芝浦自転車研究所の疋田智所長が、「巨大フラッシャーの「狂気」いや「侠気(おとこぎ)」。いま懐かしのジュニアスポーツ自転車を振り返る「成立と発展」篇」を公開した。動画では、昭和40~50年代に一世を風靡した「ジュニアスポーツ自転車」の誕生から、方向指示器であるフラッシャーが巨大化していった独自の進化の歴史を解説している。

疋田氏によると、昭和30年代までの日本には子供用自転車が存在せず、大人の自転車のフレームの間に足を入れる「三角乗り」が一般的だった。その後、高度経済成長を経て日本は自転車大国となり、多段変速機付きのレジャー用軽快車が登場する。

1968年、ナショナル自転車が方向指示器として電子フラッシャーを搭載した「フレンディ5」を発売。もともとは安全のための装備だったが、「電子」という言葉に弱い当時の子供たちに大受けし、各社がこぞってフラッシャー自転車の開発に参入した。

スピードメーターと風速計のダブルメーターを備えた富士自転車のモデルや、7石トランジスタラジオとフロントディスクブレーキを搭載したセキネ自転車の「アストロメカ VX-GTO」など、過激なゴテゴテ路線へとエスカレートしていく。「宇宙」を連想させる「アストロ」というキーワードや、学習机までが多機能化していた当時の社会背景も、流行を後押ししたと語る。

しかし、巨大化したフラッシャーは単1マンガン電池を6本も必要とした。当時の少年ジャンプが50円だった時代に、電池1本が80~100円もしたため、子供のお小遣いに「致命傷に近いダメージ」を与えたという。電池代の負担や車体の重さから、フラッシャー自転車のブームはあえなく消えていくかに思われた。

疋田氏は、衰退しかけたフラッシャー自転車に「スーパーカーブーム」という奇跡の神風が吹いたと指摘。リトラクタブルライトなどのスーパーカー要素を取り入れ、さらにとんでもない方向へ進化していく歴史を提示し、昭和少年の熱狂の記憶をひも解いた。

チャンネル情報

自転車ハカセ・自転車ツーキニストの疋田智です。デビュー作『自転車通勤で行こう』(WAVE出版・1999年)からはや四半世紀、ずーっと自転車のことばかりを考え続けて生きてきました。自転車関連の著書は約30冊、自ら発行するメールマガジンは1000号を超え「CYCLE SPORTS」誌をはじめ雑誌連載も色々と複数継続中です。