閣議に臨む岸田首相と高市経済安保相(写真:時事)

わずか3週間足らずの間の3人の副大臣・政務官の「辞任ドミノ」で、岸田文雄首相が支持率下落の“底なし沼”に沈み始め、「年内解散どころか、来年秋の総裁選前の解散も危ぶまれる状況」に追い込まれている。

ほぼ1年前の「4閣僚辞任」の悪夢再来ともみえるが、今回も岸田首相の決断の遅さが際立ち、「官邸の危機管理がまったく機能していない」(自民幹部)ことが事態を悪化させた。これを受けた主要メディアの世論調査では内閣不支持率がほぼ7割に達し、2012年末の自民政権復帰以来の最悪の数字に。それを踏まえて自民党内の「岸田降ろし」も本格化し、来年9月の総裁選をにらんでの「ポスト岸田」が動き出した。

「増税メガネ」と「減税メガネ」が大喜利状態となって、「国民から総スカンとなった」(自民幹部)岸田首相への、決定的打撃となったのが神田憲次衆院議員=衆院愛知5区=の財務副大臣辞任劇。

あろうことか、財務省のナンバー2が税金滞納で繰り返し差し押さえを受けていたことがいわゆる「文春砲」で7日に発覚。しかし、岸田首相は「法律違反はしていない」との理屈で“更迭”を遅らせたことで、自民党内から「あまりに対応が遅すぎた」(幹部)との批判が噴出した。

【2023年11月17日19時00分】初出時、神田憲次衆院議員に関する一部記述に誤りがあったため修正しました。

「最大派閥への忖度」で遅れた神田氏“更迭”

この神田氏の進退をめぐる判断の遅れは、同氏が2012年衆院選でいわゆる「安倍チルドレン」として当選した安倍派の中堅議員だったため、「最大派閥に忖度して、即時更迭をためらった」(閣僚経験者)との見方もささやかれる。

結果的に岸田首相は6日経った13日午後に、党内の声も踏まえて神田氏の事実上の更迭に踏み切った。ただ、同日夕、官邸で記者団に発したコメントでは「国会で説明をさせてきたが、本日、本人から国会審議に影響を与えることはできない、辞任したいという申し出があり、これを承認した」とあえて“更迭”というニュアンスを避けた。

その際岸田首相は、「人事は適材適所で行わないといけないと思っているが、政治というのは結果責任だ。財務副大臣が着任してから辞任に至ったということについて、国民の皆さま方におわびを申し上げないといけない」と沈痛な表情で陳謝。

ただ自らの任命責任については「重く受け止めている。政府一丸となって一層の緊張感をもって職責を果たしていくことを通じて、国民の信頼回復につなげていくことに尽きると思う」と述べるにとどめ、最後まで具体的な責任の取り方には踏み込まなかった。

こうした岸田首相の対応について、党中枢の立場にある森山裕総務会長は「極めて異常な状態になっている。一日も早く、信頼回復に努めることが大事だ」と苦言を呈した。

これも踏まえ、岸田首相は14日午前の閣議では「こういうときこそ、一致結束して頑張らねばならない。国民の信頼を回復せねばならない」と閣僚らに指示。茂木敏充自民党幹事長も14日の党役員連絡会で、神田氏辞任について「大変遺憾なことで、深く反省し、二度とこのようなことがないよう政府与党でより緊張感をもって臨んでいきたい」と頭を下げた。

その一方で泉健太立憲民主党代表は「異常事態だ。(辞任した3人は)まったく適材適所ではなかった。派閥順送りの人事を、そのままのみ込んでしまった総理の罪は大きい」と手厳しく批判、今後の国会審議で岸田首相の任命責任を徹底追及する考えを強調した。

際立つ「辞任理由の異常さ」

そもそも昨年末の辞任ドミノは大臣だったのに、今回は副大臣と政務官で、「本来なら政権への打撃は小さいはず」(自民長老)だった。にもかかわらず、内閣支持率が政権発足以来最低となり、いわゆる「青木の法則」として知られる政権の危険水域にも落ち込みかねない状況となったのは、辞任理由の異常さも原因とみられる。

まずドミノの口火となった参院議員の山田太郎文部科学政務官は、教育行政の責任者なのに「買春」疑惑が報じられての辞任。次いで、衆院議員の柿沢未途法務副大臣は、法の番人のはずが「選挙違反」で東京地検の捜査対象となって辞任という体たらく。そして税理士としての手腕を買われて財務副大臣となった神田氏は、「税金滞納の常習犯」(立憲民主)とあっては、岸田首相へのとどめの一撃ともみえる事態だ。

しかも、政務3役の新たなスキャンダルも噂されるなど、「内閣は学級崩壊状態」(共産党幹部)ともみえる。9月中旬の内閣改造人事以来、岸田首相が繰り返してきた「適材適所」は、「もはや『不適材不適所』といわれても仕方ない」(自民長老)のが現状で、永田町では「最大の不適材は岸田首相自身」(立憲民主)と声まで飛び交う状況だ。

そもそも大臣・副大臣・政務官による「政務3役」という現在の仕組みが制度化されたのは、2001年の中央省庁再編に伴うもので歴史は浅い。それ以前は副大臣・政務官に該当していたのは「政務次官」という役職で、しかも各省庁では大臣と事務次官が中核で、「(政治家が務める)政務次官はいてもいなくても同じという意味で『政権の盲腸』といわれてきた」(自民幹部)のが実態だった。

そうした中、大臣・副大臣・政務官に対する「政務3役」という呼び名を定着させたのは2009年8月の衆院選で政権奪取した当時の民主党。政権発足時から「政務3役による霞が関支配」を追求したが、各省庁の抵抗にあって政治主導が機能せず、それが民主党政権崩壊につながったのは否定できない。

このため、再政権交代となった2012年末からに安倍政権以降は、「政務3役」という言葉は「実態的には死語」(官邸筋)となったが、各省庁の事務方トップの事務次官の上に「政務3役」が位置する仕組みは変わらず、結果的に今回のような副大臣・政務官の不祥事でも、首相の任命責任が問われることになった。

国際的に大恥となった「副大臣・政務官はすべて男性」

そもそも、今回の人事で、当初は54人の副大臣・政務官がすべて男性という過去例のない陣容となり、「国際的に大恥をかいた」(外務省幹部)という経緯もある。

これは、過去の「政務次官」人事と同様に、副大臣・政務官の人事は各派閥の代表として幹事長の下に集まる副幹事長たちが「お互いに貸し借りしながら人事を決める慣習」(自民長老)が続いているからだ。このため「首相は関与できず、しかも官邸でチェック役となる官房長官、副長官と政務の秘書官らが、まったく機能しなかった」(同)のが実情とされる。

今回の「自民ドミノ」を受けての最新の世論調査でも内閣支持率が30%割れの危険水域となる一方、自民党の支持率も下落が際立ち、特に自民支持層の「岸田離れ」が目立ち始めている。

これを意識してか、高市早苗・経済安保相が15日に「『日本のチカラ』研究会」という名称の勉強会を立ち上げるなど、「ポスト岸田」を視野に入れた動きが具体化してきた。「党内の反岸田勢力の旗頭」(自民長老)とされる菅義偉前首相や二階俊博元幹事長もここにきて密談を繰り返し、岸田首相を揺さぶる構えだ。

こうした「政権危機の現実化」(官邸筋)を打開すべく、岸田首相は15日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のため、アメリカ・サンフランシスコに向け、出発した。滞在中は中国の習近平国家主席との日中首脳会談やバイデン大統領との日米首脳会談などを実現し、「岸田外交の成果を内外にアピールことで政権危機回避への活路を見出す考え」(官邸筋)とされるが、与党内でも「いったん失った政権への国民の信頼は、簡単には取り戻せない」(首相経験者)との声が支配的だ。

(泉 宏 : 政治ジャーナリスト)