Mrs. GREEN APPLE

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 新曲「コロンブス」のMVが強い批判にさらされ、公開からすぐに配信停止となった人気バンド、Mrs.GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)。ライターの冨士海ネコ氏は、炎上の原因は広告代理店やクリエイター業界特有の野心や駆け引きによるところが大きいのでは、と分析する。

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【写真を見る】問題となったMVのワンシーン YouTube上ではジャケ写の静止画像動画に差し替えられた

「策士策に溺れる」。Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」のミュージックビデオを炎上後にひととおり見た時、そう思った。

 批判する意見には、表現すべてを否定するようなものも見られたが、きちんと作品を見ると、リスク対策が感じられる箇所は少なくとも2点ある。しかし、それはきちんと伝わっていない。妙にこねくり回したリスク回避表現になってしまっているのだ。

Mrs. GREEN APPLE

 冒頭でコロンブスに扮した大森さんは、類人猿たちがパーティーをしている家を訪れた時「類人猿だ」と叫んでいる。コロンブスが虐殺した先住民の描写ではない、人間を差別的に猿として描いたわけではない、というエクスキューズなのだろうが、すでにイントロが始まっており、口の動きでどうやらそう叫んでいることしか分からない。

 もう一つはラスト、メンバーが立ち去った後に崩落した「バベルの塔」のかけらが映るシーン。これは一見しただけでは何を映しているのか分からず、識者の記事を見てようやく分かった。天に達するほどの高い塔を建てようとした人類に神が怒り、それまで一つであった人間の言葉を混乱させるために壊したという聖書の逸話である。つまりミセスの三人が類人猿に音楽やら馬の乗り方を教えるも、実は過去に文明が根付いていた土地であったという皮肉である。さらに言えば「猿の惑星」のオチのオマージュともとれるが、コロンブスたちが類人猿より優れた文明人だと描いたわけではないと言いたいのだろう。

 ただ「バベルの塔」にしても「猿の惑星」にしても、その知識のある人にしか分からない演出ではリスク対策の意味がない。

 SNSの普及で加速した考察ブームによって、「分かる人には分かる」クリエイティブの価値は高まっている。アニメのオープニングや映画のセリフに「あれが元ネタ」と目配せしあうのは、優越感をくすぐる。おそらく今回のMVも、その手の考察も含めてバズるのを意図していたはずだ。ただその野心が、裏目に出てしまったように思うのだ。

リスクチェックさえすり抜けてしまう「クリエイター優位」の業界事情

「コロンブス」はコカ・コーラ社のキャンペーンに使われるために書き下ろされた曲で、歌詞にも「炭酸の創造」や「乾いたココロに注がれる」といった、商品を想起させるフレーズが並ぶ。テレビCMは大手広告代理店の指揮のもと、「ピーターパン」をイメージした世界観だったという。

 ではなぜ、MVは「コロンブス」押しだったのか。それは偉人そのものというより、「コロンブスの卵」というモチーフを思い付いたことに縛られ過ぎたからではないか。

 単純に見えるがとても独創的なアイデアで、「発想の転換」を表す「コロンブスの卵」。ただの炭酸飲料とはいえ、今もレシピが秘密とされているコカ・コーラにも重なる。ひとたび出会えば新しい視点や感情が広がる、コカ・コーラのおいしさにもミセスの音楽の楽しさにも通じるモチーフだ。私がクリエイティブディレクターならそう説明するだろう。おまけにコカ・コーラはコロンブスが発見したアメリカ生まれ。これまた「分かる人には分かる」絶妙なコンセプトをコロンブス同様に発見してしまったがために、元から着想にあった「類人猿」と組み合わせた最悪の演出になってしまったように思うのだ。

 もちろんリスクチェックは行われていただろう。肌色の変化や付け鼻など、異なる民族の扮装をする時のNG事項対応や、猿は人っぽい造形ではなく明らかに着ぐるみと分かるようにするなど、一応の対策は取っていたように思われる。

 ただしチェックが入ったとしても、クリエイター側がおとなしく言うことを聞くとは限らない。代理店の中での「クリエイターがどの職種よりも一番偉い」という風潮は、まだまだ根強い。MV制作にどこまで代理店の意思が入り込んでいたかは定かでないが、コカ・コーラという大手クライアントを担当する人気クリエイターに、若手の営業や制作スタッフが苦言を呈すること自体が難しい時もある。法律やコンプライアンスをどうにかするのが営業の仕事、と言い放つクリエイターだって、少なからずいる。

 コカ・コーラというグローバルブランドの仕事、なおかつ人気バンドのミュージックビデオ。腕が鳴らないクリエイターやスタッフはいない。広告賞や音楽関係の賞を狙える演出が可能な予算もつく。なんだか中途半端なリスク回避の演出の陰には、アーティストやレーベルや代理店の歴史認識の甘さというより、関係者側の野心や駆け引きによるところが大きいのではと疑ってしまうのだ。

新しさと悪趣味のギリギリを狙う難しさ 「分かる人には分かる」アイデアに引っ張られすぎた失敗

「分かる人には分かる」モチーフと演出。SNSでの考察を加速させてやろうというクリエイター側の野心が、そしてそれをうまく止められない業界事情が、かえって逆効果を生み出してしまったように見える、「コロンブス」炎上事件。ただこの件に関して担当代理店側は一切の謝罪や弁明を出していない(6/21現在)、それは社内でやるべきことはやっていたから、という態度表明でもあるのだろう。

 世の中がまだ見たことがないものと、やってはいけないことは隣り合わせにあることが多い。でも今回は、有名代理店の知見や荒業をもってしても、そのわずかな隙間をくぐり抜けることができなかった。それは物議を醸す可能性を徹底的につぶすことより、アイデアを披露したいという自己顕示欲を優先したからなのだろう。コロンブスが新大陸の発見という名誉のために、侵略と虐殺を押し進めたように。

 ただ、いつまでも責めていては始まらない。不用意なところがあったのは確かだが、それでも、まだ見ぬ面白いものを作りたいという気概は、ミセスもクリエイターたちも失わずにいてほしいと思う。創造の大海原に打って出るチャレンジ精神で、新たな地平を今度こそ見せてほしいものだ。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部