わが子への期待を「極限まで下げるべき」納得理由
「子どもが親の思い通りにならない」が根底にある相談は、後を絶ちません(写真:kapinon/PIXTA)
【質問】
小2と小5の子どもがいます。子どもたちはなかなか私の思い通りになりません。学校のテストでは最低でも80点は取ってほしいと思っていますが、いつも60点から70点をさまよっています。それでいて、私が間違い直しをさせようとすると嫌がります。また、片付けもやるように言っても無視されるか、やっても少しだけやる程度で毎回言わないとやりません。このような状態で今後が心配です。
仮名:大竹さん
「行きすぎた期待」がトラブルに発展する
大竹さんのような相談をされる方は少なくありません。これまで毎年2000件以上の相談を受けていますが、「子どもが親の思い通りにならない」が根底にある相談は今でも後を絶ちません。
そもそも、子どもは親の思い通りになるという発想自体がボタンの掛け違いの原因であると思うのですが、そのような気持ちになる親の心もわからなくもありません。
我が子を伸ばしたい、世間に出て一人前なるように育てたいという気持ちは親心としては当然かもしれませんが、あることが原因でトラブルに発展することがあります。
それは、行きすぎた「期待」です。
今、大竹さんに必要なことは、「子どもを変えるのではなく、親が変わる」ということになります。そして、「どのように変わる必要があるのか?」が焦点となってきます。
はじめに今回の質問に一言で回答すると次のようになります。
「子どもへの期待値を究極まで下げる」
これを行うと子どもは自主的に行動するようになると思います。
子どもは親を喜ばせたいと思っている
もともと、子どもは親を喜ばせることが好きなので、親の期待を超えて、喜ばせようとするものです。しかし、一方の親は「子どもが期待に応えてくれているとは思えない」と感じることが少なくありません。そのため親は「指示・命令・脅迫・説得」という手段を使って子どもをコントロールすることがあります。
指示とは「〜したほうがよいと示す」、命令とは「〜しなさい」、脅迫とは「〇〇しないと△△になるよ」、説得とは「皆もやっているんだから……」という構文です。
しかし、これらの手段は、子どもにとっては苦痛以外の何ものでもないため、それらの言葉をスルーする技術を会得したり、また反抗、反発、悪態、癇癪という手段に出たりすることで親に対抗することもあります。すると、親はますます、それを封じ込めようとして強く厳しい言い方になったり、怒鳴ったりすることになります。場合によっては体罰や虐待に至るケースもあります。
これは明らかに悪循環で、負のスパイラルが高速化している状態です。その行き着く先は「相互不信」です。つまり、親は子どもを信頼できないし、子どもも親を信頼できないという状態です。
なぜこのようなことになってしまったのでしょうか? 問題の出発点は何だったのでしょうか?
それは「親の期待値が高すぎた」ことだと考えています。
もう一度、大切なので言いますが、「子どもは親を喜ばせたい」と思っています。しかし、親の期待が高いと、子どもはそれに対していつまでも応えられません。
例えば、60点取っている子がいたとします。親の期待値は80点とします。子どもが頑張って70点を取ってきたとき、親は、満足しません。80点に届いていないからです。おそらく次のようなことを子どもに言うと思います。
「よく頑張ったね。でももっと頑張れば80点は取れるんじゃないの」
子どもは喜んでもらおうと思ったのに、親は不満状態。その後、もっと頑張って80点取ろうとする健気な子もいますが、大抵はやる気を失っていきます。
「〇〇までよく頑張ったね。でももっと頑張れば△△までいけるよ」という構文は一見、子どもを励ましているかのように思えますが、子どもは励ましとは受け取っていません。「△△になるまで認めないからね」という条件付きメッセージと受け取ってしまいます。そして、親を喜ばせることができなかったとがっかりしています。
そのため、親は「子どもへの期待をしない」のがよいのですが、「期待をしない」という言葉は誤解を招きやすいため、「期待値を究極まで下げる」という言葉を筆者は使っています。
「感謝と満足」の気持ちを持って子どもに接する
では、「期待値を究極まで下げる」状態とは、どのようなことをいうのでしょうか。
それを筆者は次のような状態と考えています。
「子どもが元気で生きているだけでありがたく、『感謝と満足』の気持ちを持って子どもに接する状態のこと」
つまり、今生きているだけでラッキーという状態です。例えば、何か想像もしないような大きなアクシデントが起こり、1週間後に出会えたとしましょう。きっと「生きていてよかった!!」と言って涙を流しながら抱き合うと思います。そのときに、「宿題はやったの?」とか「もっと勉強頑張らないとね!」とは決して言わないはずです。これが期待値が究極まで下がった状態と言います。ですから、子どものことを諦めたとか、どうなっても構わないというネガティブな状態ではありません。
親の子どもへの期待値が下がると、子どもは親の期待を超えるよう次々と行動を起こします。例えば、先ほどの例で言えば、60点だった子にそもそも期待をしていないと70点を取ってきたときに「え!すごいじゃない!70点も取れたの!」と言うと思います。(この言葉の後に、もっと頑張れば80点だねとは言いません)このように言われた子はどうでしょうか。親を喜ばせることができて嬉しいと思って、もっと喜ばせたいと思うはずです。
これが「子どもが自ら動く仕組み」です。
孫ができると、孫には健康で元気でいてくれるだけで嬉しいと思うようになります。すると期待値は下がっているので、ちょっとした孫の言動にでも、祖父母は驚き、喜びます。孫はそれが嬉しくて、さらに祖父母を喜ばせようとしていきます。
しかし親だと、子どもに「あれもやらせないと、これもやらせないと」と思うことで指示や命令、時には脅迫構文も出てくるわけです。それらが頻繁に出ていると、子どもはいつまでも親の期待に応えることはできません。
以上、親の期待値がもたらす子どもへの影響についてお話ししてきましたが、中途半端に期待値を下げると、まだその期待値を子どもが超えられないこともあります。ですから大竹さんの場合は一旦、究極まで下げてしまってはいかがでしょうか。そこまで下げたほうが、結果として子どもが自ら動くという一見矛盾した現象が起こります。なかなか信じられないかもしれませんが、一度実行されてみてください。子どもの変化に驚くと思います。
(石田 勝紀 : 教育デザインラボ代表理事、教育評論家)