「有給休暇が6週間」家族と一緒の時間が増えた
オーストラリアの看護師は週4日勤務が一般的で、有給休暇も1年に6週間取得できる(写真:Fly View Productions/iStock/Getty Images Plus)
オーストラリアでは永住権が取りやすい職業を政府が発表している。例えば、医者や看護師、エンジニア、会計士、シェフがそうだ。ワーホリでオーストラリアに惚れ込み、ワーホリ後に、現地の大学で正看護師の資格を取得し、永住権を取って現地の病院に勤務している女性にインタビューすることができた。ワーホリ後にオーストラリアに残る方法、永住権をとって働くとどうなるのかなど、『安いニッポンからワーホリ!』を出版した上阪徹氏がリアルな情報を紹介する。
医者や看護師、シェフは永住権が取りやすい
ワーホリは短期間、海外で過ごしてくるだけ、というイメージを持っていたのだが、実はそうでもないということも今回の取材で、知った。
他のビザを取得して残る。あるいは一度、日本に戻ってから、再び別のビザで入国を果たす。そんな人もいるというのだ。場合によっては永住権を取得して、ずっと住めるようにする。そういう選択も、現実としてある。
例えば、専門学校に入学する。これで、学生ビザを手に入れることができる。学生ビザの場合は、このくらい学校にきちんと通わなければいけない、この期間は無制限には働けない、など一定の条件がそのときそのときに定められるが、基本的に自由に働くことができる。
日本人は誤解している人が多いと聞いたが、学生ビザは学生しか取れないわけではない。社会人からオーストラリアに行き、専門学校に通うことになれば学生になるのだ。だから、学生ビザが取れる。
これはワーホリの年齢制限を超えても、学生ビザなどで滞在できるチャンスがあることを意味している。つまり、30歳を過ぎていても、オーストラリアで働くことができるのだ。
実際、オーストラリアには、世界中から日本なら社会人の年齢の学生がたくさんやってきている。ビジネス系の学校から、食やバリスタのスキルを学ぶ学校、美容系の学校など、さまざまにある。
学ぶ内容にもよるが、数十万円の費用で通うことができる専門学校もある。実際、ワーホリビザが切れるタイミングで専門学校への入学を決め、そのままオーストラリアに残る選択をする人もいる。
また、オーストラリアの大学や大学院に入るという人もいる。社会人の学び直し、あるいは学歴を海外でさらに高める。そんな選択肢もあるのだ。ただし、ネックとなるのは、外国人には大学や大学院の費用はとても高額だということ。
学校にもよるが、年間300万〜400万円は覚悟しなければならないようだ。学費だけで、である。だが、ワーホリ中に大学院に行きたくなり、頑張って稼いで学費の大部分を貯めた、という人もいる。
そして大学院が始まれば、また稼ぎながら過ごせばいい。賃金が高いがゆえにできることかもしれない。
永住権取得を目指す人もいる。オーストラリアでは、永住権が取りやすい職業が明らかにされている。これは政府が発表しているのだ。例えば、医者や看護師、高度なスキルを要するエンジニア、会計士、シェフがそうだ。
さまざまな職業で永住権取得の道筋が作られている
実際、日本ではアグリ関連の仕事をしていたが、ワーホリでオーストラリアに惚れ込み、どうしても永住権が欲しいと、オーストラリアでシェフを養成する専門学校に入学。実際にシェフとなって、永住権を獲得した人もいる。他にも、さまざまな職業で、永住権取得の道筋が作られている。
2016年にワーホリでオーストラリアに入った後、現地で専門学校に入学して学生ビザに切り替え、その後、現地の大学を2年間で卒業。正看護師の資格を取得し、アデレードで現地の病院に勤務している女性にインタビューできた。山本瑠璃さんだ。彼女はすでに永住権も取得している。
「子どもの頃から英語や人道支援、ボランティアに興味があって、将来は海外で働きたいと思っていたんです」
そこで入学したのが、4年生大学の英米文学科。だが、英語だけ勉強することがやりたいことではないとすぐに気づき、人と触れあえる仕事、海外にも行ける仕事として選んだのが、看護師の道だった。
「専門学校に入り直し、看護師になって3年間、総合病院で働いていました。でも、ずっと海外に行こうという思いは持っていて」
ミャンマーにボランティアで行く機会があり、看護師として海外で働くなら英語が必要になることを痛感した。そんなとき、オーストラリアで看護師が行くワーホリのプログラムがあることを知った。留学エージェント、ワールドアベニューの「有給海外看護インターンシップ・プログラム」である。
「英語力を高めることもそうでしたが、忙しい毎日でしたので、オーストラリアの自然に癒やされるイメージもありました。プライベートの時間とか、ほとんど記憶にないくらいの毎日でしたので。また、多民族多文化国家と聞いていたので、音楽やアートなど、看護以外の視野も広げられると思いました」
職場には1年前に伝え、準備を推し進めた。病院勤務で忙しい中でも、フィリピン人の講師とのオンライン英会話は続けた。
「それでも英語には不安はありましたが、ワクワクのほうが勝ってしまっていましたね。できなかったとしたら、もうしょうがないと開き直って」
そして2016年、病院を退職してワーホリに向かう。語学学校に入り、カフェのアルバイトを始めた頃から、もっと長くオーストラリアにいたいと考えるようになった。セカンドビザを取得しようと、ファームジョブは地方都市でブルーベリー摘みをした。
「やっぱりここに残ろうと思いました」
シドニーに戻ってからは、プログラムに含まれていたアシスタントナースとしての老人ホームでの介護の仕事に従事した。
「この頃は、お金を貯めたかったので、シフトに入れるときはどんどん入っていました。週7日、仕事をしていたときもあります」
まだはっきりと進学を考えていたわけではなかったが、いろいろなオプションを考えると、お金はあったほうがいいと考えた。派遣会社との契約期間が切れるタイミングが来ると、自ら就職活動を行い、1つの老人ホームで仕事ができるようにした。こうして、安定的に仕事ができるようになった。
「2年目のワーホリが終わったとき、次はどうしようと考えたんですね。実はイギリスの大学院に入って、国際看護師になるというプランがそのときにあったんです。でも、オーストラリアの素晴らしさ、現地で作った人脈もあって、やっぱりここに残ろうと思いました。オーストラリアの大学に編入して、正看護師になろう、と」
大学に入るためには試験をクリアする必要があるが、ビザの残りの期間が少なくなってきていた。そのため、ビジネス系の専門学校に入り、学生として滞在期間を延ばした。
「一度、日本に戻ってから、お金を貯めて大学のために来る、という人も多いんですが、私の場合は仕事の基盤もあったし、友達もいたし、英語を伸ばせる機会だから、これはストップしないほうがいい、と思ったんです」
興味のある複数の病院の仕事を掛け持ち
ビジネス系の専門学校だった。できるだけ学費の安いところを選んだ。学費は数十万円。そして通学しながら、アシスタントナースとして働き、大学の学費に備えた。
「制度がいろいろ変わるんですが、当時は日本の4年生の大学を出て看護師になっていれば、短期間で正看護師になれるコースがありました。しかし私は専門学校だったので、1年か2年のコースを選ばなければなりませんでした。2年のほうが永住権に有利だと留学エージェントに教わって、2年コースに行くことにしました」
入学に当たっての最大の壁は英語力だった。実際、英語の試験で躓く人が多かったのだというが、勉強の甲斐あって試験を無事にクリア、大学に編入することができた。
2年コースだったが、学費は日本円で700万円近くになった。ずっとお金は貯めてはいたが、ここまでは貯めることはできなかった。親からのサポートを受け、少しずつ返している。
「大学の2年間は、とても楽しかったです。看護師を日本でやっていましたから、内容自体に難しさを感じることはありませんでした。だから、在学中はアルバイトにも重点を置いていたんです。ちょうど2年目に新型コロナが始まって、PCR検査のクリニックがスタッフを募集していて雇ってもらうことができました。そこがとにかく忙しくて、仕事には困りませんでした」
卒業後の就職は難しいと聞いていたが、なんと実習先の公立病院から誘われた。そこで仕事が始まった。
「職場の雰囲気もいいし、チームも良くてすごく楽しかった。でも、もともと緩和ケアをオーストラリアで学びたい気持ちがあったので、ホスピスの応募を見たときにやってみようと」
折しもアデレードで緩和ケアの有名なホスピスが看護師を募集していたのだ。応募すると採用してもらうことができた。
「公立病院は重度認知症の専門病棟なんですが、とても興味があったし、奥が深い。緩和ケアともつながるので、ここの仕事も続けたかった。それで、ここではカジュアルというポジションで仕事を残してもらって、メインのホスピスで週3回働きながら、働きたいときに公立病院にも通っています」
1つの病院で正社員になりながらも、2つ目の病院でも仕事を掛け持ちできる。こんなこともオーストラリアならでは、だろう。
永住権は、2021年に取得した。看護師は、オーストラリア政府が積極的に求めている人材。大学を卒業し、看護師になってすぐに取得できたという。
「その後の人生は間違いなく変わる」
「オーストラリアで看護師として働き始めて驚いたのは、有給休暇が1年に6週間もらえることです。シフト制で働いている人には、法律上、これだけの有休が保証されています。つい先日も6週間、日本で過ごしていたんです」
日本で看護師をしていたら、週末、何回、親に会えるか、という状況だったのだという。
「ずっと一緒に6週間、家族と楽しく過ごすことができるのは、とても大切だな、と改めて思っています」
病欠でも年に10日ほど休める。自身もそうだが、家族や子どもが具合が悪くなれば、給料を得ながら休める。しかも、働くのは週4日。これが看護師では、一般的だという。
そして今、オンラインで緩和ケアをテーマに大学院で学んでいる。
「ヨガやマインドフルネスにも興味があるので、そういったことも勉強中です。将来的に緩和ケアやセルフケアも含めて、心と体を大事にすることや、今を生きる、楽しむ大切さ、また自然の素晴らしさなどを多くの人に伝えていけたらと思っています」
オーストラリアに来てからは、将来のことをゆっくり考えたりする余裕や、学ぶ時間ができたと語る。
「ワーホリは、人生を豊かにできる時間をつくってくれました。仕事も辞めてきたので、本当に自分がやりたいことは何かを考えたり、視野を広げるきっかけになりました。30歳までに決断することで、その後の人生は間違いなく変わると思います」
実際、山本さんはワーホリをきっかけに人生を一変させることになった。海外で働くという夢も実現できた。
この原稿の事実確認をお願いしたとき、山本さんは休暇で1カ月のヨーロッパ旅行の最中だった。イタリア、南仏ニース、マルセイユを見て、パリからスイスに向かう列車の中からメール返信をくれた。
人生を大きく変えるチャンスは、誰にでもある。
(上阪 徹 : ブックライター)