蒲生駅から新越谷駅に向かう前面展望。JR武蔵野線を跨ぐために急勾配となっているのがわかる(撮影:鼠入昌史)

東武スカイツリーラインと武蔵野線が交わる、新越谷(東武)・南越谷(武蔵野線)という駅がある。駅名が違っているが事実上同一駅だ。数字を見ると、東武・武蔵野線ともにそれぞれの路線の中ではトップクラスのお客の数を誇るターミナル。だから、読者諸兄にもこの駅を使ったことがある人はたくさんいるに違いない。

しかし、である。だいたいの人は、乗り換えに使うばかりで駅から降りて外に出る、などという機会はあまり少ないのでないかと思う。「越谷」という存在は、新越谷・南越谷のおかげかそれともレイクタウンのおかげか、なかなか知名度こそ高い。だが、どんな街なのかは、地元の人でもない限り知る機会はないものだ。 

東武のベテラン社員に聞く

いったい、この駅には何があるのか……と、調べてみたら、なんとこの駅を取りまく街全体が、日本三大阿波踊りの1つ、南越谷阿波踊りの会場になっているのだという。

「越谷に本社のあるポラスさんが全面バックアップしている南越谷阿波踊りですよね。今年は久々に通常開催で、聞いたところでは3日間で72万人も来たそうです。スカイツリーラインの西側から東側にかけてが会場になっていて、なかなかスゴいですよ」

ちょっと自慢げに紹介してくれたのは、東武鉄道春日部駅管区の中村和伸新越谷駅長だ。中村駅長、入社以来ほとんどを野田線(東武アーバンパークライン)で過ごしており、今回が初めてとなるスカイツリーラインの駅勤務。

「思った以上ににぎやかでびっくりしましたね。通勤時間帯にはお客さまの流れは都心方面。ただ、新越谷駅で半分くらいは入れ替わるんですよ。武蔵野線に乗り換えてこられる方、逆に乗り換える方。とにかくたくさんのお客さまが動いている駅ですね」(中村駅長)


新越谷駅のホーム。中央2線が緩行線、外側2線が急行線の複々線区間にある(撮影:鼠入昌史)

新越谷駅は、武蔵野線と当時の東武伊勢崎線との交差地点となったことで、武蔵野線南越谷駅より1年ちょっと遅れて1974年に開業した。そのころの東武伊勢崎線はまだ地上を走っていて各駅停車しか停まらず、駅の周りは田園地帯が広がっていた。

それが、いまや越谷の新たな街の中心といっていいくらいに発展を遂げた。新越谷駅は1994年までに高架になって武蔵野線を跨ぐようになり、1997年からは準急停車駅に。いまでは急行やTHライナーも停車する、スカイツリーラインの途中駅では屈指の存在になっている。


新越谷駅の東側、南越谷駅の北側にある「南越谷ゴールデン街」(撮影:鼠入昌史)

「駅の周りは商業施設や大きな病院があって、人が集まってくるエリアです。ここらへんで飲むんだったらゴールデン街もありますから(笑)」(中村駅長)

最初はけっこう歩いて乗り換えた?

武蔵野線の開通から新越谷駅が開業するまでの1年ちょっと、伊勢崎線と武蔵野線を乗り継ぐ人たちはどうしていたのだろうか。答えは簡単で、約1kmほど南にある蒲生駅から歩いていたのだ。

この蒲生駅も、中村駅長が預かる新越谷駅管理下の駅。

「新越谷駅と同じように高架なんですが、周りに何があるかというと……。どちらかというと昔ながらの田園地帯の中の住宅地ですね。実は、開業した頃はもっと北にあったらしいんですよ。その場所がどこにあったのかはわからないんですが……」(中村駅長)

蒲生駅が開業したのは1899年。移転したのは1908年だというから、ほんの10年ばかり使われた旧駅というわけだ。なんでも、いまの新越谷駅に近かったらしい。ただどちらにしても、高架化もされたし、周辺環境も一変している。わずか10年足らずで消え去った旧蒲生駅の跡地を探そうというのはもはや無理筋なのだ。


蒲生駅は開業から10年足らずで現在地に移転した。新越谷駅と同様1994年に高架化されている(撮影:鼠入昌史)

蒲生駅から電車に乗って新越谷方面に向かうと、同じ高架ながらもぎゅっと急勾配を駆け上る。これは、高架の武蔵野線を跨ぐため。車窓からは住宅の広がる越谷の街並みがよく見える。新越谷駅に到着する少し手前には、シンボルでもある「サンシティ」も。


新越谷駅ホームから西を望む。左奥に武蔵野線が走っているのが見える(撮影:鼠入昌史)

新越谷駅を出ると今度は下り坂。まだまだ続く高架の上から街を見下ろしながら、到着するのが越谷駅だ。いまでこそ、新越谷駅が越谷市の代表駅のような顔をしているが、市役所がある、もとからの市街地は越谷駅の方が近い。

古くからの街の中心に近い越谷駅

「昔も今も、越谷駅は越谷の街の中心ですね。公共施設もありますし、最近は近くにマンションも増えています。昔の日光街道越ヶ谷宿も、駅の近くです。宿場町には『はかり屋』という古民家を使った複合施設もあり、観光で訪れても楽しいところですよ」(中村駅長)

その言葉通り、越谷駅、とりわけ旧宿場町に近い東口は、大きな駅前広場にタワーマンションが上にくっついた駅前ビルが建ち、たいそうなにぎわいぶりだ。駅前からまっすぐ延びる目抜き通り沿いには金融機関も並んでいて、いかにも街の中心らしい雰囲気を持つ。この道をずっと進んでゆくと、元荒川を渡る平和橋のたもとにあるのが越谷市役所だ。

「ずーっと行くと、越谷市の体育館や市民プールもあるんです。反対の西口からはしらこばと水上公園へのバスが出ています。中心の駅だけあって、どこにでも行くことができる。それが越谷駅なんです」(中村駅長)


越谷駅東口。ロータリーが広く市の玄関口らしい駅前風景だ(撮影:鼠入昌史)


越谷駅前から延びる市役所前中央通り。元荒川を渡ると運動公園も(撮影:鼠入昌史)

中村駅長は「越谷は川の多い街なんです」とも話す。市内を北西から南東へと貫くように元荒川が流れ、さらに新方川という小川も流れる。東隣の吉川市との境界には中川があり、ほかにもそこかしこに用水路。越谷レイクタウンのシンボルになっている大相模調節池も、水害対策を目的として造成されたものだ。

「だから、もともとは田んぼが広がるのどかな場所だったようですよ。そこに東武の鉄道が通り、武蔵野線が通ってだんだん市街地になっていった。いまも市街地の外には田園地帯が残っています。元荒川の土手などを会場にしている花火大会も、かなりの盛り上がりなんです」(中村駅長)

私鉄最長の複々線区間の北端は……

越谷駅から再び電車に乗って北に向かう。高架と複々線が続くのは、元荒川を渡った先のお隣、北越谷駅までだ。まだまだ越谷の市街地は続くが……。

「このあたりからのんびりした沿線風景に変わってくるんです。高架から地上に降りて、街並みも真新しいマンションというよりはニュータウンや昔ながらの住宅地。北越谷駅を境に変わる、車窓の雰囲気もこのあたりの見どころだと思いますよ」


新越谷の中村和伸駅長(右)と北越谷の秋元修一駅長(撮影:鼠入昌史)

と、最後に教えてくれたのは、北越谷駅長の秋元修一さん。北千住駅から続く、“私鉄最長”の複々線区間の終点である北越谷駅と大袋、せんげん台の3駅を預かっている。この越谷市北部の3駅については改めて触れることにしたい。


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(鼠入 昌史 : ライター)