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間垣の里として知られる石川県輪島市の大沢町。おととしの能登半島地震や奥能登豪雨に見舞われ、その住民の多くは、今も仮設住宅に身を寄せています。“戻れるものなら戻りたい”。しかし、厳しい現実に住民たちの心は揺れていました。

石川県輪島市宅田町の仮設住宅。地震と豪雨、二重の災害に見舞われた大沢町の住民がまとまって暮らしています。

柳 まつ子 さん:
「こんな狭い所よくないけど仕方ない。まだ家があるだけいいかなって」

柳まつ子さん、83才。

仮設住宅で暮らしながら、晴れた日には自宅のある大沢町に通っています。

細い竹を並べてこしらえた「間垣」が冷たい海風から家々を守る。そんな昔ながらの原風景が残る集落です。

長年、この地で岩ノリ漁をしてきた柳さんは、今も近所におすそ分けをするのを楽しみにしています。

柳 まつ子 さん:
「いっぱい採れたら楽しみやね」

かつては間垣の内側に、支え合うようにして約70世帯が暮らしていた大沢町の集落。今では、半分ほどが更地となりました。

市街地につながる海沿いの一本道は、地震により寸断されたまま。応急復旧するのも来年3月までかかる見通しです。もともと15分ほどで行けていた市街地までは、山あいのう回路を使って車で40分かかります。

被災した自宅は、なんとか自力で再建した柳さん。でも、この地に戻ることにためらいがありました。

柳 まつ子 さん:
「食べ物を買える場所はなし、病院はなし、道が直らなければどうしようもないもん。車の運転もできなくなるしね」

そんなある日。集落に鳴り響くヘリコプターの音。

仮設住宅から一時帰宅していた住民の1人が倒れ、病院に搬送されたのです。このとき、救急車が到着するまでに35分ほどかかりました。

大沢町の住民:
「怖い。だから戻ってこない、みんな」
「これが道がよくて、輪島(市街地)もすぐ行けるようなら、まだ、帰ってくるだろうけど。結局、道がないから」

柳 まつ子 さん:
「あんなことになったらドキッとする。本当に。大沢にいたくなくなってくる」

住民たちが気がかりにしていたことが起きてしまいました。

地震から2年、集会所で大沢町の住民総会が行われました。

大沢町の住民:
「やっぱり上大沢からの道を」
「だから、それはわれわれが言っても県がやることなんで、どうにもならないんですよ」
「署名でも何でも書くから、何回でも行ってお願いしてほしい」

生活の再建に一歩踏み出した人、いまだ見通しが立たない人。事情はさまざまです。

大沢町の住民:
「ここに40人までおらんけど、本当に戻ってくるのは半分おるかおらんくらいだろ。大沢に戻ってこないとどうにもならん、みんなが」
「戻るかもしれんだろ 」
「大沢に帰りたくても、物がいるんだ」

2年に及ぶ避難生活。さまざまな思いが交錯しました。

未だ1万5000人余りが身を寄せる仮設住宅。再建の見通しが立たない人も多く、約9割の世帯が入居の延長を希望しています。

仮設住宅で暮らす中嶋マツ子さん、90才。

中嶋 マツ子 さん:
「姉だろ。姉と姉。私と。じいちゃんと東京の子ども。家の玄関ばっかり写してる」

大沢町にある自宅の玄関先で、家族写真を撮るのが恒例でした。家族の思い出が刻まれたその場所は、豪雨で全壊し更地に…

市の中心部に整備される災害公営住宅への入居を考えています。

中嶋 マツ子 さん:
Q. 住所変わって大沢の人じゃなくなるのは?
「嫌やな、嫌やわ。家に行ったら海、見とればいいわ。海を見てて、空気がいいなって」

叶うことなら大沢に戻りたい。でも、その術はありません。

中嶋 マツ子 さん:
「どうでもいい、死んだら死んだときや、どうでもいい。弱ったもんや。こんだけ生きているだけに難しいぞ」

“どうでもいい” 最近では、それが口癖のようになっていました。この日、ボランティアが開いた交流イベントにマツ子さんの姿がありました。

多くのものを失ったあの日から… どれだけ時間が過ぎても、ふるさとへの思いは募ります。

中嶋 マツ子 さん:
「やっぱ海見えるし、山あるし、生まれた所はいいわな。ここに居ても行きたいなと思うわ」

この春、マツ子さんは災害公営住宅の入居を申し込みました。どこにもぶつけられない、もどかしさや寂しさを抱えたまま。あの日から3度目の春が過ぎようとしています。