ウーマンラッシュアワー 中川パラダイス

写真拡大

‘13年に漫才師ナンバー1を決めるコンクール『THE MANZAI』(フジテレビ系)で優勝したお笑いコンビ・ウーマンラッシュアワー
 早口でまくし立てるボケ担当・村本大輔とそれに翻弄されるツッコミ担当・中川パラダイスによる2人は瞬く間に人気コンビになっていったが、‘17年頃から社会風刺ネタを披露してからはテレビ出演が激減。さらに村本は海外でスタンダップコメディーに挑戦することを表明し、コンビでの舞台出番も無くなっていった。

 そんな村本の活動を追ったドキュメンタリー映画『アイアム・ア・コメディアン』が7月に公開されて話題になった一方、相方・中川パラダイスの近況についてはなかなか報じられていない。

 現在の活動について、社会風刺ネタについて、相方・村本についてどう思っているのか。中川パラダイスの本音に迫った。

◆文化祭で披露した漫才がウケて芸人の道へ

――パラダイスさんが芸人を目指したきっかけは?

中川パラダイス(以下、パラダイス):高校の文化祭で友達と漫才をしたんです。なだぎ武さんが組んでいたコンビ『スミス夫人』の丸パクリだったけど、周りは気が付かなくてウケたんですよ(笑)。それでイケるんちゃうかと勘違いして、その友達とNSCに入ったのがきっかけですね。

――NSC入学後は、コンビとしてすぐに活躍できていたのですか?

パラダイス:NSCの卒業公演ではコント部門のトリをやらせてもらえました。でも、劇場のレギュラーに入るためのオーディションには受からず、半年で解散しました。

 それからはお笑いの仕事を辞めて工場で働いたんですが、同期の子に誘われてまたお笑いを始めて…トリオになったりコンビになったり、5年くらい迷走していましたね。

◆「実力はあった」村本とコンビ結成

――村本さんとはいつ出会うのでしょうか?

パラダイス:地下ライブで、別のコンビを組んでいる村本に出会いました。村本は会うごとに相方が変わっていたので「変な奴なんやろうなぁ」という印象でした。

 そんな矢先に、僕がコンビを解散してピン芸人になったタイミングで村本から「組まへん?」って急に誘われて、二つ返事でコンビを組みました。相方が違っても毎年『M-1グランプリ』で3回戦に行ったり、準決勝に行くこともあったりしたので「実力はあるんだろうな」と思って。

――ウーマンラッシュアワーといえば、村本さんがコンビを先導しているイメージが強いです。

パラダイス:とにかく、自分の意見を押し付けてくる奴でした(笑)。ネタのアイデアを出しても全部却下されたり、常にオチのある話を求められたりの連続でしたね。

 ムカつくこともありましたけど、いつも「ケンカになったらコイツのこと倒せるな」と思っていたのがデカいですね。僕は柔道を習っていたので、本気で戦ったら負けるわけないって(笑)。

◆結成5年で『THE MANZAI』優勝は「早すぎた」

――結成からわずか5年で‘13年の『THE MANZAI』で優勝されました。そのときの気持ちは?

パラダイス:めちゃくちゃ努力しましたし、うれしかったですよ。ただ、結成5年で優勝は「早すぎた」とは思いました。面白いトークがたくさんあるわけでもないし、コンビの関係性も深いわけでもない。テレビに行ってもきついやろうなぁという気持ちが強かったかな。

――実際にテレビやメディア進出が激増していかがでしたか?

パラダイス:僕は最悪でしたね。優勝してすぐに人気番組にいっぱい出ているうちに、トークのストックが無くなっていきましたから。村本は、漫才のネタにあるような、他人の嫌なことを言うキャラをすぐにモノにしていて、スタジオでもウケていたのでさすがやなぁと思いました。