60年ほど前の1964年12月22日、世界最速の実用機といわれるSR-71「ブラックバード」が初飛行しました。この機体、すべてが専用設計で運用コストはケタ違いだとか。燃料も特注品のため、空中給油機も専用のものだったそうです。

最初の東京オリンピックの年に初飛行した「怪鳥」

 飛行機に限らず、自動車やバイク、鉄道、船など、様々な乗りものにおいて「世界最速」を記録したものが存在します。それは空を飛ぶものも同様であり、世界最速の航空機として記録されているのがSR-71「ブラックバード」です。


世界最速の記録をいまだに保持し続けるSR-71(写真:NASA)。

 SR-71が初飛行したのは1回目の東京オリンピックが開催された年、1964(昭和39)年12月22日のこと。同機はアメリカ空軍向けの偵察機として開発されましたが、元々はA-12と呼ばれる機体で、これはロッキード社(現ロッキード・マーチン社)の高等開発部門「スカンクワークス」がCIA(アメリカ中央情報局)向けに極秘開発した、いわば「スパイ機」でした。

 A-12の目的は、他国の空域や危険地域を強行偵察することで、当然ながら地対空ミサイルや戦闘機による迎撃を想定し、それから逃れるために高高度を高速で飛行することが可能でした。このような類まれなる性能を持つA-12にアメリカ空軍は目をつけ、自分たちも採用を決めます。その結果、A-12を改良する形で生まれたのがSR-71なのです。

 SR-71は飛行高度と速度に特化していたのが特徴といえます。ゆえに、それらに関連する有人航空機としての2つの世界記録を保持しており、飛行高度は8万5069フィート(2万5929m)、飛行速度はマッハ3.3(3529km/h)で、両方とも1976(昭和51)年7月28日に2機のSR-71が別々の場所で達成しています。

 また、地点間の飛行記録についても1974(昭和49)年にニューヨークからロンドンまでを1時間54分、1990(平成2)年にはロサンゼルスからワシントンDCへのアメリカ本土横断飛行をたったの67分でそれぞれ達成。これらの記録は2022年現在も他の航空機には打ち破られておらず、SR-71は輝かしい金字塔を打ち立てています。

 この韋駄天の偵察機は、望む場所を望む時に見ることができるアメリカ合衆国の目として活躍し、1960年代以降の冷戦時代には世界中の危険地帯を超音速で飛び回りました。

「撃墜ゼロ」の圧倒的性能

 SR-71は、末期のベトナム戦争や、1973(昭和48)年の第4次中東戦争、1986(昭和61)年のリビア爆撃(作戦名エルドラド・キャニオン)などで実戦投入されたほか、戦争状態ではないものの旧ソ連(現ロシア)やキューバ、ニカラグア、北朝鮮といった対立陣営の国々への偵察活動も行っています。

 なお、任務中には相手側から迎撃を受けることもあり、長期に渡ったベトナム戦争での活動では、その期間中にSR-71に対して約800発のミサイルが発射されましたが、自慢のマッハ3の飛行性能でこれらを回避。1999(平成13)年の退役まで、相手からの攻撃によって撃墜された機体はゼロという記録も打ち立てています。


ハンガー内で離陸準備を行うSR-71。機体下には燃料が漏れているのが分かる(写真:アメリカ空軍)。

 人類史上最速の航空機だったSR-71ですが、そんな超高性能機を“撃墜”したのは、「予算」という現実的な要因でした。マッハ3で飛ぶSR-71は、あらゆる点で従来の航空機とは異なっており、多くの部品が規格外の特別製。ゆえに、運用するには膨大な手間とコストが必要となるのがネックでした。

 マッハ3で飛行していると、空気の圧縮による空力加熱によって、機体表面は約300度まで熱せられ、エンジンノズル付近では約650度までなるとか。この熱対策のために機体の9割がチタン合金で作られましたが、それでも超音速飛行時には熱による膨張で機体が約9インチ(約22.86cm)も伸びるため、機体は冷えた地上では隙間が生じるという設計となっていました。このため、地上で燃料を入れると、その隙間から燃料が漏れ出すという特殊な仕様だったようです。

 パイロットは重量18.1kgもある、宇宙服のような完全与圧服を着用。これは後にスペースシャトルのクルー用スーツとしても流用され、本当に宇宙服になってしまった一品です。タイヤは高温でもパンクしないようにアルミニウムパウダーを練り込んで窒素ガスを充填した特注品を使用。このタイヤは1本で2300ドル(約30万円)もしますが、使用回数制限は20回程度しかなかったといいます。

燃料すら専用品「金食い虫」SR-71の実態

 燃料も高温に耐えられるJP-7という特別なものがわざわざ開発されています。SR-71の過酷な運用環境でも問題なく使用できるものの、合成燃料のため製造に手間が掛かり、この機体のみで使われるために大量生産によるコストダウンも望めないというシロモノ。そのため、1時間ほど飛行すると燃料代だけで1万8000ドル(日本円で約237万円)もかかったといわれています。

 加えてJP-7は専用燃料だったために、燃料を補給する空中給油機も専用の装備が必要となりました。アメリカ空軍ではKC-135QというSR-71専用の空中給油機が56機も準備されました。


JP-7専用の空中給油機KC-135Qから空中給油を受けるSR-71(写真:アメリカ空軍)。

 マッハ3で飛行するSR-71は常時アフターバーナーを使用して飛んでいる状態であることから、偵察任務では複数回の空中給油が必須でした。このため、予備機も含めると複数のKC-135Qを準備する必要があります。たとえば1973(昭和48)年の第4次中東戦争における偵察任務では、10時間のフライトで6回の空中給油を行いましたが、その時には1機のSR-71のために予備機も含めて14機ものKC-135Qが準備されたといいます。

 このように、SR-71のマッハ3という速度性能は膨大なコストの上に成り立っていたといえるでしょう。燃料や備品だけでなく航空機に関わるすべてが特殊なため、機体を維持するための支援体制がこの機体だけに用意される特別なものとなっていました。これらの経費を合わせると、SR-71の運用コストは1時間あたり約20万ドル(約2632万円)、年間の費用は2億ドル(約263億円)以上だったとか。

 だからこそ、国防予算が潤沢であった冷戦期ならともかく、旧ソ連が崩壊し、国防予算の見直しが行われると、高コストだったSR-71は真っ先に削減の対象になったのです。

「世界最速」は偉大!? 全米各地に残るSR-71

「最速の航空機」という能力にはブランド的な魅力もあったためか、軍人だけでなく政府関係者の間でもSR-71の運用継続を求める声が上がったようですが、別手段である偵察衛星の発達や無人機の開発が決め手となり、アメリカ空軍から退役することが決まりました。


試験機としてNASAに引き渡されたSR-71(写真:NASA)。

 その後、3機のSR-71が超音速飛行の試験機としてNASAに引き渡され各種試験のために飛行を続けます。1995(平成7)年には議会の働きかけでSR-71を現役復帰させる動きもありましたが、最終的に予算が付かず1998(平成10)年にこの機体がアメリカ空軍から完全退役。NASAの試験機も1999(平成11)年10月の最終飛行を持って運用を終了しました。

 SR-71はもう二度と飛ぶことのない過去の機体です。しかし、それが打ち立てた記録はいまだに破られておらず、航空機の歴史ではその名前は輝きを失っていません。

 今年(2022年)に公開された映画『トップガン マーヴェリック』では、マッハ10で飛行する架空の実験機「ダークスター」が登場しましたが、その監修とモックアップの製作にはSR-71を開発した設計チーム「スカンクワークス」が協力しており、その設定に一番の影響を与えたのは間違いなくこのSR-71だと思われます。

 なおSR-71は退役したとはいえ、その抜群の知名度から全米中の博物館や基地ゲートガードとして複数機が現存しています。そのため、その姿は「世界最速」のフレーズとともに、いまだ比較的簡単に見ることができます。