苦境に陥っていたレゴが復活できた理由とは?(写真:mimi/PIXTA)

「柔軟なマインドセットを身につければ、大きな変化に直面してもうまく切り抜けられるようになる」と指摘するのが、認知心理学者・神経科学者のエレーヌ・フォックス氏です。今回はレゴ・グループの実例を踏まえながら、フォックス氏が解説します。

※本稿はフォックス氏の著書『SWITCHCRAFT(スイッチクラフト) 切り替える力 すばやく変化に気づき、最適に対応するための人生戦略』から一部抜粋・再構成したものです。

創造的なアイデアを盛り込んだが、売り上げは下落

玩具メーカーのレゴ・グループは、機を見てすばやく切り替え、復活した。1990年代後半から2000年代初頭にかけて、レゴは苦境におちいった。世界中の子どもたちに愛されているカラフルなプラスチック製ブロックの売り上げが、年々減少していたのである。

コンサルタントたちは、デンマークの郊外にあるビルン――レゴ・グループの本社がある町――に押しかけ、「革新的な新しいラインの玩具を開発する必要があります」と助言した。

レゴ・グループはその後、数年かけて創造的なアイデアを製品に盛り込んだものの、売り上げは落ち込み、負債が膨れあがるばかりだった。たしかに、こうした新シリーズの玩具は斬新で楽しいものではあったが、レゴのコアなファンである「ものづくりが好きな子どもたち」の心をつかめなかったのだ。

2004年、新たなCEO(最高経営責任者)にヨアン・ヴィー・クヌッドストープが就任した。彼は、会社が主力製品をないがしろにしている現状を看破した。大切なのは、いまも変わらずプラスチック製ブロックなのだ。必要なのは、ブロックに対するイノベーションだったのである。

レゴのコア・ユーザーから考えれば、デジタル・ネイティブの子どもたちの関心をひく必要があるのは一目瞭然だった。クヌッドストープは、新しい玩具を開発するのではなく、基本的なブロックと融合するデジタル・テクノロジーに着目した。

こうして開発したレゴ・ロボットは大人気を博した。レゴでロボットをつくり、アプリをダウンロードすると、ロボットを動かすことができるのだ。

このイノベーションが、昔ながらの玩具とテクノロジーを結びつけた。さらに、現実世界でレゴを組み立てたあと、バーチャル世界でも遊べるようにも工夫した。レゴにデジタル要素がくわわると、大人もレゴに関心をもち、売り上げはまた伸びた。

この成功により、レゴ・グループは「玩具界のApple」と呼ばれるまでになり、アメリカでは毎年10億ドルを超える売り上げを記録している。2015年、フォーブス誌は「レゴ・グループがフェラーリを追い抜き、世界でもっともパワフルなブランドの座を獲得した」と報じた。

突破口を開いたのは「直観」を活用したこと

現状を打破して躍進したレゴのストーリーの興味深いところは、「すばやい対応だけでは十分ではない」ことだ。改革に着手した当初、レゴは新たな玩具のラインを打ちだしたが、それだけではうまくいかなかった。突破口がひらかれたのは、直観を活用して、ターゲットが望んでいるものを理解しようと努力したからだ。

深い直観に基づく状況把握は、「切り替える力」にも通じる。レゴ・グループはこれまでと違う試みに挑戦しただけではなく、新たなテクノロジーによって、プラスチック製ブロックで異なる世代のユーザーが遊べるようにした。クヌッドストープは状況に対応するだけではなく、顧客に対してすばやく反応し、みずから変化を起こしたレゴ復活劇の立役者になったのである。

なぜ考え方やものの見方を変えるのは難しいのだろう? 幼いころから何度も繰り返してきた結果、同じやり方や考え方が染みついてしまうからだ。

ためしに、次のパズルを解いてみよう。

ペンで、9つの点を4本の直線によって一筆書きでたどってほしい。一度もペン先を離さずに、だ。これは「ナイン・ドット・パズル」と呼ばれ、考え方を切り替える能力を試すものだ。慣れ親しんだ考え方を打ち破るのがいかに難しいか、わかるはずだ。


一見、単純そうに見えるパズルだが、なかなか手強い。答えを見れば、理由がわかるだろう。


慣れ親しんだ考え方に脳がとらわれるせいで、外側の点を結ぶ“箱”のなかで、線を引かなければならないと思うからだ。

このパズルが「箱の外を考える(型にはまらない考え方をする)」(thinking outside the box)という1980年代に有名になったマネジメントの決まり文句を生んだのではないかという説もある。

自分の思考が“箱”のなかにとらわれているとわかれば、このパズルは解きやすくなる。

細菌の発見は、古い考えから抜けだした成果

20世紀の傑出した経済学者ジョン・メイナード・ケインズも、「なにより難しいのは、新しい考えを受け入れることではなく、古い考えから抜けだすことだ」と述べているように、習慣となって染みついた考え方は振りはらうのが難しい。

細菌の発見は、古い考えから抜けだしたことで大きな成果が生まれた例だ。中世では、伝染病や疫病がつねに脅威だった。とりわけ気温の高い夏にはあっという間に病が広がり、とくに人口密度が高い地域では排泄物や生ごみの悪臭が鼻をついた。当時は、有機物が目に見えない蒸気を放出するせいで、悪臭が発生すると考えられていた。これが人間の体内に侵入し、生命維持に必要な機能を破壊するのだ、と。

この「悪い空気」は「瘴気」と呼ばれ、1300年代半ばにヨーロッパ全土で流行し、2億人の命を奪った黒死病(ペスト)のおもな原因と考えられていた。瘴気説を支持する証拠の大半は、1800年代になっても幅広い支持を得ていた。

ところが1864年、フランスの化学者ルイ・パスツールが信頼の置ける一連の実験をおこない、「微生物原因説」を唱え、瘴気説を葬り去った。

ここで着目したいのは、その300年ほど前にイタリアの詩人・医師・科学者であったジローラモ・フラカストロが「微生物原因説」を予想していたことだ。1546年、彼は『伝染、伝染病とその治療について』という本を執筆した。

このなかでフラカストロは、伝染病は「悪い空気」によって生じるのではなく、「種のようなもの」つまり「胚種」が人から人へと広がっていくのではないかと述べた。「胚種」は化学物質で、気化して空中に発散すると考えていたのである。

私たちにはいま、「胚種」なるものの正体が微生物であることがわかっているが、フラカストロの考え方は当時、斬新なものだった。そのため、科学界はフラカストロの声に耳を傾けなかった。「悪い空気」が病の源であるという説が主流だったため、種のような物質が犯人だという考えは、当時の科学界のヒエラルキーを打ち破ることができなかったのだろう。

「微生物原因説」に移行するまで時間がかかった理由

フラカストロの説が最初に発表されてから1世紀以上がすぎた1674年、オランダの科学者アントニ・ファン・レーウェンフックがすぐれた顕微鏡を発明し、微生物を直接観察することに成功した。

この顕微鏡で一滴の水を見た彼は微小動物を発見して驚き、「微小動物(アニマルクル)」と名づけた。まだ伝染病との因果関係は発見されていなかったため、ファン・レーウェンフックの観察の意義は、その200年後にパスツールの実験によって、初めて評価された。

科学界が「悪い空気説」から「微生物原因説」に移行するまでにこれほど長い時間がかかったのは、主流の考え方にそぐわないため、多くの人が硬直した考え方によって無視したからだ。

ファン・レーウェンフックの顕微鏡による観察であきらかになった事実に、科学者たちが文字どおり「目を向ける」ようになるまでに200年以上の歳月がかかったわけだが、あらゆる可能性に心をひらけば、もっと早かっただろう。

人類の知識が大きな飛躍を遂げたのは、慣れ親しんだ物事を新たな視点と方法でとらえたからだった。新しい考え方に切り替えないと、大きな価値を秘めている情報を見逃しかねない。

「見たいものを見る」傾向がある

私たちには「見たいものを見る」傾向がある。それは、ひいきのスポーツチームの観戦中によく見られる。アメリカンフットボールの大学選手権の試合後におこなわれた、心理学の有名な実験が、この傾向をよく示している。

1951年、プリンストン大学対ダートマス大学の試合は、両校にとってシーズン最後の勝負だった。プリンストン大学には、この年、タイム誌の表紙を飾ったディック・カズマイアーというクォーターバックのスター選手がいた。これは彼が大学生として最後に出場する試合だった。試合が始まると、第2クォーターでカズマイアーがダートマスの選手から激しいタックルを受け、鼻の骨を折り、脳震盪を起こしてフィールドを去った。

その次のクォーターで、今度はプリンストンの選手がダートマスの選手の脚の骨を折った。その後、試合では悪意の応酬が続き、結局、プリンストンが13対0で勝った。試合が終わったあとも長いあいだ、フィールドには怒号とやじが飛びかった。

数週間後、それぞれの大学の雑誌がこの試合についてまったく異なる見解の記事を掲載した。ダートマス大学とプリンストン大学双方の心理学者たちは、双方の学生が「見ていた」試合は実際に異なっていたのではと考えた。そこで、ダートマス大学163人、プリンストン大学161人の学生に録画した試合の映像を見せ、質問票に回答を書いてもらった。

すると、驚くべき結果が出た。

プリンストンの学生の大半(86パーセント)と、中立的な立場の観察者のほとんどは、「ラフプレーを始めたのはダートマスの選手が先だ」と回答した。だが、「ラフプレーを始めたのは自分たちのほうだ」と認めたダートマスの学生は36パーセントにすぎなかったのである。

また、試合の映像を見ながらルール違反を数えてもらったところ、ダートマスの学生は自分たちのチームが犯したルール違反を半分程度しか指摘できなかった。

つまり、学生たちは違うものを見たと「主張して」いただけではなく、実際に対抗相手の学生とは異なって「見えていた」 のである。どちらの大学に忠誠心をもっているかによって、目にするものが変わっていたのだ。

私たちは「信念にあうこと」だけを正確に認識する

この研究は、より広い事実を裏づけるものとしてよくあげられる。


私たちはだれも、ある出来事を公平に観察することはできない。私たちが「見る」ものは、好みや偏見に強く影響を受ける。自分が気づくものにも偏りが生じ、信念にあうことだけを正確に認識するのだ。

だから私たちは、親しい人の不正行為よりも、赤の他人の不正行為に気づきやすい。そうなれば、間違った判断や思い込みをしやすくなる。信念や忠誠心が強いほど、私たちは心を閉ざし、周囲で起こっていることの解釈を柔軟に変えられなくなるからだ。

すばやく柔軟に切り替えれば、スポーツ、ビジネス、日常生活などにおいて、状況にうまく対処できるようになる。このような対応力は複数の要素で構成されており、1つの考え方からべつの考え方に切り替えるメンタル・プロセスも含まれる。

(エレーヌ・フォックス : 認知心理学者、神経科学者)