少年よ、大志を抱け!

写真拡大

大学受験シーズン真っ只中の今週、あるニュース番組で東欧の大学医学部に留学して医師を目指す日本人学生の特集を観た。一部の国内医学部入試において女子受験生と多浪の浪人生が不利に扱われた、いわゆる不適切入試問題の影響により、東欧や中欧の大学の医学部を志望する女子学生が急増中だという。特集の冒頭では最近九州で開催されたハンガリー国立大学医学部の入学説明会の様子が紹介されたが、今年は例年より4割多い参加者が集まり、その6割は女性だった。

ただ、東欧や中欧の医学部留学という選択肢は、日本に比べると学費や物価の面でも入学難度の面でもかなり低いというメリットがある一方で、入学後の進級や卒業に関しては、言葉の問題を別にしても日本の大学医学部とは異なる厳しさがあるようだ。

この番組を観ながら一つの言葉が思い浮かんだ。

Boys, be ambitious!
(少年よ、大志を抱け!)

「クラーク博士」として広く知られるアメリカの教育者、ウィリアム・スミス・クラークの有名な言葉。この言葉の出自を巡っては諸説あるが、クラーク博士が初代教頭を務めた札幌農学校、現在の国立北海道大学を1877年に去る際、教え子たちに贈った言葉とされる。前述の不適切入試問題を念頭に敢えて補足するなら、もしクラーク博士が女子学生も含む教え子たちに向けてこの言葉を贈るとしたら、Boys and girls, be ambitious! と言ったはずだ。

また、 ambitious という語は一般的には「野心的な」と訳されることが多く、ある辞書には「功名心に燃える」という訳語まで掲載されているが、英語ではそこまでネガティブなニュアンスを持つ言葉ではない。平均的なところでは「意欲的な」くらいのニュアンスだろうか。もちろん、クラーク博士のこの言葉においては「大志」という訳語が本人の意図にも一番沿っているだろう。

さて、女性医師問題に限らず、日本の医学部や医療現場はいろいろな問題を抱えている。医学教育のあり方を巡る諸問題、医師の地域偏在や診療科偏在の問題、医師の長時間労働問題も含めた医療機関側の経営問題など枚挙にいとまがない。いずれも数年で解決できるような問題ではなく、その間にも毎年大勢の受験生が医学部を目指し、入学し、卒業して医師として巣立って行く。

2008年から2017年までの10年間という期限付きで政府が主導した医学部の入学定員増加政策により、2008年には7,625人だった入学定員が10年間で9,420人にまで増えた。2022年以降は徐々に入学定員を減らしていくというが、当面、あと2年間は現在の水準が維持される。医師を目指す若者たちには、5年後、10年後、あるいは50年後の医学・医療やそれらを取り巻く環境がどのようになるのかを思い描き、大志を抱いて日々の勉学に励んで欲しいと思う。

僕自身が医学生として大学教育を受けたのは日本だったが、卒業後の1年間、米軍病院でインターンとして修業したのち、1956年から8年間、アメリカの大学病院で働いた。大志を抱き続けて。その後、日本の大学病院での32年間と退職後の22年間を経て87歳になった今、当時の大志をどこまで成就できたのかは自分でも分からないが、大志が無ければここまで長い道のりを歩み続けることは無かっただろう。そして、大志を抱き続けるだけでなく、その時々なりにできるだけ先を見通し、進むべき道を熟慮してきた。

「遠慮無ければ近憂あり」

この「遠慮」は、言葉や行動を慎み控えるという一般的な意味の遠慮ではなく、先を見通した深い考えのこと。「近憂」は身近に迫る心配ごと。「遠く先々のことまで熟慮しないと、目前で心配ごとが起きる」という孔子の言葉、「子曰く、人、遠き慮(おもんばか)り無ければ、必ず近き憂(うれ)ひ有り」に由来する。

この格言に関して興味深いのは、先々のことまで熟慮しないと「いずれ問題が」起きるというのではなく、「目前で心配ごとが」起きるという点。もちろん、心配ごとをそのまま放置すれば深刻な問題に発展することもあろうが、そこまで至るかどうかは分からない心配段階の話とも言える。裏を返せば、「遠慮あれば近憂無し」。遠く先々のことまで熟慮することで、目前の心配ごとは避けられるという楽観的な解釈も成り立つ。

僕が専門としてきた形成外科や美容外科の分野では、怪我などによる傷跡の修復や美容のための外科手術など、生死にかかわるような緊急性は低いケースが多い。だが、患者視点ではとかく目先の結果や効果など即効性が気になり、それが心配ごとにも発展しがちだ。そのような時、専門の医師としては1年後や5年後、時には10年先まで見通した上で、最適と信ずる治療やコミュニケーションを行うことが重要だ。新しい治療法や医薬品、医療機器などが次々登場する近年の医療においてはなおのこと。医師として遠く先々のことまで熟慮することにより、患者だけでなく医師自身も目前の心配ごとから解放されるということは多々ある。僕の医師としてのキャリアも人生も、その積み重ねだったようにさえ思う。

医学部志望者や医学生に限らず、あるいはまさにシーズン真っ只中の大学受験生に限らず、何かしらの職業やキャリアを目指す若者たちには、是非、この言葉を念頭に、目先の心配ごとを取り除いて歩んで欲しい。そして、遠く先々のことまで熟慮する原動力になるのはやはり夢や志だ。

少年少女よ、大志を抱け!

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」