勝たなくてもいいんだよ、克てば!

勝利至上主義というものを、みなさんはどうお考えでしょうか。勝負は勝たなければ意味がないという意見はよく聞きます。最近はサッカー・ワールドカップが近いこともあって、勝つためにはどうすべきかという議論も盛ん。代表チームの現状を憂う識者は「このままじゃ3戦全敗だ」と厳しい声を上げたりもしています。「3戦全敗」が絶対悪であるかのような怪気炎を上げながら。

僕は最近、ネットを通じて対戦するゲームを遊んでいるのですが、そこでは勝利至上主義の弊害を感じています。見知らぬ誰かと1対1の勝負をするとき、対戦前に相手の戦績が表示されるのですが、ときおり「300勝0敗」などの「お前はグレイシー一族か」という輩が登場します。一見すると大変な強者のようですが、この手の輩は大抵が二流どころ。試合で負けそうになると、決着がつく前に電源を切って逃げ出すのです。負けを認めること、負けから何かを得ることを放棄した彼らの姿は、勝利至上主義の弊害そのもの。

本当に勝利だけが大切なのでしょうか。敗北はいけないことなのでしょうか。勝てば嬉しい、勝てば楽しい、勝てば色々なものが手に入る、それは確かです。しかし、勝負には相手があり、お互いが勝利を目指しているもの。一方が勝てば一方は負けるのです。そんな中で「勝たなければ意味がない」というのはもったいない考え方。負けて得るものもあるのです。敗者だけが演じられるドラマもあるのです。「勝ち」と同じだけ存在する「負け」を楽しめたなら、勝負のすべてが楽しくなるのです。そう考えれば「3戦全敗」も悪いもんじゃありません。3回も楽しめるんですから。

どうしても何かに勝ちたいなら、「自分」と戦えばいいのでは。金メダルや世界記録と同じくらい「自己ベスト」は素晴らしい結果です。天賦の才の差や、相手側の自滅など、言い訳する余地のない対戦相手…それは自分自身。勝つのではなく克つことを大切にしてはどうでしょう。0勝3敗という惨憺たる結果も、0勝3敗3克にすることはできます。逆に3勝するよりも3克の方が難しい場合もあるでしょう。間違いないのは、醜い3勝はあるかもしれないが、醜い3克はあり得ないということ。勝利至上主義ではなく克己至上主義でいきたい…僕はそう思うのです。

そんなことを思いつつ、勝利至上主義に時速150キロの一石を投じた桑田真澄さんの考えについて、先月30日のTBS「S☆1」からチェックしていきましょう。



◆ラモスが威風堂々の「何やっても勝ちゃいいんだよ主義」でワロタwww


プロ野球を学問する男・桑田真澄。前回の番組出演時には1000本ノックの無意味さ・精神主義的練習を断じ、ノックなんか1日10本で十分だと主張。世間で大きな議論を巻き起こしました。そんな桑田氏が今回噛みつくのは「勝利至上主義」。桑田氏のように勝ち続けて今の地位を築いた人が「勝利」を否定するというのは意外な話。

しかし、かのヨハン・クライフも「美しく負けることを恐れるな。無様に勝つことを恐れよ」と言ったといいます。かのテリーマンも「世の中には勝利に値する敗北がある」と語り、新幹線にひかれそうな子犬を救ったことがあります。勝利以上に価値があるものとは何なのか、桑田氏の意見を拝聴していきましょう。

勝利至上主義の誕生は、旧制一高(現在の東京大学)にあると語る桑田氏。1872年にベースボールを日本に伝えたホーレス・ウィルソン、フェアプレーの精神を伝えたフレデリック・ストレン、ベースボールを野球と翻訳した中馬庚、3人の男の邂逅により誕生した日本野球。その中のひとり、中馬庚によって「勝利至上主義」が生まれたのだと桑田氏は語ります。

きっかけとなったのは1890年5月17日に、一高VS明治学院の試合中に起こったインブリー事件。明治学院が6-0とリードした試合中に、明治学院の講師・インブリー氏が塀を乗り越えて試合場に入ってきたというのです。敗戦ムードに苛立つ一高の面々は、礼を欠いたインブリー氏の行為に激昂し、ボコボコにしてしまったのだとか。中馬庚はその光景を前に、「俺たちが勝っていればこんなことにはならなかった」と猛省。それ以来、勉学を忘れ野球漬けの日々を送り、見事明治学院に雪辱を果たしたのだとか。これこそが勝利至上主義の起こりなのだと桑田氏は説明。

↓さらに桑田氏はインブリー事件の分析を通じ、勝利至上主義を育むのは「寮生活」であると指摘!

桑田:「今インブリー事件というのを紹介しましたが、この頃に日本の超エリートである一高に寮とグラウンドができるんです。一日中練習する環境が整ったんですよね。一日中野球だけやる、バランスを欠いた猛練習ですよね。勉強もしない。野球だけだ。何がなんでも勝たなくてはならない。どんなことをしても勝つという価値観が生まれてくるんです」

「寮が完成」

「一日中練習できる」

「バランスを欠いた猛練習」

「勝利至上主義の誕生」

そうなの!?

今すぐ全国から寮を撤廃しなきゃ!


そして桑田氏は自身もプロとして勝利がすべての世界で生きてきたが、もっと大切なものがあるのだと語ります。スポーツマン精神、フェアプレー精神、プロセスを大事にすること、それらの方が勝つこと以上に大事なプラスアルファなのだと。桑田氏のこの意見に、アフロやヒゲなどスタジオの勝利至上主義者たちもヒートアップ。活発な意見交換が始まります。

魔裟斗:「フェアプレー精神も大事だけど、負けてはプロとして意味ないんじゃないか」

ラモス:「日の丸背負った決勝戦だったら何やってもいいと思いますヨ!ルールの中でね!」

桑田:「じゃあ例えば魔裟斗さんの場合、反則・反則・反則で得た勝利に意味はありますか?」

魔裟斗:「反則では意味ないですけど、勝つっていうことは大事」

ラモス:「僕が言いたいのは、昔は痛み止めも射たなかったじゃないですか。ヒザグルグルまいて試合出たらいけないとかどーのこーの。この試合最後だと思ったら何しても出たいのネ。そういうコト!」

ラモスwww全然話聞いてねぇだろwwww

どんなテーマで、何に対して発言してんだよwwww


珍しく真っ当な意見を言う魔裟斗さん。魔裟斗さんを反則許容者と断定して議論を進める桑田氏。何を言っているのかわからないラモス氏。野球を学問するどころか「学問する」こと自体に若干のハードルの高さを感じる、三者の噛み合わない議論。そこにランナーズハイの増田明美さん・高橋尚子さんも加わり、さらに議論は白熱。

高橋:「私は桑田先生に賛成!私はプロになって勝たなければいけない、お金をもらっている以上、勝つことが大切だと思ってずっと勝ち続けていたんです。でも2004年の五輪選考会で負けたんですね。それまでは負けたら次はないと思っていて、その年は一年間試合に出れない悪い年だったんですけど、応援してくれる人・支えてくれる人の声が温かくて、一番たくさん嬉し涙を流した年だったんです」

魔裟斗:「僕は支えてくれる人のために勝たなければいけないと思う」

高橋:「勝つのはいいんですけど、勝てなかったときに、温かさとか幸せさとか、知ったことが多かったんです」

増田:「競技性の違いもあると思うんです。魔裟斗さんみたいに相手を倒さなければ倒されるみたいな。でも、やっぱりスポーツって教育性が高いものだと思う。勝つために努力するのは大事だけど、勝たなければ意味がないっていうのは反対」

桑田:「勝つことはいいんですけど、勝ち方ですよね」

魔裟斗:「アマチュアはいいけどプロは勝たなきゃダメだ。高校生なら精神も大事だけど、プロはそれでご飯を食べてるんだから勝たなきゃダメ」

桑田:「その勝ち方も二通りあるとすれば、正々堂々フェアプレーで勝つのと、卑怯なことをして勝つのとどちらがいいですか?」

魔裟斗:「それはもちろんフェアプレーですけど」

ラモス:「フェア、フェア、フェア、それは間違いなくフェア」

高橋:「負けから学ぶことも多いですよね」

ラモス:「多いんだけど、また負けたくないからそのために学ぶデショ。勝つために学んでるんじゃないカナ」

増田:「マラソンはスタートラインに立つまでの準備が大変なんですよ。スタートラインに立ったら第1Rは終わっていて、あとは発表会なんです。だから内容が大事なんです」

魔裟斗:「コッチだって減量したりリングに立つのは大変ですけど、そこで結果を残さなきゃ使われなくなってしまう。負けたら終わりなんですよ」

ラモス:「ジャンケンだって負けるのイヤだよナ!」

<以下要約>
魔裟斗:「勝たなきゃダメだよ」
高橋:「負けて知ることも多いよ」
魔裟斗:「いーや、勝たなきゃダメだ」
増田:「勝たなきゃ無意味なんて意見には反対」
魔裟斗:「いやいやいや、勝たなきゃダメでしょ」
桑田:「卑怯なことしても勝ちたい?」
魔裟斗:「そんなこと言ってないけど、プロは勝たなきゃ終わりだって」
ラモス:「俺はジャンケンでも負けたくナイ!」

魔裟斗さんwwwwwww議論でも負けず嫌いだなwwwwww

スポーツ界の名士たちも意見が割れたこの問題。せっかくの桑田氏の意見を真っ向から否定しようと頑なな魔裟斗さんと、どうしても魔裟斗さんを勝利至上主義の卑怯者と認定したい桑田氏の頑固さ。そしていつも通りのラモス氏。なかなか興味深いやり取りでした。特に存在感をアピールしたのは魔裟斗さん。何を言われても「勝たなきゃダメだ」と繰り返す姿には、凜とした美しさすら感じました。置物のように座っているいつもの放送とは大違いの活躍ぶり。今後は「プロなら喋らなきゃダメだ」という意気込みで、積極的なコメントをしてくれそうですね。


桑田氏が勝利よりも重視するフェアプレーについては今後の放送をご覧下さい!

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