織田無道さん

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 90年代にタレントや霊能力者として活躍した、織田無道さんが9日に亡くなった。68歳だった。週刊女性では6月に織田さんのインタビューをしており、がんと向き合い闘病中であること、余命宣告を受けたこと、さらにはテレビのヤラセや、実は「霊能者ではなかった」など、当時の思い出を豪快に話てくれた。

【写真】2001年、ムキムキの腕と肌ツヤがいい織田無道さん

『週刊女性』2020年6月23日号で掲載し、ニュースサイト『週刊女性PRIME』に転載したインタビュー記事を再掲する。織田無道さんのご冥福をお祈りいたします。

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「一昨年に“ステージ4”で余命1年を宣告されました。でも、まだ生きていますよ(笑)。最近も“7月までもたない”と言われましたが、別の医師からは“免疫性が上がって、回復しています”と。がんは本当にわからないことが多いので、あわてないことです」

 末期がんで闘病中だという織田無道だが、血色はよく意気軒昂。ニコニコしているが、時折、見せる鋭い眼差しは“怪僧”と呼ばれたころと変わらない迫力だ。

「織田さんは1990年代に霊能者としてテレビに引っ張りだこでした。当時は宜保愛子さんもいてオカルトブームだったんです。水晶玉を使って霊視をするんですが、酒は飲むし女が好きという破天荒キャラ。神奈川県の円光寺住職で、信長の子孫を名乗っていましたね。2002年に虚偽登記で逮捕され、その後も給与トラブルがあり、テレビから消えました」(テレビ誌ライター)

「お祓いは気合」で住職稼業が一転

 最初から霊能者だったわけではなかったという。

「1980年代にお昼の番組に出たとき、お墓の撤去についての議論をしているうちに、呼んでもいない霊がカメラに映ってしまったんですよ。司会の宮尾すすむさんが“悪い霊が来てしまったらどうすればいいの?”と聞いてきたのですが、私の宗派にお祓いはないから、“それは気合です”とアニマル浜口さんみたいなことを口走ってしまった(笑)。その場で霊との闘いが始まって、それが全国に放送され、住職ではなくて“除霊をする人間”になってしまった。それから、“ここを除霊してくれ”という依頼がたくさん来たんですよ。私はまだ30代で若かったし、頼まれたら断れない性分だった」

 多いときで週に10本の番組に出演する売れっ子に。

「テレビを何百本もやっているとヤラセが出てくる。ある深夜番組で“あの木の下にこういう霊がいることにしましょう”と言われたことがあります。司会者から“織田さん、すごいですね。霊は本当にいるんですね”なんてふられて困りました。当時のテレビはヤラセだらけ。クイズ番組なんかはひどくて、最初から解答が渡されていたんです」

 バラエティー番組だからと割り切って出演していたという。バブルの余韻でテレビ業界はイケイケだった。

「1回の制作費が5000万円なんてザラ。海外ロケにも行って大盤振る舞い。ギャラもすごくて、1回で500万〜600万円なんて普通でしたね。アメリカでシカゴのテレビ番組に出たときは1本で2000万もらいました。当時は1000万円もらって、それをひと晩で飲み切るなんてことが当たり前の時代だったんですよ。視聴率さえ取れれば、何でも可能でした」

 金銭感覚がだんだんおかしくなっていく。

「視聴率がよくなれば担当プロデューサーにボーナスが出るし、経費も上がる。だから、“今夜もどっと飲みましょう!”なんて言われる。楽しい時代でしたね。1万円札を見ても今の100円と同じ感覚でした。月に億単位の金を稼いでいましたね」

 テレビの黄金期の中で、もっとも輝いて見えたのが石橋貴明だったという。

「すごく面白いし、私ら坊主にとっても参考になることがいっぱいありました。禅には『有溝無溝』という言葉があります。構えはあってないのと同じで、最終的には心の闘いが勝敗を決定するものだという意味ですが、まさに石橋さんはその言葉どおりの人。僧侶でも普通の悟りでは到達できない領域です。“お笑いの達人”というレベルを超越した本当にすごい人です」

石橋貴明の凄みと勝新の力

 日本テレビ系の『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』に出演していて、石橋のアドリブに驚かされた。

「霊がとりついている人を呼んでスタジオ収録をしたんです。若い女性で、ミニスカート姿。そうしたら石橋さんが急に“霊がいる!”と、女性のひざを指さしました。カメラがひざのお皿をアップで映すと、人の顔のようにも見えますよね。彼女が出てきた一瞬で、ひらめきが芽生えたんです。いつも、よくそんな発想が出るなと感心していましたね」

 勝新太郎さんも、織田に強い印象を残した。

「彼の死後のことです。心霊番組で、夜中にお墓に行きました。カメラが回った瞬間に照明がパッと消えたんです。かわりに静止画を撮ろうとシャッターを切っても、ストロボがつかない。勝新さんの“力”を感じましたよ。勝新さんが納得するスタッフ、カメラマンでないと映させてもらえない。“お前らなんだ勝手に来やがって、玉緒に金を払ったのか?”ということではないでしょうか」

 2002年に逮捕されて有罪判決を受けたことについては、今も納得していない。

「まったくくだらない理由です。会ったこともない人間にテレパシーで虚偽登記などの文書偽造を指示したというバカげた判決。取り調べでは“織田よ、認めれば出られるんだよ。早く書類にサインしちゃえよ”と言われました。もっと重要な犯罪があるのに、私がテレビにバンバン出ていたから狙われたんでしょう」

 留置所には3か月ほど入っていたが、さほど苦痛ではなかったらしい。

「うなぎでも天丼でも、好きな出前を頼んで食べていました。不自由さはありませんでしたね。留置所から出た後も普通にしていましたよ。別に大した罪でもあるまいし。沢尻エリカだって、堂々と出てくりゃあいいんだよ」

 沢尻は違法薬物所持という重い罪状だが……。

「テレビはもともとデタラメな世界だから、デタラメなやつが出ていいんですよ。きれいごとなんか言っていられない。視聴率を取れなかったら番組がなくなっちゃうんですから、否応でもヤラセをやる。それで視聴率を取れているんだし、バラエティーだからいいじゃんということです。UFOや幽霊なんかはほとんどが合成写真のインチキ。でも、見ているほうが楽しければいいじゃないと思います」

死んだらどうなるわかっている

 相変わらずの怪気炎だが、体調がすぐれないことも。

「長く座ったりしていると、脚が冷えて氷のようになってしまいます。すぐに疲れますが、夜にまったく眠れないんですよ。1日に2時間でも3時間でもいいから寝たい。1〜2月は40度以上の高熱が出て、本当にキツかったんです。めまいがひどくて起きられなくなって、いよいよおしまいかなと思っていましたよ。食べ物も限定されて、体重も100キロあったのが、30キロ落ちて、今では70キロ。これからどうなるのかはわからないですね」

 それでも、死に対する不安はない。

「私は仕事で葬式もたくさんやっていますし、死んだらどうなるかわかっていますから。人間はわからないことに対して恐怖心を抱くんです。私は坊主なので、自分の真意、本当の自分悟りを示したうえで人生の幕を閉じたいですね。できれば70歳まで生きたい。 “人類のために”とか大それたことを言える立場でもないですが、自分自身の答えを出したいですね」

 “怪僧”にとって死は恐れるに足らないものなのだ。