深刻な担い手不足 人形師が直面する逆境【徳島】
徳島が誇る伝統文化、阿波人形浄瑠璃。
その人形に命を吹き込むのが「人形師」です。
しかし、その伝統を支える職人は、今や県内にわずか3人ほど。
厳しい逆境の中で伝統の灯を守り続ける、一人の職人の思いに迫りました。
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「これがからくり、仕掛けを入れる。ひも引っ張ったら表情を出せるよう、中にからくりを入れている」
「怒る時は、ひも3本引っ張る」
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「スパーン切られると、半分に割れて白目むいて」
徳島市川内町の阿波木偶人形会館。
約100体の木偶人形が展示されており、浄瑠璃人形の深い文化や歴史を肌で感じることができます。
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「この人形を、ここの2階で作っています」
案内してくれたのは、館長の多田弘信さん。
日々舞台に立ち、観光客に木偶人形の魅力を伝えています。
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「役として『駕籠かき』、籠担いで出てくる途中で一服、休憩するとキセルでタバコ吸って」
「この人形が『でくのぼう』、芝居の中で頭を打ってたんこぶできて、目玉飛び出して痛い痛い、まあユニークな」
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「前はこんなかわいい顔をしていて、この頭が『鬼』、ひもを引っ張ると」
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「この人形を作るのは桐の木で作る、寒い所でとれる目の詰まった」
多田さんは、これらの人形を作っている「人形師」です。
その貴重な制作現場を見せていただこうとすると、多田さん、突然服を脱ぎ始めました。
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「精神統一するため冷水を浴びます、できるだけ良い顔の人形ができるようにと思い」
「若い頃から、人形作る前は必ず欠かしたことない」
多田さんのもう一つの名前が、二代目「人形健」。
秀でた技術を持つ人形師は、このような通り名を持ち、代々受け継がれています。
人形の頭は、一本の丸太からできています。
理想の大きさに達するまで、丁寧に削り進めていきます。
途中、完成をイメージした顔を木に描き、また削る。
それをひたすら繰り返していきます。
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「この彫りが一番、これで(表情が)決まるので後からは削れない、中くり抜いて薄くする」
「(ここまで)できあがるまでには2週間かかる」
できあがった頭を真っ二つに割り、からくりを仕込むため、さらに中をくり抜きます。
薄さは、わずか5ミリほど。
操りやすくするため、できるだけ軽くします。
貝の粉末からできる顔料「胡粉」を人形の顔に塗り重ね、人の毛から手作業で作った人形の髪を貼り合わせていきます。
最後に、からくりを仕込むと頭の完成です。
一つの頭ができるまでに、要する時間は3か月以上。
さらに、人形の手を作り、着物を着せるのも手作業です。
頭は約30万円、人形は1体約100万円で販売しているそうです。
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「すべて手作業、顔の表情とか最後、髪1枚で顔の表情コロッと変わる」
「機械で彫ったようにはできない、気持ちが入ってくる、作るたびに顔の表情も変わる」
この道40年以上、県が選ぶ「阿波の名工」でもある多田さん。
一から人形を作れるようになるためには、10年以上の修行が必要だそうです。
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「これは、始めの方に作った人形。僕が22の時に作った親父のもとで作って」
師匠は実の父で、初代「人形健」の多田健二さん。
国から「現代の名工」に選ばれた職人でしたが、2年前にこの世を去りました。
さらに、多田さんの娘婿が三代目を継ごうと修行を重ねていましたが、6年前、厳しい職人の道から離れてしまいました。
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「やっぱり、なかなかこれ一筋では生活が難しい、とりあえず一回、間を置いて」
「お金にならないとやっぱりだめ、生活ができない、その辺が大変」
「なかなか若い時は作っても良い顔ができない、年いったらある程度できるが、それまで時間がかかる」
人形浄瑠璃の本場、徳島江戸後期から明治の最盛期には県内に300あった農村舞台ですが、現存するのは10か所程度。
さらに、人形師の数は正確な記録こそ残っていませんが、今ではわずか3人ほどで、多田さんはその中でも最年少です。
(阿波木偶人形会館・多田弘信 館長)
「段々この人形師も少ない、やる人がいなくなっている、趣味ばっかり、プロでやる人はほとんどいない」
「お弓と申します、と聞いてびっくり」
人々の心を揺さぶる感動の舞台裏で、魂を削り続ける「人形師」。
その伝統の技を未来へ引き継げるのか…。
人形師の世界は今、逆境を迎えています。
