「会社員しながら副業」を軽く考える人が陥る困難
会社員時代、副業をやっているということに、どこか後ろめたさがあった(写真:polkadot/PIXTA)
政府が推奨するなど、年々副業をする人が増えている令和。キラキラしたイメージで見られがちですが、実際に副業をしたことがある人は、意外とこんなふうに思っていることも。
「実際はもっと泥臭いものなんだよ。というか、精神的にも肉体的にも大変なんだよね……」
「会社の収入だけで不安なく暮らせるなら、自分も副業なんかしないよ……」
副業社会人たちの、意外と(?)キラキラしていない切羽詰まった日常の実態、そして、そこから見える日本の現在・未来とは? 約3年にわたって、会社員と書評家の二足のわらじ生活を経験した、三宅香帆さんが送るエッセイ&インタビュー連載。
「休みの日何してるの?」と聞かれ…
大学院に何年もいた私は、新卒社員として入社して、最初に驚いたことがある。それは配属されてすぐの、昼休みのことだった。チームのみんなでご飯に行こう、と上司が言ったから、みんなでご飯に行くことになった。そしてご飯の席で、先輩の誰かが、口を開いた。
「三宅さんって、休みの日何してるの?」
――休みの日、何してる!?
私が衝撃を受けたのは、この世にそんな質問があるなんて思ってもみなかったからだ。大学院にいたとき、休日と言えばゆっくり研究できる日だった。大学生のときも、休日何してるなんて質問を受けたことがない。
――えっ、働いてます。
当時すでに2冊の本を出版し、会社員と文筆業の兼業をしていた私にとって、休日と言えば原稿を書く日か編集者と打ち合わせをする日だった。というわけで素直に答えればこうなる。が、さすがに配属されたばかりの会社で、それが最適解でないことはわかっている。
やばい、どうしよう。なんて答えよう。読書? いやそれも面白みがなさそうだし、そもそも「おすすめの本とかある?」「あれ? 副業で書評家? とかやってるんだっけ、どんな仕事?」とか聞かれてもこのIT系大企業で適切な会話をできる自信がない。映画? これで「最近面白かった映画は?」とか聞かれても、うまく答えられない。
コンマ1秒間逡巡した後、私はこう答えた。
「上京したばかりなので、だいたい東京にいる大学の時の友人と久しぶりに会って、ご飯食べてますね!!」
こうして、「たしかに関西の大学って進学で東京くる子多いよねえ」「関西出身のやつってうちのチームに誰がいたっけ?」など、つつがなく会話は進んでいったのだった。
何も嘘はついていない。上京したばかりで、東京で就職した友人と久しぶりに会ってご飯は食べている。その前後に必死で原稿を終わらせてはいるのだが。
副業の話は他者にしにくい
会社員をやっていると、「休みの日に何をしているか」という問いは「話のネタになりそうな趣味はあるのか、プライベートはどこまで喋ってくれるのか」という意味であることをだんだん察するようになる。私はそのたび、バチェラーの最新話を見ただとか、最近結婚式ラッシュだとか、一番話が広がりそうな、楽しく喋ることができそうな話題を選んだ。
しかし一度も「締め切りがやばい」なんてことは、言えずに終わった。
言いたかったわけではない。副業の話は一切会社ではしなかった。したくなかった。
――なぜあんなにも、頑なに、したくなかったのだろう?
と会社を辞めて1年経って、不思議に思う。
ちなみに会社の人から副業について揶揄されたことは、本当に、一度もない。むしろ本を買ってくれたひとがいたり、「実は小説読むの好きなんだよね」と明かしてくれるひとがいたり、テレビに出ることを知って「言ってよ! 見るよ!」と言ってくれるひとがいたりした。職場環境は良かった。先輩に本当に恵まれてたよなあ、としみじみ思う。
しかしそれでも、副業をやっているということに、どこか後ろめたさがあった。
もちろんえばることではないかもしれないが、後ろめたさを感じていたのは、自分自身の問題だろう。なぜあんなに、副業に後ろめたさを感じていたのだろう?
副業は「休息の時間」を削るものである
私の話だけをしていても仕方がない。データを見てみよう。
2023年に株式会社リクルートが調査を実施した「兼業・副業に関する動向調査2022」データ集 によれば、副業経験のない人の「兼業・副業を実施するにあたって不安に感じること」の第1位は、「本業との両立(時間管理)が難しい」ことだった。一方で、副業経験のある人の「兼業・副業を実施して難しさを感じること」の第1位は「休日などの休息時間が減少する」ことなのだ。
つまり、ものすごく大雑把に解釈してしまうと。「副業をやっていない人」からすれば、副業=本業の時間を削るものなのでは? という懸念があり、「副業をやったことのある人」からすれば、副業=休息の時間を削ってしまうもの、なのである。
この結果は、副業を経験したことのある人にとっては、納得できるところではないだろうか。たしかに副業は、休息を削って行うものにならざるを得ない。
さらに、副業をしていない人からは「本業だけで手いっぱいなのに、副業までやる時間あるの?」と思われているのではないか、という懸念をなんとなく抱えてしまう。
実際調査によれば、副業をしてない理由の第1位は、「本業だけで充分忙しいから」なのだ。副業をやるってことは、暇なんじゃないの? と思われる懸念は、ある。
実際、副業は収入のためにやっていたとしても、過重労働になりやすい。同調査の、企業人事担当者に対する調査において、兼業・副業を禁止する理由第1位は「従業員の長時間労働・過重労働を助長するため」である。もちろん副業を禁止する前に、日本企業の過重労働を減らすべきでは……という意見もあるだろうが、副業するとそのぶん休息が減るという結果も出ているわけで、長時間労働化することは避けられないだろう。
たしかに私たちは、長時間労働――つまり休息と引き換えに、副業している。
副業を「せざるを得ない社会」が来つつある
しかし寿命は長くなり、労働する必要のある年数はどんどん増え、さらに終身雇用制度が壊れつつある現在、副業を「せざるを得ない」社会になっているのは、もうどうしようもない事実だろう。
たとえば筆者が従事しているような、書籍の執筆を中心とする文筆業。この分野では、最初から兼業せずに生活することが、かなり困難である。とくに新人のうちは、さまざまな仕事を掛け持ちしながらでないと、キャリアを積めない、というのが実情であるように感じている。
他の分野においても、「そもそも兼業からでないと、キャリアが始まらない」という現実は多々あるだろうし、その事実は今のところ、どうしようもない。
さらに大きかったのが、2018年に政府が、副業・兼業に関する方針を「原則禁止」から「原則容認」へと転換したという出来事だ。さらに2020年からのコロナ禍は、テレワークの普及とともに、副業・兼業を容認する企業の増加へ、拍車をかけた。
副業・兼業が増える流れは、おそらく止まらない。
働き方改革で労働時間が減っても、副業・兼業で労働時間が増える……?(厚生労働省公式サイトより)
しかし私は、自分が兼業していたからこそ、「副業・兼業は、最高だ! 収入も上がるし、夢も叶えられる、みんなやろう!」なんて諸手を挙げて今の流れに賛同するのは、どうかと思ってしまう。だって、長時間労働って、大変なのだ。兼業して長時間労働をしなければキャリアや収入が得られない社会を、肯定する気にはなれない。
副業について特集した『週刊東洋経済』において、労働社会学者の常見陽平は2016年段階でこのように指摘する。
〈常見〉安倍政権の働き方改革実現会議は、議論するテーマのひとつに副業・兼業を含む柔軟な働き方を挙げています。今や副業は政府が奨励する新しい働き方なのです。ただ、働き方という名の働かせ方改革にならないかという危惧もあります。
フリーターが登場した1980年代後半、どう呼ばれていたか知っていますか。「世界を渡り歩く究極の自由人」だったのです。フリーターがそんな甘いものではないことは、今なら誰もが知っている。僕自身、かつてリクルートで『とらばーゆ』編集部にいたときに、派遣社員という働き方を後押しした面があった。今振り返れば罪深かったように感じます。新しい働き方に乗った人がバカを見る、そんな社会であってはならない。副業についてもそう思います。
終身雇用で社員の面倒を生涯見ます、という会社は急速に消滅しつつある。同時に大変な勢いで、働き方のリスクを自己責任として労働者に丸投げする社会にもなっている。この現実に対し、ディストピア(暗黒郷)と言って顔を背けることはできず、向き合い続けるしかない。(週刊東洋経済編集部編『副業のススメ―週刊東洋経済eビジネス新書No.198』より引用、『週刊東洋経済』2016年10月29日号掲載)
2018年に実施された「働き方改革」は、2023年現在、「働かせ方改革」になっていないだろうか?
しかしそれでも、副業や兼業をしなきゃ食べていけない、あるいは、しなきゃやりたいことがやれない、という人は増えている。
だからこそ「ヘルシーに兼業するノウハウ」を知りたい
だとすれば、この連載で、私は問いたい。「どうすればヘルシーに兼業で働くことができるのか?」と。
本連載は隔週更新(予定)です。連載一覧はこちら
もう限界だ、と泣きながら働かずにすむように。ヘルシーに働きながら、副業・兼業をすることは、どのようなコツがあれば、可能になるのだろう?
私はできなかった。ヘルシーな兼業なんて、無理だった。だからこそ知りたい。どうすれば、可能だったのだろうか?
本連載では、今後さまざまな兼業経験者にインタビューを実施する。そしてそのなかで筆者は、「どうすればヘルシーに兼業で働くことができるのか?」という問いの答えを、見つけてみたいのだ。
(三宅 香帆 : 文筆家)