アートとメッセージ:国立西洋美術館65年目の自問展/純丘曜彰 教授博士
国立西洋美術館で今日から「65年目の自問」展。昨日のレセプで、もう飯山由貴がやらかしたとか。二年前、東京都人権プラザの「あなたの本当の家を探しにいく」で作品追放されているのに、あえて彼女を呼んだ西洋美術館は、腹が据わっているなと感心する。
着眼点はおもしろい。みんなが「国立」だ思っている、日本を代表する美術館の正体が、じつは戦前の川崎軍事財閥の松方幸次郎が、農村から強制徴兵した国民の血にまみれたカネでフランスで買い漁った個人コレクション。それが、この平和な日本で、いまだに武器取引なんてやっている川崎重工のカネに寄っかかっている、なんて、一般にはあまり知られていないツボ。そこから、美しいものだけ眺めていればいい、と、世界に背を向け、有閑自適に芸術ぶっているだけの昨今の脳天気な美術館のバカ客たちの鈍い感性に、リアルタイムの風穴を開け、殺戮の現実を突きつけて揺さぶりをかける。
が、なんだよ、このへたっぴな字は! べつに美しいだけがアートじゃないが、人の感性に訴えようというのなら、かりそめにも芸術に関わるアーティストが、こんな汚い越中ふんどし(それこそ徴兵官給で普及した)みたいな、センスのかけらも無いもの、作るなよ。右は、ヴェトナム戦争さなかの1967年、ワシントンポストにベ平連の連中が出した全面意見広告。題字は岡本太郎。この題字を含め、記事全体の左上と右下にきちんと重心が置かれていて、最初から最後まで読んでもらえるようにデザインされている。
新しいことをやるには、古いものを知らなければならない。我々は過去を学んでこそ、未来へ乗り越えて行ける。なのに、どうも近ごろ、大御所まで含めて、浅はかで薄っぺらな自己主張をアートを勘違いしているやつが多すぎる。そんな連中が、閉じた狭い仲間内で褒め合い、うぬぼれて、いよいよ堕落する。これに対し、美術館、というより驚嘆の小部屋、ミュージアムの役割は、壮大な人類の文化史に正規に参画するための入門口であるべきなのだろう。
ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ|国立西洋美術館 (nmwa.go.jp)
https://forbesjapan.com/articles/detail/69453
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/28...
純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元テレビ朝日報道局ブレーン