(撮影/筆者)

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江戸時代の五街道のひとつとして整備された中山道には、69の宿場町がつくられました。
そのうちのひとつ、長野県の山間にある奈良井宿(長野県塩尻市奈良井)は、全長1kmにもわたり江戸時代の木造建築が残る、現存する日本最長の宿場町です。今でも多くの民宿が昔のままの建物で営業されている奈良井宿は、江戸情緒が味わえる人気の観光地。
そんな奈良井宿の並びに立つ町家を購入し、東京からご夫妻で移住された方がいると聞き、お話を伺ってきました。

江戸時代の町家が連なる奈良井宿の風景。民宿や食事処、土産屋が立ち並び人気の観光地となっている(撮影/筆者)

奈良井宿の典型的な町家として国の重要文化財に指定されている、元櫛(くし)問屋の中村邸。一般公開されており内部の見学が可能(撮影/筆

山本郁也さん(右)
楽天株式会社、株式会社ビジネス・アーキテクツ、株式会社リクルートを経て現在に至る。UXデザイナーの傍ら、花道家や山岳信仰の行者としても活動し、半聖半俗の日々を過ごす。HCD-Net評議委員。長野県在住。
ご夫妻が運営する宿のカウンターにて(撮影/筆者)

条件は自然との近さと都心へのアクセス。奈良井へ辿り着いた意外な理由

山本郁也さんが奈良井に移住したのは2018年ごろ。UXデザイナーとしてITをはじめとしてさまざまな分野のデザインを手がけていた郁也さんは、デザインの仕事に物足りなさを感じるようになっていたといいます。

「自分が関わった仕事がかたちとして残らないということが、虚しく思えてしまったんですよね。商品やサービスのWebサイトなどの制作に携わっていたのですが、数年単位で更新されていってしまうし、気づいたらなくなってしまうこともある。なにかしら物が残ることをやっていきたいという想いがありました」

その時に拠りどころとなったのが、花道でした。
「東京にいるとちょっと花をいけたいと思っても、花が咲いているような場所が少ないので花屋に行って買ってこなくてはなりません。もっと自由に花道を楽しみたいと思い、山のそばで暮らすことができないかと考えたのが移住のきっかけでした。当時はリモートワークも一般的ではなかったので、週に1回は都心に出る必要がありました。そのため通勤もできるエリアで物件を探していたんです」

山並みの合間に通された旧中山道。集落と並行するように、川も流れている(撮影/筆者)

はじめから古い町並みで暮らしたいという希望があったわけではないという郁也さん。条件に合う物件を探す中で、奈良井の物件にたまたま行き当たったのだそう。
「不動産のサイトで見るまで、こんなにも古い家が連なったまちがあるなんて知りもしませんでした。まちの目の前に山もあって、ここしかないと思いすぐに決めました。物件の内見は、この家ともう1軒、奈良井宿の中で見ただけなので、ほかの地域は見ずに1回の内見で決めてしまいました。東京では中古マンションをリノベーションした部屋に住んでいたので、古い町家も手を入れれば快適に過ごせるだろうと思ったんです。今振り返ってみるとすごい勢いだなと自分でも思いますね(笑)」

建物の改修設計はもともと知り合いだったという3人組の建築家ユニット、ツバメアーキテクツに依頼。
「居間の天井に天窓があったので、これを残して良いデザインを考えてくれる方にお願いしたいなと考えていました。ちょうど代表の山道拓人さんがSNSで、光のデザインに力を入れていきたいと投稿されていたのを見て、ご相談しました。奈良井宿は重要伝統的建造物群保存地区に指定されているので外観を変更することはできません。また江戸時代の町家を今の暮らしにフィットさせるためには設備の更新や断熱性能の向上も必要です。限られた予算の中で、どのように手を入れればこの町家で暮らしていくことができるかを一緒に考えていきました」

郁也さんのご自宅、通りに面する仕事部屋。奥の壁に設えられた収納は、改修前からあるもの(撮影/筆者)

天窓見上げ。建物中心に位置し、窓のない居室に光を落としている(撮影/筆者)

幸い、標高も高く森林に囲まれた奈良井宿は東京に比べると夏の暑さはさほど厳しくなく、冬季の対応を中心に検討していきました。
結果的に断熱の範囲はメインの生活空間となる箇所に限定し、キッチン設備などに必要な資金を残すことができたといいます。
また念願だった天窓のデザインも気に入っているそうです。
通り庭は元の持ち主が貼っていた既存の床を撤去して建築当初の土間の姿に。壁一面に本棚を設置し、数千冊の本が並ぶ収納スペースに変貌しました。

一面本棚に生まれ変わった通り庭。本棚には花道や哲学の本など、趣味の本が並ぶ(撮影/筆者)

集落での生活で見出した、コミュニティとの距離の取り方

奈良井宿への移住を即決した郁也さんですが、移住者ならではの苦労もあったといいます。
「奈良井宿の町家は、空き家が出ても滅多に売りに出されることはないんです。ここに定住をしていなくても、年に1度、お盆に家族が集まるための家として残しておくなど、手放さずに残されることが多いので、人の出入りが起こりにくい状況があります。そのようなまちで初めて空き家バンクから一般向けに売りに出されたのが、僕たちが購入した町家でした。集落にとって初めてに近い移住者ということもあり、まちの人たちとしてもどう接すれば良いか、距離の取り方が難しかっただろうなと思います」

「集落の行事は、皆さん仕事よりも優先するほど真剣に取り組んでいます。東京でのドライな近所付き合いに慣れてしまった僕たちからすると驚いてしまいますが、代々ここに住んできてまちへの愛着が強いので、それが当たり前なんです。そうした保守的な空気感が移住者を入りにくくしたり、若い人がまちを出ていってしまう一因にもなっているかもしれませんが、一方でそれによってまちが守られているのも事実です。中山道の宿場町には火事でまちごと燃えてなくなってしまったところもありますが、ここが守られ続けているのは消防団をはじめとするまちの人々の日常的な防火意識によるところは大きいのではないでしょうか」

集落内に点々と設けられた水場。生活用水や防火用水として使われる。防火のための備えが町並みにも表れている(撮影/筆者)

一見似た建物が並ぶ町並みも、よく見るとつくりが異なり部分的に更新されてきたことがわかる。年代により建物の高さが変わっており、古いものほど背が低い(撮影/筆者)

奈良井宿へ移住してから最初の2、3年は、集落内のさまざまな行事への参加を求められたり、自治会の役割を任されるなど、戸惑うことも多かったのだとか。
「若い人が少ないということもあって、過度に期待されてしまった面もあったと思います。また集落内では中に人がいれば勝手に玄関から入っていく、なども当たり前なのですが、そうしたコミュニティの距離感にも慣れるまでは大変でした。リモートワークという働き方もなじみがないようで、家にいると働いていないと勘違いされてしまったりして、仕事中なのに用事を頼まれたりすることもありました。今は少しずつお互いに距離の取り方を調整できるようになってきて、ようやくここでの暮らしに慣れてきたかなと思っています」

移住の動機になったという、暮らしに対する物足りなさについてはどう感じているのでしょうか。
「自然と共に生きる生活ができていて、その意味では非常に充実しています。花道を通じてできることも大きく広がりましたし、移住してからはまちに残る山岳信仰の文化にも触れ、新たな生きがいになっています。東京にいたころとは自然との関わり方が根本的に変わりました」

もうひとつ、集落との関わりの中で大きな変化があったそう。
「この家のすぐ近くに空き家が出て、集落内で借り手を募集していたので借りることにしたんです。宿泊施設として主に繁忙期の週末に開けているのですが、宿泊客とのコミュニケーションができ、宿をきっかけに友人も増えました。仕事の余裕がある時にしか開けられないので、大きく稼ぐことはできませんが、実入りのある趣味という程度で楽しんでいます。地方でしかできない事業のもち方だと思います。宿を運営するようになって、集落との関わり方もまた少し変わってきていますね」

自宅のすぐ近くで運営している宿泊施設。陰影の深い古建築の雰囲気が残されている(撮影/筆者)

郁也さんが制作した花の作品集『Post-Mortem Portraits』。日常の生け花をスマートフォンで記録した写真をまとめたもの。(wakamatsu 公式サイトより)

郁也さんが感じる古いコミュニティに飛び込むことによる苦労や地方暮らしの喜びは、奈良井に限らず全国各地の地方に共通するものでしょう。
郁也さんが、まちとの関わりを調整しながら見出した暮らしの豊かさは、これからの日本を生きるうえでのヒントになるのかもしれません。

●取材協力
Fumiya Yamamoto
wakamatsu
ツバメアーキテクツ


(ロンロボナペティ)