花田真寿美さんが捧げる「アスリートビューティーアドバイザー」の使命とは【写真:松橋晶子】

写真拡大 (全2枚)

アスリートビューティーアドバイザー・花田真寿美さんインタビュー前編

 元バドミントン選手で現在は「アスリートビューティーアドバイザー」の肩書きで活動する花田真寿美さんが「THE ANSWER」のインタビューに応じ、「女性アスリートと美」について語った。前後編の前編は「アスリートビューティーアドバイザーという仕事」。高校は全国優勝の経験を持つ強豪校出身の花田さん。当時、入学と同時に「角刈り」を強制され、ニキビ顔で過ごした青春時代にコンプレックスを持った。

 引退後はミス・ユニバースを目指し、175センチの長身を生かしてモデル活動も経験。29歳から「目標を持って挑戦し続ける女性アスリートをサポートしたい」と現在の肩書きで活動するようになった。4年間でその活躍の場は徐々に広がりを見せ、20以上もの競技でメイクなどの“美”をサポート。スポーツ界で注目を集めている。そんな花田さんが捧げる「アスリートビューティーアドバイザー」の使命に迫る。

 ◇ ◇ ◇

 アスリートビューティーアドバイザー。まだ聞き馴染みの薄い肩書きを職業として活動する花田真寿美さん。

 その定義と活動について「現役アスリート、元アスリートにかかわらず、目標を持って輝く人、その目標に挑戦し続ける人を『アスリートビューティー』と考え、アスリートだったこと、モデルだった経験を強みとしてサポートする活動をさせていただいています」と語る。

 主に選手へのメイクレッスンから、大会での試合・会見向けのメイク担当、ウェア選びなどを手掛け、現在はオンラインも含め中高生から東京五輪を目指すアスリートまで広く美容の相談に応えている。活動を始めて4年、担当したことのある競技を挙げるだけでも、その需要が分かる。

 陸上、柔道、体操、ゴルフ、テニス、バドミントン、バレーボール、ハンドボール、3人制・5人制バスケットボール、フェンシング、クライミング、射撃、BMX、セーリング、パラトライアスロン、パラバスケットボール、パラ柔道、パラ陸上、ウェイクボード、ビリヤード、総合格闘技。

 実に20以上もの競技を担当。「もともと美しさが競技に入り、メイクの指導が取り入れられているアーティスティックスイミング、フィギュアスケート、新体操などの審美系競技以外のところにアプローチしています」と言う。

 しかし、なぜタイムを競ったり、得点を競ったりする競技も、女性アスリートがメイクをして「美しさ」を求める必要があるのか。

 もともと「女性アスリートとメイク」の関係性を巡っては「アスリートなのに化粧なんて」「もっと競技に集中した方がいい」などの声が起こりやすい。花田さんは「一番はメンタルにあると思います」と、その意義を明かす。

「例えば、女性はすっぴんで外に出ると、アスリートでなくても、あまり人に見られたくないもの。そうすると、無意識にネガティブな行動をしやすくなります。視線を落としたり、背中が丸くなったり。でも、メイクをすると自分に自信をつけることができます。モデル業をしていた時、鏡の前でメイクをしてもらい、目の色が変わる瞬間を自分で感じていました。それがスポーツに生かせると思ったんです。

 競技に置き換えると、メイクをすることで気持ちが前向き、積極的になり、コミュニケーションを円滑にできるようになります。自分に自信がないと、試合中にアイコンタクトを取る時にあまり人の目が見られなかったり、視線が落ちてしまったり。指導者からすれば、『試合中にそんなことは気にするな』と言うかもしれませんが、心のどこかで気にしてしまう選手がいるというのも現実と感じていました」

 メンタルが及ぼす影響は、試合中に限ったことではない。例えば、試合後の囲み取材。トップ選手になれば、ミックスゾーンと言われる取材エリアで1メートルに満たない至近距離から1人の選手で20、30人の記者に囲まれ、記者会見では高性能のカメラで無数のフラッシュを浴びる。

 これだけ近くで見られ、写真を撮られ、もし肌荒れが気になる日だったら……。「記者の方に肌が荒れているなと思われているんじゃないかと思うと、暗い気持ちになることもある。でも、肌のコンディションが良いだけで堂々と前向きな発言になると選手から聞きます」と花田さんは言う。

 オフの日もメイクの力は生きる。競技によっては試合中のメイクが制限される。ラグビー、柔道のほか、水の中で戦う水泳もその一つ。「オフにリフレッシュできると、さらに練習に集中できるようになった。切り替えができるようになった」という声が実際に届けられている。

 男性アスリートも近頃は整髪料、ドライヤーを駆使して試合前に10分以上かけてセットする選手も珍しくない。目的は身だしなみにあるが、アスリートの場合、食事、音楽などと同じように試合前の一つのルーティンとして、勝負に対する意識のスイッチを入れる効果もある。

 女性アスリートからすれば、同じようにそのルーティンの一つに「メイク」という要素が加わるだけ。決して色目を使っているわけでも、競技に集中していないわけでもない。花田さんも「あくまで女性アスリートのメイクは自信や魅力を引き出す一つの手段です」と強調する。

「角刈り強制」だった高校バドミントン部「髪を切られる自分を見て泣きました」

「アスリートビューティーアドバイザー」という仕事は、花田さんが選手として経験した過去が影響していた。

 地元・富山市でバドミントンを始めたのは小学3年生の時。「自分がどんどん上達するのが楽しくて好きになった」とメキメキと上達し、高校は全国大会優勝の経験を持つ県内の強豪校に入学。日本一を目指し、下宿生活で競技に打ち込むことになった。

 小中時代はオシャレ好きな少女だった。メイクに興味のある友達が多く「アイシャドウ」「マスカラ」といった単語は小学生で知っていたし、「ピチレモン」も読み、ロングヘアにはストレートパーマをかけた。SPEEDに憧れ、アクターズスクールの資料を親に内緒で取り寄せもした。

 すべてが変わったのが高校入学だった。

 部活は「角刈り強制だった」と花田さん。入学前から知っていたが、「甘く見ていました」という。周りは当たり前に角刈りにする中で「我慢できるくらいのショート」で入部したが、キャプテンに2度の呼び出しを食らい、「覚悟を決めなよ」「髪は切ってきて」と言われた。

「部員が行く美容院に行きました。説明しなくても『ああ、バドミントン部の子ね』と髪を切ってくれる店で。切られる自分を見て泣いていました」

 そして、鏡に写った自分を見て思った。「もう女は捨てて、日本一を目指そう」「高校はバドミントンに捧げよう」と。キャプテンに言われた通り、覚悟は決まった。元日以外は休みなし、過酷なトレーニングに励み、バーベルスクワットでは100キロを挙げられるようになった。

 一方で、コンプレックスが増幅したのも、この3年間だった。当時はニキビ顔で、175センチの長身、しかも髪形は角刈り。すべては「日本一になりたい」という目標に支えられていたが、道行く男子高校生にすれ違いざまに「きもっ」と言われた時は、さすがに傷ついた。

「ジャージが一張羅なので、ジャージがあればどこにでも行ける生活。たまにファッション誌を読むことはありましたが、単なる憧れで……」

 同期はダブルスで日本一などの成績を残したものの、自身はレギュラーに定着できず。望んだ成果を挙げることはできなかった。卒業式の翌日には角刈りにしていた店とは別の美容室に行き、貯めていたこづかいでエクステを付けた。

 この高校生活が原点になった。最も大きなことは「角刈りを強制されたこと」ではなく、自分で自分を認められなくなったこと。

「髪を切ってまでバドミントンに捧げたのに……という思いはないんです。ただ、自己肯定感を持てなくなっていました。自分は何をやってもダメだ、努力をしても報われないと思うような人間になっていたんです」

「女を捨てる」と退路を断っていたから、そうまでしても結果を出せなかった自分に自信が揺らいだ。大学でも競技は続けたが、また努力が裏切られるかもしれないと思うと怖かった。2年生で燃え尽き症候群のようになり、ラケットを置いた。転機になったのは就職活動中だった。

 07年ミス・ユニバースに輝いた森理世さんの存在を知り、憧れた。日本大会を見に行き、涙するほど感動して「私もこの舞台に立ちたい」と周囲の反対を押し切り、モデル事務所に入った。コンプレックスだらけだった自分に別れを告げようと思った。

 日本大会には進めなかったものの、モデルとして「人に見られる」という経験が自分を変えた。

「バドミントンで燃え尽き、何をやっても自分はダメだと思っていた時にモデルをやったことで世界が広がりました。自分で行動して、いろんな人に会い、会話して。もう一度、挑戦しようと思えるようになったのは発見でした。同時に、これを現役時代から知っていたかったとも思いました。

 自分に自信がないと、進路を選ぶ際も周りに振り回され、やりたいことがあっても『無理だ』と言われたら『そうだよね……』と無意識に受け入れてしまう。でも、自分に自信を持つことで、そんなことをせずに挑戦し続けられる、可能性を信じ続けられると伝えていきたいと思ったんです」

 29歳で開業。かつての自分のように自信を失っている女性アスリートを救いたいと、「アスリートビューティーアドバイザー」として活動を始めた。当初はチームや企業に営業に行っても理解されず、資料を投げつけられたこともある。しかし、情熱は人の心を動かした。

 徐々に「花田さんにメイクをしてもらいたい」という声とともに、活動の場は広がった。五輪競技からパラ競技、格闘技まで。最近は、ある国内大会の会見に登壇した10代選手のメイクを手掛けた際、選手の保護者、関係者から「いつもより笑顔が多い」と言われ、その価値を実感した。

女性アスリートならではの背景「メイクをすると『モテたいの?』と言われる世界」

 女性アスリートと「美」の問題は、実は根深い。その一つが、選手が驚くほど知識に疎いこと。それが、花田さんの活動の需要につながっているが、自身もかつてはそうだった。

 モデル時代は所属事務所のメイクレッスン、ミス・ユニバース選考で行われるビューティーキャンプに参加した。以降も自主的に関係者と接点を持つように動き、1対1でレクチャーを受ける機会を設定。時間があれば百貨店に足を運び、同じ質問を各メーカーの美容部員にして回った。

 普通の大学生なら、会話にメイクの話題が挙がったり、就活用にレッスンをしたり、自然と意識は高まるもの。ただ、女子選手の世界は特殊だ。「私も最初はこうやるんだという知識すらなく、モデル事務所で私のメイクを見たマネージャーに『アート?』と言われたくらいです」と笑う。

「何を買えば、どこで買えばいいかが分からない。美容雑誌を読む選手なんてごく一部で、逆に浮いてしまう。特に周りが誰もしていない競技、集団だと、メイクをしていると『えっ、何? モテたいの?』『男の目、気にしてるの?』と言われてしまう世界。それが怖くて言えないんです。

 でも、引退したら今までメイクをしていた人と同じ土俵に立ちます。実際に引退した選手に聞くと、その瞬間から今まで努力してつけてきた筋肉が邪魔になり、メイクをしてこなかった過去が恥ずかしくなり、取り残される。アスリートとして生きた人生をそんな風に思ってほしくないです」

 周りの目を意識するあまり、競技だけに打ち込み、蓋をしてしまっていた「キレイになりたい」という気持ちを掘り起こしている感覚があるという。だから、活動で大切にしているのは「当時の自分が何を思い、何に悩んでいたか」。こうして今、現役選手に向き合うことで、彼女たちの変化を感じる。

「コートに自信を持って立てるようになった、メディアで堂々と発言できるようになった、試合の90分前にメイクをするルーティンができたという声を聞きます。試合前に出る不安や焦りが、メイクは集中するので雑念が生まれない、気持ちの切り替えにメイクをするようになった選手もいます」

 目の前の一人一人にメイクを施すことが、かつての自分を救っている。ある時、メイクレッスンを終えて使った道具を整理していると勝手に涙が出てきた。「今まで自分のために揃えてきたものが人のためになっていると感じた時、すごくうれしいと感じたんです」と振り返る。

 では、これから「アスリートビューティーアドバイザー」として、どんなキャリアを築いていきたいのか。 

 今、女性アスリートと外見について取り巻く環境について「彼女たちが世間に求められてしまうのは純潔、純朴といった風潮。幼少期、ジュニアから注目されていた選手たちであればあるほど、変わったなどと好き勝手に言われてしまいます」と花田さん。

 最近、女子ゴルフで「美女ゴルファー」として取り上げられる19歳の安田祐香が自身のインタビューで「キレイな女性になりたい。キレイは自分の意見を持っている人」と語ったコメントが目に留まり、「キレイ」が内面にフォーカスされていることが嬉しかった。

「必ずしも『美しい』は外見だけがキレイな人のことを指すとは思いません。私自身、外見だけにこだわっているモデル時代に摂食障害になったこともあり、心は幸せではありませんでした。『美しい』は心と同じで外見と内面のバランスで成り立つもの。外見をメイクすることで『チャラチャラしている』『人の目を気にしている』ということじゃなく、みんなが『自分のためです』と堂々と言えるようになってほしいです。

 特に女性アスリートの場合は『可愛すぎる』と外見だけが取り上げられる選手もいますが、そればかりじゃなく、憧れの存在になってほしい。美しく、かっこいい選手がいたら子供も憧れるし、スポーツの活性化につながる。高校から大学で競技を辞める選手が多いのは、女性らしくいたいのにできないからと聞きます。でも、競技と女性らしさの両立ができる。『好きなことはどちらも諦めなくていいんだよ』と発信したいです」

 今後については「今はまだ交わっていないスポーツとビューティーの接点を作っていきたい」と夢を膨らませ、自身が関わった選手が来年の東京五輪で笑顔を見せてくれることを願っている。

「もちろん、強制はしません。『みんな、メイクして』とは全く思っていなくて、したくない選手はしなくていい。でも、したい選手は自由に選べる社会にしたい。周りに言われるからじゃなく、自分の自信、魅力を引き出すための手段の一つとして当たり前に選べる風潮になってほしいです。

 私の目標としては『アスリートビューティーアドバイザー』という肩書きを職業として確立させること。その育成もしていきたいし、どこの試合に行ってもいるくらいにしたい。メンタルトレーナーと同じように同行しているような未来になるように、これからも地道に活動していきます」

 唯一無二の道を歩む花田真寿美さんの挑戦は続く。「強さ」と「美しさ」が当たり前のように共存し、スポーツの陽の下で輝く日を目指して。

■花田真寿美

 1987年生まれ、富山県出身。小学3年生からバドミントンを始め、大学2年生まで続ける。29歳だった16年から「アスリートビューティーアドバイザー」として活動を始め、19年に日本アスリートビューティー協会を設立。今年10月からは「チーム・アスリート・ビューティー」を立ち上げ、元競泳日本代表・伊藤華英さんのほか、管理栄養士、パーソナルカラー診断士、皮膚科専門医ら7人で協力し、それぞれのジャンルで“美”を追求したオンラインプログラムを提供している。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)