もう、AIによる社会崩壊は避けられない…サム・アルトマンが「OpenAI」上場のウラでもっとも恐れている「最悪の末路」
2026年6月12日、SpaceXがNASDAQに上場した。初日の時価総額は2兆ドルに達し史上最大の歴史的上場となった。創業者CEOであるイーロン・マスクは、事前の予想通り、史上初のトリリオネア(兆万長者)となった。
前回触れたように、xAIを飲み込んだSpaceXはもはやAI企業の一角だ。上場後、即座にAIエージェント「Cursor」を開発するAnysphereの買収を発表し、AI開発の2強であるAnthropicとOpenAIの追撃に余念がない。
そのAnthropicとOpenAIもすでに上場に向けて目論見書を提出し、年内のIPOを目指している。SpaceX同様、高い期待が寄せられている。世界中から資金をかき集め一気に時代をAI色に染め上げようとしている。
はたして2026年は「AI革命」の本格的な離陸の年となるのだろうか? 1995年のIT革命の再来となるのだろうか? この30年の世界的激変を思えば、これから先、引き返すことのできない断続的な変化をもたらしそうである。
【前編】→中国に先を越されたら終わる…「SpaceX上場」のウラで懸念される「AIの軍事利用」とシリコンバレーが抱える深刻なジレンマ
サム・アルトマンが描く「AIニューディール」
2022年秋に、ChatGPTの鮮烈なデビューでAI時代を開いたOpenAIだが、最近はAnthropicとSpaceXに押されて影が薄い。今年に入って以降、AnthropicのClaudeは、ホワイトハウスやペンタゴンとのやり取りで政治報道の中心だ。SpaceXはアルテミスIIの成功で本来の宇宙開発ビジネスで話題を集めている。
もちろん、OpenAIはユーザーからの支持は高いが、それゆえAI御三家のなかの「消費者担当」のような感じで、ニュースバリューの高いネタの提供という点ではあまり目立たなくなっていた。
だからだろうか、OpenAIは、「プログレッシブシフト」あるいは「ソーシャリストシフト」とでもいうべき動きを見せている。来たるべきAI時代に社会主義的に関与する。それはAIが、これまでのITによる「最適化」に代わり、「完全自動化」を労働や消費の現場で推し進めることになるためだ。
サム・アルトマンは、AIは社会を包摂し根底からその構成を組み替えるので、アメリカには新たな社会契約が必要だと考えている。4月頭にその計画案として、「インテリジェンス時代の産業政策:人々を第一に留めるためのアイデア」を公開した。アルトマン版の「AIニューディール」といわれるものだ。
その内容は、富裕層への増税、福祉国家の拡大、テック業界の利益の一部を全市民に分配する、といったもので、見た目だけで言えば、進歩主義的、社会主義的な政策の導入を訴えている。
AIによる大失業時代の到来の予想は2010年代から言われてきたことであり、所得再配分の方法や、新たなセーフティネットについての議論は、それこそユニバーサル・ベーシック・インカムを筆頭に、折りに触れ議論されてきた。そのような提案をわざわざ上場前に差し込んできた。その意味では、左派的な進歩的政策というよりは、AIに伴う経済的不安の緩和と、厳しい規制を予め避けるための予防策を兼ねた実利的戦略と見たほうがよさそうだ。
もとはといえば、AI開発についてマスクを焚き付けたのはアルトマンだった。2015年5月にアルトマンが独自のAI開発についてマスクにメールを送ったのが発端だ。半年後、非営利法人としてのOpenAIの創設につながる。その「非営利の約束」を破ったという理由で、先日の「マスクvsアルトマン」の泥仕合的訴訟も起こった。
時期的にマスクはOpenAIの創業をきっかけに、クイン・スロボディアンが『マスキズム』で指摘した「サイボーグ保守主義」に目覚めている。ここでいう「サイボーグ」とは、人間がAIによって「脳力=知的能力」を増強(エンハンス)した存在のことだ。
それまでもっぱらテスラやSpaceXのようなハードウェア・ビジネスを展開してきたマスクは、AIによる人類の生存リスクを身近に感じたことをきっかけに、2010年代半ば以降、ソーシャルメディアやAIなどソフトウェアの領域にも強い関心をもち始めた。マスクにしてみればAIは彼が抱える事業の全てに横断的に関係してくる。しかも制御系の効率化、自動化という点で致命的なまでに重要だ。
同時に、AIによる人類の侵攻を真剣に危惧したマスクは、対抗策として人間をAIで強化することで対処しようと考えた。それがBMI(*)の開発企業Neuralinkの創設につながった。だから、今日の、AIブームの波に乗ったマスクがあるのは、アルトマンのおかげ、といってもよい。
実際、今日のAIブームの基盤を築いたのもアルトマンだ。その意味で彼は伝承者。AIの効用についても危険性についてもあれこれ伝えまわった業界の広報官。そうして、AIをポピュラーにした。ずば抜けたAI研究者というわけではないが、技術トレンドをよく知るセールスマン。新サービスの効果的な宣伝マンという点では、往年のスティーブ・ジョブズに近いといってもいいのかもしれない。
(*)ブレイン・マシン・インターフェース=頭蓋骨に埋め込んだ超小型チップと多数の電極付き極細スレッドを脳に直接接続して、思考のみでデジタル機器やロボットアームを操作可能にする技術
「倫理」か「救済」か
そのアルトマンが、まさにOpenAIの業界に留まらずアメリカ社会におけるポジションを確保するために、先述の「AIの利益を再分配する」という、一見すると進歩的な(ビジネス戦略ではなく)政府の政策を提唱した。
企業が率先して政府に再分配のシナリオの変更を求めるという、アメリカではあまり見ることのない事態だ。それもこれもOpenAIには一般の利用者=消費者=労働者が多いからなのか。
Anthropicが「倫理」を強調して、事前にAIに制約をつけようとするのに対して、OpenAIは利益を還元することで事後的に救済を行うのを選ぶ。
ただ、その救済も恣意的なものではなく、政府も含めて制度的なものとして確立し、それをもって、何か問題があった場合の非難の矛先に政府も加えたいと考えている。端的にひとりだけ「悪者」認定されるのを避けたい。
意地の悪い見方をすれば、ソーシャルメディアにおけるセクション230のような免責条項を予め確保しようとしているようにも思える。人類に害悪をもたらすかもしれない「危険な製品」を生み出すにあたり、その製造責任の一部、あるいは全部を、政府にパスする。
ベンチャーキャピタル(VC)がイケイケの加速主義、以前にも触れたが、「e/acc」と呼ばれる効的加速主義ーーテクノロジーは一切規制せずに自由に発展させるべきという開発哲学ーーを主張するのとは異なり、生みだした製品の責任を第一に問われる開発製造企業は、ただのイケイケではなく、会社や社員の法的リスクを下げるためにも、政府に何らかの関与を求める。
アルトマンの場合は、Yコンビネータで起業後のスタートアップが順調に成長する際のパタンを何通りも見てきた経験からなのかもしれない。「絶対負けない」ことは成長戦略のひとつだ。その上で自分たちの生存条件を所属するエコシステムの中で確保する。政府も金融市場も生存条件を確定する基本要素だ。
ちなみに、マスクは夢を売り続けることで、自分のやることは免責される、と信じている。少なくとも、失敗によって約束を違えたとしても、それは許容されるものと考えている。実際、そんなマスクの信者やファンは存在する。
NASDAQに2兆ドルデビューを果たしたSpaceXについては、すでにテスラとの買収話も浮かんでいる。両企業の議決権の大きな塊をマスクが保持しているため、無理な話ではない。
むしろ、トランプ政権が存続している間に合併を進めるかもしれない。2030年を待たずして、イーロン・コングロマリットが生じる可能性も出てきた。ハードウェアからソフトウェアまで、ロボットからAIまで、半導体からロケットまでの「情報×宇宙×機械×通信」コングロマリットの誕生も近いといえそうだ。
AIでアメリカの社会経済が崩壊する
ところで、AIは、ITというよりもCT=コグニティブ・テクノロジー、すなわち認知技術である。ChatGPTやディープフェイクのように、言語や映像を介して人間の知覚=認知に直接介入してくる。その認知操作の自動化は、たしかにそら恐ろしい。
アルトマンが、AI開発に政府や議会を自ら巻き込もうとしているのは、このAIのCTとしての特性を経験的に理解しているからなのかもしれない。
これは、ChatGPTをいち早くリリースし、一般ユーザー、すなわち大衆と最も接点の多いOpenAIだからこそ気がついていることといえる(この点でマスクのGrokは愉快犯的な映像認知操作に躊躇がない)。「労働の自動化」による「アメリカ社会経済の崩壊」という災厄を避けるための備えとして、政府規制を考えているだけではない。もっと根幹のところで、人間性を左右する事態を引き起こす未来を懸念していると言えるだろう。それを単に一企業の問題ではなく、公的な問題として対処する回路を徐々に築いていくつもりなのかもしれない。
これは「走りながら対処する」タイプの、自由な開発をまずは優先するアメリカ社会における、プラグマティックなバックアップの方法だ。不測の事態が起こることを想定しながら、それを逐一裁判で議論するような悠長なことはしない。
つまり、政府機構の構築も、AIの開発と並行して、行うべきだ、行うしかない、と考えている。
翻って、IT革命の依代となったインターネットは、冷戦時代にアメリカ政府(とりわけペンタゴンやその研究組織であるDARPA)が開発した分散型情報通信ネットワークだった。「分散型」が選択されたのは、中核都市がICBM(大陸間弾道ミサイル)で破壊されても政府機能が維持される頑強でレジリアントな統治システムを作ることで国家存亡の危機に対処するためだった。
このあくまでも国家防衛のためのネットワークを、自由な言論が行き交うインタラクティブ・メディアに変貌させたのが、WWWを開発したCERNのティム・バーナーズ=リーだった。
World Wide Webというハイパーテキスト構造のネットワークを導入したのは、バーナーズ=リーが科学者(物理学者)として知識の自由なアクセスを望んだからだが、それだけでなくその知識に基づき広く人びとと議論ができる場を求めていたこともあった。マイケル・ポランニーが『自由の論理』で理想とした、自由な議論が可能な科学者集団の組織構造を敷衍させた民主的な社会を、ヴァーチャルなレベルで実践しようとするものでもあった。
いわばアメリカが準備した軍事兵器としての分散情報ネットワークを、欧州の科学・啓蒙主義的な「自由の論理」がハックした。それがWWWだった。インターネットが時に「ウェブ」と呼ばれた理由である。
となると、そのWWWを科学者だけでなく一般人も使えるよう「デモクラタイズ」するブラウザ(MOSAIC)を開発し、その商用化(Netscape)でビリオネアになり、当時「ミスター・インターネット」と時代の寵児としてもてはやされた、トンガリ頭のマーク・アンドリーセンが、30年後、VC(a16z)を率いてe/acc、つまりテック版の生産拡大主義(=今時の帝国主義)である効果的加速主義を訴えるのも、実のところ、ヨーロッパの自由主義貴族にハックされたインターネットを、アメリカの西部フロンティア人が奪い返しただけなのかもしれない。その意味では、今のテクノロジー界隈こそが、本来のアメリカ的テックの姿といえる。
AI革命の担い手である御三家、すなわち、OpenAI(サム・アルトマン)、Anthropic(ダリオ・アモデイ)、SpaceX(イーロン・マスク)こそ、AI開発の根底にAIに対する恐怖、一種のフランケンシュタイン・コンプレックスを抱いているが、その開発を一歩外側から応援するVCたちは、アンドリーセンのように、もっとシンプルに技術拡大主義に取り憑かれているだけなのかもしれない。
問題解決主義に根付く、素朴な生産拡大主義。それは、しばしばアンドリーセンが「ビルド=構築」を強調し、それが国家構築の文脈で読み替えられ、「アメリカン・ダイナミズム」という名の防衛テックを中心に組まれたポートフォリオに結実していることの理由といえそうだ。
だとすれば、AI御三家がすべて上場する今年は、投資家の視線がAIを見つめ直す点で、ターニングポイントとなるのだろう。遠からず、「アバンダンス」を旗印に、AIによる生産拡大主義が、脱・欠乏社会をもたらし、人びとが遊んで暮らせる時代がやってくる。イーロン・マスクが大好きなSF作家イアン・M・バンクスが創造した宇宙文明「ザ・カルチャー」の世界、AIによって完全自動化された文明が寿がれる時が近づきつつある。
そしてむしろその時になって、元祖OpenAIの懸念、AIが書き換える社会の懸念が思い出され、改めて皆が真剣に見直す時が来るのかもしれない。確かにAI革命は、少し憂鬱で虚無的なものだ。そして、未来を彫琢する技術は、時代の陰影に左右される。それが30年前のIT革命からの教訓だ。
「人類の未来」を誰が引き受けるのか
このテクノロジーの皮肉な側面について歴史的経験からヒューマニズムに根ざした範を示したのが、ローマ教皇レオ14世による初の回勅『マニフィカ・フマニタス』だった。この回勅は、前任の教皇フランシスコ時代の2016年からシリコンバレーとカトリック教会の間で継続された「ミネルヴァ・ダイアログ」という相互交流の成果でもある。OpenAIが誕生したのと同じ頃から、キリスト教の神学者たちもまたAIが人類社会にもたらす衝撃、とりわけ精神的打撃について検討を続けてきた。
レオ14世は回勅の中で、人間の有限性、すなわち死と対峙することを人間性の核と見ている。そうすることで、AI開発の中心であるシリコンバレーで見られる、トランスヒューマニズム(死の克服)やポストヒューマニズム(人間中心主義からの離脱)、あるいはAIサクセショニズム(AIを人類の次に来る知的存在としてむしろ歓迎する)のいずれとも異なる道としてヒューマニズムを説いていた。
もちろん、これが保守的な立場であることは認めるが、同時に手放しの技術的拡大主義が人心を不安にさせ、その不安が募ることで社会が壊れることを幾度も経験してきた千年の歴史を持つ教会だからこそ言えることなのかもしれない。むしろこうした人間礼賛の主張が教皇からしか発言されないのが、今日の歴史的文脈なのだ。
その点で、当代のローマ教皇が、AIを無条件に戦争に引き込もうとしているトランプ2.0の国アメリカの出身であることはとても興味深いのだが、その議論は機会を改めよう。
ITとは異なり、革命よりも終末論として語られがちなAIは、だが、その開発主体の企業が株式上場することで、文字通り「Go public」」、すなわち、公的な存在となった。
金融市場を通じて、世界中の立場の異なる投資家から資金を提供され開発を進めることになるこれらの企業は、どのように今後生じるやもしれぬ公的な危機に対処するのだろう。どこまでが彼らの対処する「パブリック」となるのだろうか?
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