「ある男の転落死」裏側に潜む"夫婦の秘密と嘘"
『落下の解剖学』は2月23日よりTOHOシネマズシャンテほか全国順次公開©2023 L.F.P. - Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma(©Carole-Bethuel ©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANC )(東洋経済オンライン読者向けプレミアム試写会への応募はこちら)
人里離れた雪山の山荘で起きた、とある男の転落死。殺人の容疑者として浮かび上がったのは人気作家として広く知られる妻だった。
裁判で次々と暴露されていく夫婦の秘密と嘘。その裁判を見守った人々は誰もが疑心暗鬼の渦の中に“落ちて”いった。いったいこれは事故なのか、自死なのか、それとも殺人なのか――。
カンヌなど数々の賞を受賞
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昨年5月に行われた第76回カンヌ国際映画祭で、最高賞にあたるパルムドールを受賞。さらにアメリカのアカデミー賞の前哨戦ともいわれるゴールデン・グローブ賞で4部門にノミネート、2部門(脚本賞、非英語作品賞)を受賞した注目のフランス映画『落下の解剖学』が2月23日よりTOHOシネマズシャンテほか全国順次公開となる。
事件は、フランスの人里離れた雪山に建つ一軒の山荘で起こった。
ドイツ人のベストセラー作家サンドラは、山荘1階のリビングで女子学生からの取材を受けていたが、階上で家のリフォーム作業をしていた夫のサミュエルが突如、とてつもない大音量でBacao Rhythm & Steel Bandの「P.I.M.P」(アメリカ人ラッパー、50Centの大ヒットアルバム「Get Rich Or Die Tryin」収録曲のインストゥルメンタルカバー曲)を繰り返し流し始めた。
夫が大音量で音楽を聞くことは「いつものこと」だと苦笑いを浮かべるサンドラだが、このままでは会話もままならないということで、取材はまた後日に仕切り直し。学生は家を後にする。
それからほどなくして、家の前で頭から血を流した夫のサミュエルが、雪の上に倒れているところが発見される。第一発見者は、視覚に障がいを持つ11歳の息子ダニエル。
大人たちの視点とともに、11歳の少年ダニエルの視点を織り込むことによって、物語に深みが増している。©2023 L.F.P. - Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma
検視の結果、死因は事故、もしくは第三者の殴打による頭部の損傷であることが明らかになる。そして現場の状況から、容疑者として浮かび上がったのはサンドラだった。有名作家が関わる事件ということもあってか、過熱気味な報道が繰り広げられる。
そして時が過ぎ、いよいよ裁判がはじまる。傍聴席には、息子のダニエルの姿もあった。裁判では、検察の厳しい追及や、数々の証言者によって、夫婦の秘密や嘘が次々と暴露される。
ダニエルの心は傷つけられていたが、それでもしっかりと耳を傾けることを決意する。いったい何が真実なのか、裁判は混沌とした状況に陥っていたが、そんな中、一度は証言を終えていたダニエルが「もう一度証言したい」と願い出る――。
女性監督で3人目のパルムドール
本作のメガホンをとったジュスティーヌ・トリエは、2013年の『ソルフェリーノの戦い』で監督デビューを果たし、2016年の『ヴィクトリア』、2019年の『愛欲のセラピー』などで高い評価を受けた注目の映画監督。
4本目となる本作でついにカンヌ映画祭のパルムドールを獲得することとなったが、女性監督でパルムドールに輝いたのは『ピアノ・レッスン』(1993年)のジェーン・カンピオン監督、『TITANEチタン』(2021年)のジュリア・デュクルノー監督に次いで3人目の快挙となる。
そして主人公のサンドラを演じるのは2006年の『レクイエム〜ミカエラの肖像』で第56回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀主演女優賞)を獲得し、2016年の『ありがとう、トニ・エルドマン』で第29回ヨーロッパ映画賞女優賞を獲得するなど、国内外の映画賞を数多く受賞する、ドイツを代表する女優ザンドラ・ヒュラー。
特に昨年のカンヌ映画賞では本作だけでなく、ジョナサン・グレイザー監督の『The Zone of Interest(原題)』がパルムドールに次ぐグランプリに輝くなど、彼女の出演作2本がカンヌを沸かせたことも話題となった。
本作の脚本は、トリエ監督の公私にわたるパートナーである監督・脚本家・俳優のアルチュール・アラリが、トリエ監督と共同で担当。
「ある夫婦の関係が崩壊していくさまを表現したいと思ったのがはじまり。夫婦の身体的、精神的転落を緻密に描くことによって、ふたりの愛の衰えが浮き彫りになっていくという発想から出発した」と企画のはじまりを明かしたトリエ監督は、前作『愛欲のセラピー』でタッグを組んだザンドラ・ヒュラーともう一度仕事をしたいという思いから、「本作の脚本はザンドラを念頭に書いた」と振り返る。
「主人公はリベラルな女性。そのセクシャリティやキャリア、母親としてのあり方ゆえに他人から白い目で見られている。わたしはザンドラなら単なるメッセージのレベルにとどまらず、この役柄に複雑さと深みをもたらしてくれると思っていた。だが撮影を開始してすぐに、ザンドラの信念と独創性に圧倒された」と全幅の信頼を寄せている。
世界的に高い評価を受けるザンドラ・ヒュラー。知的なポーカーフェイスの下に隠された、底なしの冷酷さと自我を爆発させる演技に圧倒される。 ©2023 L.F.P. - Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne‐Rhône‐Alpes Cinéma
そしてそのラブコールを受けたザンドラも「脚本を読んで本当に興奮したし、特にキャラクターが魅力的だった」と語っていた。
人間の複雑さを描いた裁判劇
何より本作で特筆されるのは、“言語”が重要な位置を占めているということ。本作は裁判劇となるが、事件の詳細を描き出すよりも、人間のエゴ、嫉妬、嘘、隠された思いなど、人間の複雑さを描き出すことにより重きが置かれている。
また、ドイツ人であるサンドラがフランス語、英語、ドイツ語と複数の言語を使いわけるが、それによって「サンドラのキャラクターに複雑性を加え、不透明感をかもし出しています。サンドラは外国人としてフランスで裁判にかけられ、夫と息子が話す言語も操らないといけない。それが観客とサンドラの中にある特定の距離感を作り出している」という。
本作は中盤から法廷劇へと形を変えていくが、そこでは「最初から回想シーンはつかわないと決めていた」と語るトリエ監督。言葉の応酬が飛び交う法廷だけに、観客は必然的に証言者たちの言葉にしっかりと耳を傾けることとなり、真実はいったいどこにあるのかと想像を張り巡らしながら映画を鑑賞することになる。「サンドラは無実なのか、それとも--」。
主人公のサンドラを演じたザンドラ・ヒュラーは、SAG−AFTRA(全米映画俳優組合)のイベントに出席した際に、トリエ監督のこだわり、そして彼女に対する全幅の信頼感についてこう語っていた。
「それはジュスティーヌ(・トリエ)の見事な演出だった。
彼女は何度も何度もスクリーンテストを行い、(観客を惑わすための)最適な表現方法を見つけようとしていた。彼女は本当にクレイジーですばらしい!」
(壬生 智裕 : 映画ライター)