルを張るようなことはしなかっただろう。

階段を上がった先、仮眠スペースには何やら小さな扉があった。探検のような気分で扉を開けて中へ入ると、目の前の壁には銀色の枠が取り付けられていた。これは、利用者用の通路として使われていた頃の広告枠。役目を終えた今も、ひっそりと残っているのだ。


関係者以外入れないバックヤードに残るタイルと広告枠(撮影:伊原薫)

「実は、この階段が地上につながっていた“証拠”も残っているんです」と梅咲さん。「ここを通っているパイプは、地下に設置されているスプリンクラーなどの消火設備に水を送るためのもので、その送水口が地上にあります。今から地上に行きますが、この位置をよく覚えていてくださいね」と言われるまま、右へ10歩、前へ20歩……とカウントしながら進む。

地上へと出て、先ほどの位置に当たる場所へと向かうと、そこには果たして送水口があった。階段が役目を終えてから数十年が経つ今も、形を変えて心斎橋駅を守っているのだ。


梅咲駅長の指差す先には古いブロック積みの跡。「これも開業当時の面影かもしれませんね」(撮影:伊原薫)

駅に再現された“心斎橋の面影”

最後に、長堀鶴見緑地線のホームへと向かった。御堂筋線側から続く連絡通路の壁面には、かつてこの地に架かっていた心斎橋を模した装飾が施されている。


長堀鶴見緑地線へ続く連絡通路には心斎橋を模した装飾も(撮影:伊原薫)

心斎橋の橋桁は長堀川が埋め立てられた後、道路橋から歩道橋として再利用されたが、それも1990年代に撤去。一方で、もともと橋が架かっていた位置には往時の欄干やガス灯が再現され、今も街を彩っている。連絡通路の装飾といい、この地のアイデンティティは様々な形で今も受け継がれているようだ。


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(伊原 薫 : 鉄道ライター)