自由にやってきたけど、何も残らなかったという今の40〜50代は多く……(写真:マハロ/PIXTA)

ロンドン・ビジネス・スクール経営学教授のリンダ・グラットン氏らが著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』で提唱した「100年時代の人生戦略」は、日本でも一大ムーブメントを起こし、高校生向けに『16歳からのライフ・シフト』も刊行された。

選択肢が増え、多様化する人生100年時代に、私たちは何を学ぶべきなのか。気鋭のジャーナリストであり自らも「ライフ・シフト」を実践してきた佐々木俊尚氏が『16歳からのライフ・シフト』を読み解き、人生100年時代に必要な能力を解説する。

「何を学ぶか」が急速に変化している時代

今、「何を学ぶか」は急速に変わってきていると思います。正解がある問いなら、ChatGPTに聞けばいい。すぐに答えてくれるでしょう。人間に求められているのは、こうした生成AIにでもできる「答える能力」ではなく、「課題を見いだす力」「課題に向き合う力」です。


たとえば地球環境を良くするにはどうしたらいいかという問いには、明確な正解がありません。地球温暖化を食い止めるために脱炭素社会に取り組む、これは一つの答えでしょう。

しかし一方、安価なエネルギーを必要としている発展途上国にとって、脱炭素は貧困を解決する手段にはならず、むしろ増大させる可能性すらあります。トレードオフが生じるのです。すると、どこまで温暖化対策をして、どこまで貧困対策に取り組むのか、このバランスを考えるのが人間の仕事になります。

生成AIが今後さらに進化していけば、今のプロンプトエンジニアリングといわれる、まるでプログラミングをするかのような精緻な問いを投げかけなくても、もっと自然な形で答えてくれるようになるでしょう。しかしそれでもなお、「何を聞くのか」「どこまで問いを深めるのか」という、探究の軸となる部分の重要性は変わりません。

私はずっと、日本の20世紀はパッションの時代、21世紀はロジックとエビデンスの時代だと言ってきました。かつては、ふわっとしたパッションだけで何かを語っていればよかったんです。

よく知られているのが「風の息づかい」論です。2005年に起きたJR羽越本線脱線事故で、『毎日新聞』の社説が「風の息づかいを感じていれば(事故の原因となった突風の)気配をつかめたのではないか」と批判しました。いかにも20世紀の日本的な書きぶりです。

しかし今、特にインターネット上では、そんなパッションよりもロジカルであること、エビデンスがあることが重視されています。AIとの対話が増えれば、人間のコミュニケーションにも大いに影響を与え、今後ますますロジカルとエビデンスが重要になってくると思います。

専門性を高め、その道のスペシャリストに

さらに今の社会を難しくしているのが、それぞれの分野で専門性が高まっていることです。SNSで少し専門的な分野について意見を言おうものなら、その道の専門家や研究者がたちどころに現れ、詳しく意見を言ったり反論したりします。したがって、ある分野の知識をどこまで深めるかは見極めが難しいのです。

とはいえ、これからはジェネラリストではなくスペシャリストが求められる時代であることは間違いありません。今の若い人は管理職になりたがらないという話を耳にしますが、気持ちはわかります。残業手当がつかなくなるという金銭的な理由もありますが、何より管理職というマネージャーになっても得られる知見がないですから。

私の知り合いで、広告デザイナーとして転職を繰り返し、キャリアを積んできた女性がいます。最初は広告制作会社でデザインの基礎を学んでいましたが、10年ほどして、全体の中の広告の位置づけを知りたいとメーカーの広告制作部署に転職しました。さらに最先端のアドテックを学びたいとテック系の広告会社に行き、今ではデジタルメディアについて勉強を続けています。

彼女は、管理職の仕事が来ると断ります。でも、時代の変化をつねにキャッチアップしているから40代になっても転職できるし、若手が出てきても恐るるに足らず。余人をもって代えがたい知識とキャリアを身につけているのです。

最近では、管理職の専門家を外から招くスタートアップの話もよく聞きます。事業が軌道に乗り従業員が増えると、それをマネジメントする人が必要になり、その道の専門家に来てもらうというわけです。Googleはその典型でしょう。創業者はラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの2人ですが、のちにエリック・シュミットという著名な経営者にCEOとして入ってもらいました。

管理職=偉い、という時代でもなくなりました。昭和の時代の管理職といえば、年功序列で偉くなり、ひたすら書類にハンコを押すというイメージでした。平成の時代は、部下に厳しいノルマを課して叱咤激励。

令和の時代はそのどちらでもなく、チームの力をより引き出し、人間関係の調和を図ることが求められています。これも一つの専門職です。広い意味でのコミュニティマネジメントと言ってもいいでしょう。AI時代に生き残る可能性の高い仕事でもあると思います。

自分の中に「軸」を持とう

コミュニティマネジメントは、人生100年時代に必要な能力の一つです。ライフ・シフトといっても、いきなりステージを変えるのはそう簡単ではありません。昭和の営業マンがある日突然、DXができるようにはなりません。ただ、自分の中で軸を持って対人関係を築いていくことは、スムーズな移行を助けます。

「軸を持つ」とは、たとえば私の場合なら「ものを書くこと」でしょうか。テーマは時代によってどんどん変わります。当初はITが大きなテーマでしたが、テクノロジーがカバーする領域はここ20年、SNSやAIの登場で格段に広がりました。その広がりに自分も合わせていっているという感じです。

もちろん中学生や高校生の段階で、何か明確にやりたいことが見つかっている子は少数でしょう。「ずっとクリエイティブな仕事がしたい」「ものづくりがしたい」といった漠然としたものでいいと思います。いずれにしても自分の中に何かしら軸がないと、何をやっていいかわからない。社会に出ても、結局はリスキリングなどという世の中の流れに振り回されるだけになってしまいます。

本書の中で特に大事だと私が感じたのは、「無形資産」の話です。無形資産には、スキルなど所得を得るための生産性資産、心身の健康などの活力資産、変化に柔軟に対応する変身資産などがありますよね。このうちの生産性資産においては、スキルを身につけるためにハードワークもいとわない、という時期があってもいいのではないでしょうか。

私にとってそれは、12年間の新聞記者時代です。めちゃくちゃつらい労働でしたが、その間に体に染みついたインタビュー能力や原稿を早く書く能力は、いまだに大いに役立っています。死ぬほどつらい労働をさせられたからこそ、体が覚えているのです。

もちろんブラック企業を推奨しているわけではありません。しかし一方で、多くの企業がホワイト化しすぎて、若手にとっては物足りなくなっているという現実もあります。

俯瞰して自分を見ることの重要性

ハードワークとブラック労働の境界線は何かといえば、逃げ場があるかどうかです。精神的に追い詰められて、なおそこにしかいられない。この世界以外に自分がいることが考えられない。こういう状態になってしまっては、心身共に疲弊し、最悪の場合は死を選んでしまいます。

だから逃げてもいい、逃げ場を作るというのは、実はとても大事なことです。いまどき転職なんて特別なことでも何でもない、いつでも外に出ていいんだと認識することができるかどうか。

そのうえで、「今はこのスキルを身につけるために、多少きつくてもしょうがない」「ここは修羅場だ、しかし今が正念場だ」と思うことです。その意味で、自分を俯瞰して見る目を持つことは非常に重要です。

これは、地図を読むことに通じるものがあります。鳥の目線で俯瞰して見ることができれば、自分がいる会社の外にも世界が広がっていることがわかります。目の前の曲がり角を曲がり損なっても、次で曲がればいい。あるいはいったん戻ってみてもいい。あるいは10年先の自分を想像して、今の仕事が本当に10年後の自分にとって必要かを検証してみることもできます。

最短ルートでなくても、どういう道筋を歩んでいくのかをつねに考えておくこと。そのためにも「軸」は必要でしょう。これは意識的に行わないとできません。漫然と生きないことです。

「自由であること」は幸せか?

長い100年人生、自由に生きていいと言われても、戸惑う人は多いと思います。自由に価値を感じられるのは、不自由な時代を知っているからこそ。恋愛はまさにそうでしょう。自由恋愛が楽しかったのは昭和の頃までで、今では単に恋愛強者が恋人を作るだけだという非モテ論争が長く続いていますよね。

自由な恋愛は楽しくない。いっそお見合いのほうがいい。なぜなら結婚相手に多少不満があっても、自分が決めた相手ではないから我慢もできる。

自由恋愛で結婚した場合、相手を否定したら、その相手を選んだ自分をも否定することになってしまいます。自由には自己責任が伴うわけです。

1990年代半ばの就職氷河期を経て、2000年代には非正規雇用が圧倒的に増えました。この頃、ホリエモンや勝間和代氏がメディアを賑わせ、自由に生きて金を稼げばいいという考えが一世を風靡しました。

その頃の若者は、今では40代〜50代です。自由にやってきたけど、何も残らなかったというのが現状ではないでしょうか。何かのサロンで自己啓発に励むより、地味だけどいかに平穏な生活を維持できるかのほうが重要だという方向に、日本のフェーズが変わっていっていると私は思っています。

今求められているのは、成功とか成長より、持続性ということです。それはライフ・シフトの思想と反するどころか、むしろ一致しています。たとえば今、経済的自立と早期リタイアを意味するFIREがブームですが、本当に幸せなのでしょうか。FIREで人生を終えた人はまだいないので、その後の長い人生をどう生きたか、それは幸せだったのか、まだ感想は聞けません。

その前のネットバブルで成功してFIRE的な人生を送っている人はどうかというと、過去の栄光を自慢するだけで、正直あまり幸せそうではありません。すると人間は、本質的に社会と関わっていること、何らかの形で貢献していることに生きている喜びがあるのではないでしょうか。どんなに人生が長くなっても、持続して社会と関わりを持ち続ける人生のほうが幸せなのではないかと思います。

大事なのは、継続して人と関わること

社会と関わるとは、人と関わるということです。詰まるところ、より良き100年人生とは人間関係に集約されるのではないでしょうか。お金は食べていく分があればいい。車を何台も持っていたって、乗るのは1台だけです。

人と人がつながれば、そこにコミュニティが生まれます。同じ業種同士でつながれば、おのずとさまざまな情報に触れることができます。


『16歳からのライフ・シフト』の特設サイトはこちら(画像をクリックするとジャンプします)

よく知られているのが、アメリカの社会学者であるマーク・グラノベッターが提唱した「弱いつながり」です。たとえば転職するにしても、家族や親しい友人ではなく、何かの勉強会で一緒になったとか、たまにしか会わないといった人たちから有用な情報がもたらされる。情報が共有されすぎていないからこそ、新しい発見があるのです。

こうしたコミュニティに属するには、何より軸を持ち、専門性を磨くことが大事です。そうしているうちに、自分が持っているスキルや専門性を頼ってさらに人が集まってきます。

繰り返しになりますが、専門性を磨くには、逃げ場は用意しつつ、ある程度プレッシャーがかかる仕事も経験しておいたほうがいい。結果的にコミュニティはついてきます。良き人々と関わり続けること。それが100年人生を生きるために最も大切な無形資産ではないかと思います。

(佐々木 俊尚 : 作家・ジャーナリスト)