放送業界に蔓延する根深い性差別と職業差別の変化について、小島慶子さんにお聞きした(ⓒ稲垣純也)

TBSアナウンサー時代、とくにラジオでその才能を開花させた小島慶子さん。独立してからはエッセイスト、タレントとして、また近年はジェンダーの視点から鋭い社会批評を展開する小島さんに、「女子アナ」なるもの、そして女性アナのあり方について、じっくり聞いてみた。

就いた職業は「役割」に閉じ込められていた

私がアナウンサーになった理由は、男性と対等に稼ぎたかったからです。大学を卒業した1995年は男女雇用機会均等法の施行から10年目で、一般企業の女性総合職は、成績優秀者ばかりの狭き門。でも、面接と実技試験が中心の放送局のアナウンサーならば、優等生でない私でもなれるかなと思ったんです。 


『GALAC』2019年3月号の特集は「女性アナウンサーという生き方」。本記事は同特集からの転載です(上の雑誌表紙画像をクリックするとブックウォーカーのページにジャンプします)

女性の局アナは、高収入の正社員という意味では勝ち組サラリーマンですが、同時に「職場の華」であることも求められます。男性のホモソーシャルな職場に女性が参入するときには「待遇は対等でも、男性を立てるのが女性の仕事。私はちゃんと女の立場をわきまえます」と、男女平等の踏み絵を踏まされる。それを画面で体現するのが「女子アナ」という存在でした。

局アナは会社の好感度を上げるための要員ですから、人気者になるのも仕事のうち。従順で男性ウケするように振る舞うのもプロ、と自分に言い聞かせたこともありました。

局アナはさまざまな仕事をしますが、ある種の職人技が求められるスポーツ実況を除いては、あくまで「発表係」。ジャーナリストでも表現者でもありません。とても中途半端な立場なんです。華やかに見えますが、放送局のなかでは、ほかの仕事よりも一段低く見られることもあるんですよ。

例えば当時、アナウンサーはニュースを読む際、「てにをは」1つ直すのも、記者に確認を取らねばなりませんでした。渡された原稿をいかにもニュースらしく見せるのが仕事で、記事の内容に意見するのは記者の聖域を侵すこととみなされることも。

とくに女性はあくまで視聴率を稼ぐ「画面の華」で、ニュースを理解する程度の知性は必要だけど、ジャーナリスティックな視点や自分の頭で考えることは求められていません。最近も、一人称で意見を言って番組を降ろされた若い女性アナウンサーがいましたよね。放送局内の根深い性差別と職業差別は変わっていないのでは。

私の上司は宇野淑子さんという民放で初めて定年まで勤めあげた女性アナでした。 「アクセス」 (1998〜2002年担当)という新しいラジオのレギュラー番組の話がきたときに「あなたの財産になるから」と背中を押してくれました。それが入社4年目、26歳のときです。開始半年で、ギャラクシー賞のDJパーソナリティ賞を頂きました。

「アクセス」を立ち上げたプロデューサーの古川博志(現TBSラジオ常務取締役)さんは、「26歳の小島慶子というひとりの人間として話してくれればいい。アナウンサーであることは忘れていい」と言ってくれました。呼吸が楽にできる場所があるんだなとうれしかったです。テレビに出ると、ラジオと同じことをしゃべっても生意気だと言われる。ならば20代の女の身体なんて要らないよ、とも思いました。

「見る・見られる」ってどういうことだろう、映像メディアと音声メディアの違いって何だろう?という問いが生まれて、それがジェンダーやメディアでの表現のあり方などについて考えるきっかけになりました。そういう意味では、ラジオとテレビの兼営局に入ったのは幸運でしたね。

2010年に会社を辞めた後も、自分では、どのメディアがメインかというこだわりはありません。そんな時代ではないですし。そうそう、最初にエッセイを依頼してくれた月刊『文藝春秋』の編集者はラジオのリスナーでした。書けるかな、と心配する私に「しゃべれる人は書ける。しゃべっているつもりで書けばいい」と。このアドバイスは今も支えになっています。

「女子アナ」をめぐる本音と建前のせめぎあい

「女子アナ」の誕生は80年代末。フジテレビの八木亜希子さん、河野景子さん、有賀さつきさんの3人娘が最初ですね。当時の人気企業だったテレビ局が、自社の新人OLをタレント化したのです。女子アナという呼称は、このとき誕生したそうです。あの頃は、テレビの業界用語や内部事情に詳しいことがカッコイイ時代でした。女子アナは、いわば内輪ウケ時代の究極のアイドル。OLがタレントになったのですから、80年代前半の女子大生ブームからの自然な流れと見ることもできそうですね。

女子アナは高学歴で高収入の正社員、いわば超高級OLです。有名企業のお嬢様が言い間違えをして慌てたり、タレントに頭をたたかれたり……というギャップが、当時は珍しがられました。私が入社した1995年、TBSでは私たち同期女性3人(堀井美香さん、小川知子さん)が、新人ユニットのような感じで引っ張りだこでした。でもアナウンス部では「勘違いしないように! あなたたちはタレントじゃないから」と、厳しく言われました。まだアナウンサーはあくまで日本語のプロであるという建前が生きていたのですね。

ただ、TBSも“天然ボケ”と言われて雨宮塔子さんがブレイクしていましたから、制作部は女子アナブームに乗りたい。いわばテレビ局の本音と建前のせめぎあいの時代でした。後に伺いましたが、雨宮さんもそんな風潮にそうとう苦しまれたようです。

そして2004年の分社後は、アナウンサーも子会社採用に。TBSも2005年採用組からついに建前を捨てて本音に切り替えました。給料は以前の7掛けほどになり、アナウンサーの身分が保証されるのも入社後3年間だけと聞いています。若い女子アナを回転よく使いたいから、人気の出ない人は異動してねという本音を前面に出した形ですね。長い目で育てる気はないですよと。

私が入社した頃は、新人女性アナへの「処女信仰」がありました。基本的には“画面ヴァージン”が望ましいと。ミス名門大や『週刊朝日』の表紙になった子ならいいけれど、商業的なミスコン出身者はNG。ましてや芸能活動をしていたスレた子なんて論外という感じでした。志望者はそうした経歴を必死に隠したものです。

でも今は、元アイドルや学生時代に芸能活動をしていた人を積極的に局アナに採用するようになりました。コストをかけて自前で育てるより、すでに知名度があるほうが即戦力になるという本音を隠さなくなったのですね。

女性アナ志望者が局に求めるものも変わった

採用サイドが建前を捨ててからは、女性アナに求められる資質が変わったと同時に、アナを志望する学生たちの目的も変わっていきます。以前は、高待遇の終身雇用で社会的信頼もあり、親も納得する仕事だからという理由で志望して、運良く売れっ子になったごく一部の人だけがフリーになって飛躍するという形でした。

それが、今はそもそも長居する気はなく、フリーになるための実績づくりとして局アナになる人が多いのでは。逆に、10代でアイドルをやった女性が落ち着く先として局アナを選ぶことも。今や局アナは、アイドルの再就職先であり、タレントの養成所でもあるのですね。もし人気が出なくて異動になっても高給取りのサラリーマンという身分は保証されるという保険付きです。

いずれにしろ職人を目指して定年まで頑張るというタイプは、会社ももはや女性には求めていないのでしょう。社員に高い人件費を払ってニュース読みを教えるより、フリーアナの事務所に発注したほうが効率よく、人材の“鮮度”も高い。しかしそれというのもそもそも女性アナに求めるものが「画面の華」だからです。

学生と企業の思惑が一致しているという点では建前と本音の二枚舌だった頃よりもいいのかもしれませんが、むしろこのことによって女性アナの役割の固定化が進んでいることを懸念しています。

この経過は、CAに似ていると思います。昔のスチュワーデスは空港まで黒塗りで送迎がつくような、超エリート。でもそのステータスは時代とともに下がっていきました。今はまた正社員化が進んでいるけれど、景気の悪いときには契約社員制になって、CAの肩書は単なる婚活道具のように言われて……一見華やかに見えるけれど、もうCAを特権的な仕事とは誰も思わなくなりましたよね。

私は、CAの変化を横目で見ながら、「局アナもいずれこうなる」と思っていましたが、本当にそうなりました。男女平等意識が浸透して、男性社会の接待係という設定は、女性から見て特権的ではなくなってきていますし、テレビ業界自体もかつてほど人気がなくなっていますから、視聴者が昔の局アナに感じたような憧れは、もうないんじゃないかな。今は「もうすぐ女子アナという存在は絶滅するだろう。してしまえ」と思っています。

2018年は、1つの節目になる年でした。4月に財務事務次官のセクハラ問題が報じられ、ニュース番組で女性アナたちが意見を述べました。テレビ朝日の小川彩佳さん、宇賀なつみさん、フジの山粼夕貴さんなども頑張って意見を述べていました。

「モノ申す」女性アナの登場は時代の変化の表れ

これはとても勇気のいることです。エリート中のエリートの男性官僚がメディアで働く若い女性の告発で失脚し、告発した女性記者がネットなどでめちゃくちゃにたたかれました。そんなときに、彼女たち局アナは声を上げました。メディア組織の奥座敷で箱入り娘みたいに大事にされ、局の看板娘でもある女性アナは、いわば最も声を上げにくいところにいます。

セクハラは許せないとか会社の姿勢に疑義を呈する意見を述べても1つも得することはないのに、どうしても言わなくてはならないと思った女性アナが何人もいたのです。#MeTooのニュースも、NHKの鎌倉千秋さんが熱心に伝えていました。

おまえたちは男尊女卑の構造でむしろ特権を得てきただろう、と言いたくなるでしょう。そのとおりです。だからこそ、女性アナたちにはその屈辱感や忸怩たる思いと「この構造を変えなくては」という切実な思いがあるのだと思います。それを内部にいながら口にすることがどれほど勇気がいるか、私には痛いほどわかります。

女性であることだけでなく、サラリーマンであることがどれほど意見を言いにくい立場かを考えれば、皆さんも彼女たちの勇気が想像できるのではないでしょうか。しかも何千万人の目に触れるところで言うのですから。

あぁ、こういう時代が来たんだなって、とても心強く思います。女性アナにとって最もモノが言いにくいのがニュース番組です。そこでモノ申す女性アナが出てきたことに多くの人がエールを送りましたし、降板が決まったときに批判も起きました。テレビ局の感覚と世の中の感覚が違うことを示しているのではないでしょうか。

また、元NHKの有働由美子さんは「あさイチ」で新しい女性アナ像を作ったと思います。画面の華ではなく、リアルな女性としての存在感を打ち出して視聴者の共感を得ましたよね。

先日、フジの佐々木恭子さんと、女性アナウンサーは実に“不思議な”職業だけれど、ちょっとずつ変わってきているよねと、しみじみ語り合いました。最近は研修でもおバカキャラを狙うのはやめなさいと再三言うようになったそうです。「女子アナ」という言葉を作ったフジテレビがですよ(笑)。

女性を半人前扱いし、お飾りや素人的な役割を求める構造に、世間はいい加減飽きている。年齢も専門性も、もっと幅広く多様な女性がテレビ画面に登場すれば、共感が得られるのではないでしょうか。だって実際の世界はそうですから。女性はテレビで見るよりも、もっと複雑で意志的な存在ですよね──ここからメディアのなかの女性の役割が変わっていくといいな、と思います。(談)