ひと昔前は日本にも頻繁に飛来していたC-141「スターリフター」輸送機。軍用ジェット輸送機のデファクトスタンダードとなった機体ですが、実は3度の改良を受けていました。ベトナム戦争や湾岸戦争などで重用された傑作機を振り返ります。

アメリカ軍の巨大ロジスティクスを支えるために誕生

 今から60年ほど前の1963(昭和38)年12月17日、ロッキード(現ロッキード・マーチン)社が開発した4発エンジンの大型輸送機、C-141「スターリフター」が初飛行しました。1960年代後半から1990年代初頭には、ほぼ毎日のように横田基地を中心とした日本各地のアメリカ軍基地でその姿を見ることができたC-141。同機が果たした意義とともに往年の勇姿を振り返ってみましょう。


1984年8月、モフェットフィールド海軍航空基地(当時)で飛行展示するアメリカ空軍のC-141B「スターリフター」輸送機(細谷泰正撮影)。

 世界規模で部隊を配置しているアメリカ軍は独自の巨大な物流網を持っています。それは陸海空の三軍統合システムとして運用され、陸軍が陸上輸送、海軍が海上輸送を担っているように、空軍は航空貨物輸送を担当しています。

 1960(昭和35)年当時、長距離の航空貨物輸送の主力はC-124「グローブマスターII」やC-133「カーゴマスター」などでしたが、それらはプロペラ機であったため、より近代的な軍用輸送機として、実用化されたばかりのターボファンエンジンを装備した軍用輸送機としてロッキード社が開発したのがC-141「スターリフター」でした。

 なお当時、ロッキード社では軍用だけではなく民間の貨物機としても航空会社へ売り込もうと計画していました。そのため機体開発と並行して連邦航空局(FAA)の型式証明を取得する作業が進められます。一方で、開発自体は順調に進み、アメリカ空軍への引き渡しは1964(昭和39)年からスタート、翌1965(昭和40)年から空輸任務へ就くようになりました。

 部隊運用を開始してみると、プロペラ機より高い高度を高速で飛行できるC-141の評価は高く、ベトナム戦争に伴う輸送量の増加も要因となり、当初は132機の調達計画だったものの、最終的にその2倍超となる284機が生産されています。ベトナム戦争終結後は戦場で捕虜となり現地に取り残されていた兵士たちのアメリカ本国への帰還にも使用され、別名「ハノイ・タクシー」とも呼ばれるようになりました。

後継機の配備遅れで2度の延命

 C-141はジェット輸送機としては貨物の空中投下と空挺降下を初めて可能にし、南極大陸に着陸した初のジェット輸送機としてのタイトルも獲得しました。ただ、実際に就役してみると搭載重量には余裕があるのに貨物室が満杯になってしまうことが判明。

 この問題の解決のために胴体をストレッチすることで貨物室の容積を大きくする改造が行われます。この改造では胴体の延長と同時に、胴体と主翼を結合する中央翼部分の交換も検討されましたが、1990年代の就役を目指した次期輸送機計画(後のC-17)が始まっていたため、結局、中央翼はそのままとされました。


1984年8月、トラビス空軍基地(当時)で飛行展示を行うC-141B「スターリフター」輸送機(細谷泰正撮影)。

 そのため、胴体の延長以外には空中給油受油装置の設置と主翼付け根のフェアリングを新しい形状に変更する改造が施されます。新しいフェアリングは気流を巧みに調整することで主翼構造への負荷軽減と巡航時の抵抗減少が図られました。こうした改造により270機がC-141Bとして生まれ変わっています。

 1990(平成2)年に始まった湾岸戦争の際には、空軍予備役と州空軍所属のC-141Bも投入され、空輸ミッション総数1万5800回のうち7000回以上がC-141Bにより行われました。これにより、C-141Bは延べ輸送人員4万1400人、貨物13万9600tという輝かしい実績を達成しました。

 しかし1990年代後半になると、前述した中央翼の交換を伴わない胴体ストレッチと飛行時間の累積などが原因となり、構造材に亀裂が発見されるようになります。ところが、後継機C-17の配備が遅れていたため、検査間隔を短くして必要に応じて補強部材を取り付けるなど、いうなれば「延命措置」が実施されました。

 さらに、C-17配備の遅れに対処するための抜本的な対応も実行されます。C-141Bの63機を対象にグラスコックピット化などの近代化改修が行われ、これらはC-141Cとなりました。

 ただ、2000年(平成12)以降は、徐々にC-17と交代していき、2005(平成17)年にハリケーン・カトリーナで被災したアメリカ南部への救援ミッションが最後の活躍となりました。翌2006(平成18)年には、最後の1機がオハイオ州デイトンの国立空軍博物館まで飛行。このフライトを持って、C-141「スターリフター」は全機退役しています。

民間機市場で営業するも売れず……。

 なお、民間機としては1965(昭和40)年に「ロッキードL-300」としてFAAの型式証明を取得。同社は民間航空会社に向けた販売活動を行いましたが、受注を獲得することはできませんでした。そのため、航空会社向けのデモ機として用いられた機体はNASA(アメリカ航空宇宙局)に引き取られ、「カイパー空中天文台」に改造されています。

 同機は、地上から観測すると、大気による光の拡散の影響を受けてクリアに宇宙を観測することができないことから用意された“空飛ぶ天体望遠鏡”といえるもので、胴体をストレッチする前、すなわちC-141Aの形態を残した機体に口径36インチ(91.4cm)の反射望遠鏡を搭載しています。

 これにより、高度4万1000フィート(約1万2500m)から4万5000フィート(約1万3700m)を飛行しながら天体観測を行うことが可能です。


1986年5月、モフェットフィールド海軍航空基地(当時)で展示されたNASAの「カイパー空中天文台」(細谷泰正撮影)。

「カイパー空中天文台」は、1974(昭和49)年からカリフォルニア州の旧モフェットフィールド海軍航空基地に隣接して設けられていたNASAエイムズ研究所を拠点に観測飛行を開始します。その後、天王星の輪を発見するなどの成果を残し1995(平成7)年にその任務を終えました。

 ちなみに、同機の後継が、2022年秋に退役したSOFIA(成層圏赤外線天文台)になります。こちらはボーイング747SPを改造した機体で2007(平成19)年より飛行していました。

 C-141「スターリフター」は、後に軍用輸送機の定石にもなったデザイン、すなわち胴体の上に下反角のついた後退翼を配置してT型の尾翼を備えた形態を確立した機体といえるでしょう。この形態は東西両陣営のその後の輸送機に大きな影響を与えました。

 C-141の最後の飛行からすでに16年が経過しましたが、現在、世界各国で開発・生産されている多くの輸送機にはC-141のDNAが受け継がれているように思えます。