IKKOさんが幼い頃から今に至るまでの人生を振り返りつつ、その過程で学んだことを語ります(写真:GLAD提供)

幅広い世代から共感を集める美容家IKKOさんですが、これまでの人生、転んでも転んでも、つらいことがあっても、悔しさをバネに起き上がってきたといいます。

そんなIKKOさんの人生哲学はどのように生まれたのか? 幼い頃から今に至るまでの人生を振り返りつつ、その過程で学んだことを語りつくした珠玉のエッセイ集『IKKO 人生十転び八起き。ケ・セラ・セラ』より一部抜粋し、3回に渡ってご紹介します。今回は2回目です。

40代になってから、テレビへの出演が増えるようになりました。番組で取り上げられた「IKKOの幸せメイク」が視聴者の人気を呼び、密着取材やバラエティ番組で知名度が一気に上がったのです。

ターニングポイントとなったのは、45歳から出演し始めた「おネエ★MANS」という番組です。

おネエのヘアメイクアップアーティストとして、堂々と女性のいで立ちで公の場に出られるようになり、海外ロケなどを通して活動の場も広がっていきました。

「どんだけ〜」でブレイク

2007年の流行語大賞にノミネートされた「どんだけ〜」でブレイクしてからは、タレントとしての活動が増えました。

すると、スケジュールを調整するだけでも一苦労。そこで外部にマネージメント業務を委託する必要性に迫られ、辣腕営業マンが営む個人事務所に所属することに。

ここからが、また次の試練の始まりでした。

社長は大手広告代理店出身のやり手で、数々の人気番組や有名アーティストを手がけてきた強者です。

最初に「これからは、僕のやり方に従ってください」といわれてはいたものの、あまりにもハードなスケジュールに担当マネージャーが悲鳴を上げる始末。

私が交渉しても「受けた仕事は文句をいわずに、とにかくやる!」と取り付く島もありません。意にそぐわないことが起こると、夜中に「謝りに来い」と呼び出しがかかり、「土下座して謝れ」といわれたこともあります。

この頃の私は、ビジネスの感覚の違いに悩みながら、彼が求める以上の完璧な仕事をこなしていました。その一方で、すべてが受け身で、人に動かされているストレスもありました。

でも彼のおかげで仕事の販路が広がり、海外の仕事を含めて活躍の場が増えたことは事実でした。ビジネスの厳しさを教わるなか、さまざまなジャンルの仕事が舞い込んできて、世界が広がりましたからね。

またこの頃は、自分の美しさを思う存分磨き上げることができた時期でもありました。ファッション誌のグラビアやファッションショーにモデルとして出るなど、私がいちばんきれいだった時期と重なります。

人生は表裏一体。いやなこともあれば、いいこともある。どれも貴重な体験だったと冷静に振り返ることができるようになったのは、60代になってからです。

人生の分岐点で「気づきの瞬間」

マネージメントなど、面倒なことを人任せにしていると、ある意味ではとても楽です。自分のことだけ考えていればいいのですから。

一流のブランド品を身に着けて、自分を大きく見せようとしていたあの頃。外見的な自己満足度は非常に高かったのですが、本当の意味では、まだ自分に自信がもてていなかったと思います。周りからチヤホヤされてもち上げられるなか、心のどこかに不安を感じている自分がいました。

そんなとき、弟子たちに「昔の先生と違う。先生らしくない」と指摘されたのです。その言葉にハッとしました。華やかな世界の、超売れっ子モデルになったような高揚感が勝り、自分本位の生き方をしていたのかもしれません。

弟子たちにいわれるまでもなく、私自身もどこかで、「こんな生き方をしていて大丈夫? これでいいの?」と心が揺れているときだったので、「いまからでもやり直せるよね。まだ間に合うよね」とみんなにいったのを覚えています。

自分勝手に生きていると、自分の肘が人に当たっていても気づかないものです。相手の痛みに心を寄せることなく、そのあとのフォローや気配りがなければ、人との信頼関係を失ってしまいます。

人が人として生きる上で、大事なことに気づいた瞬間でした。

私の人生を振り返ると、分岐点に差し掛かったとき、ふいに「気づきの瞬間」が訪れるようです。

幼い頃から、つらいことがあると自分の心と向き合って、折り合いをつけてきた習い性もあるのでしょう。その都度自分を立て直しながら、いまの人生哲学が培われてきたような気がします。

自分の心に恥じないような生き方をするために、もっと内面を磨くようにと教えられた転機も、けっして偶然ではなかったと思います。

修業時代の先生や先輩たち、マネージメント会社の社長や弟子たち、私がこれまで出会ってきたすべての人から学ばされたことは計り知れません。

そうして「清く、正しく、美しく」生きることに目覚め、自分を律することになりましたからね。

変わっていく価値観の違い

46歳から3年半所属していた個人事務所は、50歳になる少し手前で、それぞれの道を進むことになりました。

その後の仕事は、自分の事務所ですべてを担っていくことになりました。すると、仕事にかかわる全責任が私にのしかかってきます。


再び後ろ盾のない立場になって、それまでに経験したことのない苦労も味わいました。ヘアメイクの現場の仕事からは退きましたが、タレント活動と並行して、美容家として化粧品の研究開発やプロデュース、トークショー、執筆など、多忙を極める日常はこれまで以上。

ただ、多くのスタッフを支えている責任もあり、がんばるしかありません。タレントとしての仕事もぎっしり詰まっていて、日々に忙殺されるうち、いわゆる「ストレス太り」を招いてしまいました。体って、本当に正直ですね。

そんななか、長年勤めたスタッフが卒業して去っていく喪失感も味わいました。年齢を重ねていくにつれ、みんなの状況もそれぞれ変化していきます。独立していく人のほかに、体の調子が悪くなったり、親元に戻る事情ができたり、さまざまな変化の波が訪れます。

みなさんもある程度の年齢になると、子どもが巣立っていったり、親しい人が遠くに引っ越されたり、身近な人が亡くなるなど、人との別れで喪失感に襲われることがあるのではないでしょうか。

年を取るとつらい別れが増えていくのは当然の流れで、そう考えると、私にとって50代の10年間は、喪失感に慣れていくための訓練期間だったのかなと思えてきます。

人は時間の経過とともに、価値観も変わってきます。

昔はいっしょに同じ方向を向いていた人が、違うものに重きを置くようになって離れていくこともあるでしょう。例えば子どもが結婚すると、親より自分の家庭のほうが大事になるように、いつまでも同じ価値観でいるわけではありません。

なのに、「昔はこうだったのに」という思いをいつまでも引きずっていると、前を向いては進めません。相手の価値観が変わったことを受け止めて、過去のことは「いい思い出」として割り切るほうが、ポジティブに生きていけると思います。時計の針は巻き戻せないのですから。

私がそう考えられるようになったのは、最近です。自分を取り巻く状況や人間関係を冷静に見る目ができ、自分の心と向き合いながら、「幸せに生きるためにはどうしたらいいか?」と考えることが増えました。

私が歩んできた61年間は、すべて「なぜそうなるのだろう」という疑問から始まり、その答えを導き出しては、また次の疑問が出てくる。その繰り返しでした。

そうして私の人生哲学が育てられてきたのです。

(IKKO : 美容家)