早くもベストセラーとなっている「絶歌」

写真拡大

 1999年6月、当時小学6年生の男児が殺害され、切断された首が中学校の校門に置かれるという猟奇的な事件が起きた。事件発覚後、神戸新聞に『酒鬼薔薇聖斗』を名乗る犯人から声明文を送りつけられるや、連日のように事件をマスコミが取り上げ続けた。逮捕されたのは、当時14歳の少年。衝撃が駆け抜けたことは言うまでもない。

 2004年、少年が服役を終えるとその行方をマスコミは必死になって探し回っていた。

「東京・町田の町工場で働いている」
「東北の日雇いで働いている」

 など、様々な憶測が都市伝説のように飛び交った。

「実際、少年Aは名前を何度も変え、全国各地を転々としていたようです」

 とは事件を老い続けた全国紙社会部記者の話だ。

 そんな少年A本人の手によって、生い立ちから、事件、事件後の生活を記した手記『絶歌 〜神戸連続児童殺傷事件〜』(太田出版)が出版され、話題騒然となっている。

出版中止を求める被害者遺族

 出版されるや、殺害された土師淳君の父親が怒りを露わにした。

「彼がメディアに出すようなことはしてほしくないと伝えていましたが、私たちの思いは完全に無視されました。何故、このように更に私たちを苦しめることをしようとするのか、全く理解できません。遺族に対して悪いことをしたという気持ちがないことが、今回の件で良く理解できました」

 胸中をこのように語った父親は、出版の中止と本の回収を求めている。被害者遺族としては当然の心情だろう。

 少年Aはなぜ、今になって手記を出版するなどという行動に出たのだろうか。そこには何が記されているのか。この出版にどんな意義があるのか。手に取ってみた。

 白い表紙に黒い文字だけのシンプルだが人目をひく表紙をめくると、一番最初に目に飛び込んできたのは、少年Aにとって最愛だった祖母と二人で写る写真だ。やんちゃで、友人も多かった少年A。最愛のおばあさんから愛されていた幸せな幼少期だったと記している。撮影日は1986年6月22日。

 だが最愛の祖母が亡くなると、少年Aは喪失感を埋めるように遺影を見つめるようになった。そして祖母が生前愛用していた電気按摩器を触っている時、偶然股間に。そこで人生初めての射精を経験してしまう。死と性とが彼の中でつながってしまった瞬間だった。

 それからは、なめくじやカエルを解体したり、猫などの小動物にも次々と手をかけ、「生命を奪うこと=性の高ぶり」へと変化していった。

<祖母の死から八か月。僕は奈落の底へ続く坂道を、猛スピードで転がり落ちていた。>(一部抜粋)と表現している。

 その後も友人や年下の子供に暴力をふるう自分を止められなくなっていく焦燥感。そんな彼を慰めていたのは、事件現場となったタンク山や池、そしてエンドレスリピートで聞き続けたユーミンの『砂の惑星』だった。

 事件当時の知られざる行動や、服役中の様子に加え、その後少年が自分の犯してしまった罪にさいなまれながら過ごす日々。巻き込んでしまった家族への想いが、独特の言い回しで書かれている。

 少年Aにしか知り得ない事件の真実がここにあり、猟奇殺人を犯した者の告白本として見れば、そうはない証言集と見る事もできるかもしれない。ただ──後味の悪さは生半可なものではない。

 版元の太田出版は同著に少年の手紙を添え、遺族に送るとしているが、それは誰のための行為なのか。我々は考える必要がある。

(取材・文/大伯飛鳥)