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みなさんは家で魚を食べたい時に、スーパー、鮮魚店、どちらで購入していますか? 経済産業省などの統計によりますと、鮮魚店は、1982年には全国に5万3,000店以上ありましたが年々減少し、2021年は約5分の1にまで減っています。近年は、スーパーなどでも魚が購入できるようになり、少しずつ、町中から姿を消しているのが鮮魚店です。

【写真を見る】【創業128年の鮮魚店】5代目店主が奮闘「毎週火曜日がバラ寿司の日」次世代に伝え残したい食文化「魚や岡山の食文化伝えるっていうのも "魚屋の仕事"」【岡山】

全国で減少する鮮魚店 奮闘する5代目店主

そんな中、岡山県倉敷市にある店は、魚を食べる文化を次の世代に伝えようと奮闘しています。

「お魚、好きな人?」
「は~い」
「すばらしい」
「こちら」
「マグロ~」
「マグロ、違います、これはサワラ」
「サワラ~」

約10年前から、保育園で魚の話をしているといいます。倉敷市にある鮮魚店の5代目・光畑隆治さんです。

(魚春 光畑隆治さん)
「けっこう、みんなが切り身が泳いでいるぐらいの、極端な話ね、そんな子がいるみたいなことを言っていたから、ちゃんと魚の状態からさばいたのが給食に出てくるという流れとか、命をいただいている、みんな何の気なしに『いただきます』みたいな感じで言っているけど、ちゃんとその『いただきます』の意味をわかってほしいな。魚だけでなく野菜とかお肉とかも、『いただきます』という意味をちゃんと知ってもらいたいというのがある」

時代が変わっても「生きることは食だから」

のどかな田んぼが広がる倉敷市茶屋町に光畑さんの店があります。一見、鮮魚店とは思えないたたずまいの「魚春」は、今年で創業128年になります。

(魚春 光畑隆治さん)
「毎週火曜日がバラ寿司の日なんで、時代が時代なんでね、何でもできるとこじゃないと残らないと言ったら変ですけど、時代に合わせて」

約60坪ある店には、旬の魚介類や刺身はもちろん、魚がメインの手作り弁当や総菜も並びます。週に1日販売するばら寿司には、サワラやアナゴ、ヒラなど岡山を代表する魚がふんだんに使われています。

地元の常連客からの信頼

訪れる多くは地元の常連客です。

(常連客)
「毎日来てるよ、おいしいから。生きることは食だからね、食べることだから、だからおいしいもの食べて少しでも長生きしたい」

魚は魚春で買うと決めているという2人は…。

(客)
「アジ・・・3枚卸で7匹」
「やっぱり(魚のことを)よく知っているし、安心できるし、どうやって食べたらいいっていうのも、色々アドバイスがありますから」

(光畑さん)
「塩して全部して揚げるようにしといたら、それで冷凍しといたら」

光畑さんを手伝う守岡さんです。もともとは鮮魚店を営んでいました。

(魚春 光畑隆治さん)
「お兄ちゃんも鮮魚店の2代目だった。だけどもう、10年前ぐらい前に(鮮魚店を)やめた」
(守岡亨さん)
「そのころ、お客さんの世代が変わっていくというのと、やっぱりスーパー関係。買い物行ったらスーパーでぜんぶそろうが」
「まあ、みんなスーパーで買うようになってしもうた」
「市場が今の場所に移動したときに、1,200軒鮮魚店があったらしい岡山に、この(セリ)番号を持っているのが。で今組合に入っているのが83軒」

魚を食べる文化を次世代に残したい

早朝からセリの声が響く岡山市中央卸売市場です。水産庁によると日本人1人の1年当たりの魚介類の消費量は、ピークが2001年度の40.2キロで、2023年度はほぼ半減。

それに伴うかのように、対面で客のニーズに応える昔ながらの鮮魚店も減少していて、水産物の安定供給に携わっている人からも不安の声が聞かれます。

(岡山県水合 地顕一郎常務)
「食の多様化、いろんなおいしい、魚以外の食べ物がどんどん出てくる中で(魚の)消費量が減るのは仕方がなかったとは思うんですけど、鮮魚店さんは昔ながらの対面での販売をやられてて、旬のもの、旬が外れた魚、そこも含めてどういう食べ方をしたらおいしいか、そこらの話もあって、販売されていたと思うんですけど、今まで以上にがんばっていただきたいと思います」

1898年 仕出し業からスタート

1898年に倉敷市茶屋町で、主に仕出し業として始まった「魚春」です。光畑さんが22歳の時、父親の克己さんが病気のため50歳で他界。

もともと家業を継ぐつもりではいましたが、大学卒業後、まずは、車関係の会社に入って営業の仕事を学び、27歳で5代目になりました。

それから10数年、切り盛りしてきましたが、先代から受け継いだ店舗は賃貸で、去年、契約が終了に。

町の中心部からの移転を余儀なくされ、選んだ先は、1キロほど離れたところにある創業地のそばの自社の倉庫でした。

町の鮮魚店が姿を消して行く中、リフォームしての再出発。けっして、人通りが多い場所ではありませんが、店を続けることに迷いはなかったと振り返ります。

(魚春 光畑隆治さん)
「やめるという選択肢はなかったんですけど、色々物件を探してみたんですけど、やっぱり地元でする意味っていうのはあるなと思うんで、鮮魚店は地元に残しておかないといけないなと思ったので」

代々、家業が鮮魚店の光畑さんにとって、魚が食卓に並ぶ光景は当たり前でした。それが、時代の変化とともに、消えていくのを感じ、魚を食べる文化を残そうと考えたといいます。地域の鮮魚店として魚のおいしさを伝えたい。調理方法も次の世代に継承しています。

料理教室や魚についての勉強会などを開催

(立ち呑みura店長 田川秀虎さん)
「僕が弟子ナンバー11番。僕は完全にゼロから春さん(光畑さん)に教えてもらって、やっとそれなりにさばけるようにはなってきたかなって。春さんが失敗してもいいからやってみろっていうので教えてくれてたんで。
魚をさばいて成長が実感できるのがうれしい、やっている側としても」

(魚春 光畑隆治さん)
「魚をさばくとかでなくて、包丁の使い方から、一から教えてあげる、ほんまに何にもできんような子でも意外とね、さばけるようになる。それがなんか、うれしい」

飲食店などのスタッフが空いた時間に訪れ、弟子として魚の扱い方を学びます。また、店舗の裏側の広い厨房では、仕出しや弁当を作るほか料理教室や魚についての勉強会なども開催。自らが持つ知識や技術を伝える意義について聞くと…。

(魚春 光畑隆治さん)
「魚を扱う幅を広げるのと、あとは、良さというかおいしいものだというのを知ってもらわないとダメなので、今の僕の魚魚店としての役割というか、彼みたいな子に教えるのもそうですし、昔から、僕が育ってきた、魚、岡山の食文化っていうのを伝えるっていうのも使命というか、それが魚屋の仕事なのかなと」

こどもたちに「あの時の給食、おいしかったな」と思ってほしい

魚について学んだあとの給食です。おいしそうにほおばる園児たちを見て、光畑さんの顔がほころびます。

「お魚おいしいね」
「うまい」

(魚春 光畑隆治さん)
「非常にうれしい、あの時の給食おいしかったなって、思ってもらえたらいいですよね」

四方を海に囲まれた日本ならでは食文化を次の世代へ。地域に根差した「魚の専門家」として、これからもその魅力を伝えていきます。