福島第一原発の「処理水」放出で、中国・香港で抗議デモ(写真:ロイター/アフロ)

東京電力福島第一原子力発電所の処理水海洋放出を巡り、中国で「日本叩き」が過激化している。

日本製化粧品の返品が相次ぎ、市民は塩の備蓄に走る。日本人や日本の施設への苦情・嫌がらせも増え、外務省は27日、中国への渡航や滞在を予定する邦人に注意を呼びかけた。

反日感情のヒートアップの背景には、「科学的根拠」を巧みに散りばめながら不安をあおる現地での報道と、日本叩きの材料を探しては拡散するSNSの存在がある。

「これほどの敵意は、尖閣諸島問題以来」

「日本人にこれほど敵意が向けられるのは、2012年の尖閣諸島問題以来じゃないでしょうかね」中国で複数の食品工場を展開する食品メーカー「松井味噌」の松井健一社長は、現地のピリピリした雰囲気をそう説明した。

2011年の東日本大震災直後も多くの外国人が放射能汚染を恐れて日本を離れた。中国人は処理水放出について、あの時に匹敵する恐怖感を抱いている。そして今回の処理水放出は政府判断なので、中国では日本が意図的に汚染された水をばらまいていると受け止められている。

中国に留学している日本人留学生(20)は24日、同じ授業を履修している中国人学生から「汚染水によって海藻が汚染される。魚は汚染された海藻を食べる。人間は汚染された魚を食べる。このような犯罪行為を恥ずかしく思わないのか」と非難された。反論したかったが、トラブルを避けるために我慢した。

日本料理店や日本の施設には苦情や嫌がらせが相次ぎ、日本大使館は中国に住む日本人に注意を呼びかけている。

中国人の「敵意」には、現地での報道のあり方が大きく関係している。政府の発表や報道記事では「処理水」ではなく「汚染水」という言葉が使われ、日本政府や東京電力の「放出水に含まれるトリチウム濃度は基準値を大きく下回っている」との説明は、著名大学の教授や海洋法学学会の会長など権威ある専門家から、「海中を漂う海藻には影響があり、海藻を餌にしている魚やえびの体内に有害物質がたまる可能性がある」「放出された汚染水は10年後には世界中に広がる」などとことごとく否定されている。

筆者が今年6月末に中国を訪れたとき、30代の中国人女性に「日本、汚染水やばいじゃん」と言われた。その頃にはすでに、中国政府やメディアがキャンペーンを展開していたわけだ。

日本に長年住んでいた友人は、日本のメディアがファーウェイなど中国企業の報道をする際に「双方の主張を平等に報道するべき」と話していたにもかかわらず、中国での報道をそのまま受け入れていた。

人間の生存本能は、「安全」よりも「不安」を強調する情報を好むのかもしれない。しかも中国での報道は専門家のもっともらしい解説がちりばめられ、一方で、自国の原発が放出するトリチウムについての情報は排除されている。

はま寿司も釈明投稿

中国政府が日本から海産物の輸入を停止し、水産加工品の取引も禁止したことで、最も打撃を受けるのは日本料理店や日本の食品メーカーとみられる。

実際のところ、大衆向けの日本料理店で取り扱っている魚のほとんどは日本以外から調達しており、日本からの仕入れを強調している高級店でも、中国税関当局が日本からの輸入海産物の放射性物質の検査を強化した7月以降、供給源の切り替えが進んでいるという。

より深刻なのは風評被害だ。高級日本料理店の多くがSNSで「当店は日本産の海産物を使っていません」と表明し、はま寿司も26日にSNSの公式アカウントで「日本産の使用を停止」などと、主要商品の産地を明示する発表文を出した(28日現在は削除されている)


はま寿司は安全性をアピール(写真:中国のはま寿司公式SNS)

嫌がらせ防止のためか、店頭に表示している店の名前の「日本」の文字を隠して営業する日本料理店の画像もSNSで拡散した。

松井社長は日中両国の食品企業や飲食店に調味料を販売しており、水産加工企業との取引も多い。処理水放出後には調味料を卸している中国の取引先2社から「日本産の原材料を使っていないか」と確認の電話があった。

「パッケージなどで『日本』テイストを強調していたのですが、今回の騒動で、中国産であることを前面に出さないといけなくなりました」と苦笑する。

塩がスーパーから軒並み消える

処理水放出翌日の25日には、社内の会議で塩の確保も議題になったという。塩が汚染されるかもしれないと市民が備蓄に動き、スーパーから軒並み在庫が消えたのだ。

「当社が原材料に使っている塩は特注品で、市場で塩が不足すると特注品の生産が後回しにされるかもしれません。在庫がなくなった場合のことも考えないといけません」

中国の製塩メーカーは次々に、「中国で流通している塩は岩塩と湖塩がほとんどで、海洋汚染の影響を受けない」「岩塩は十分にあるので買いだめ不要」と自制を求めている。

ちなみに松井味噌の会議でも、「海塩から岩塩に切り替えるべきか」が話し合われた。松井社長は「しばらくしたら塩のことなんてみな忘れるだろうから、現状のままで行くことにしました。東日本大震災のときも塩の買い占めが起き、中国人有力者が工場の塩の在庫をよこせと詰めかけたんですよ。事業への影響は半年くらいと思っていますが、それでも1つひとつ大変ですね」とため息をついた。

中国人の日本に対する敵意が「尖閣並み」なら、情報の拡散スピードは「東日本大震災」「コロナ禍初期」並みかそれより速く、混乱を引き起こしている。塩の買いだめもSNSの呼びかけで加速した。

汚染物質が肌から吸収されるリスクがあるとSNSで情報が流れると日本製化粧品の返品も相次ぎ、25日は中国のSNSで日本の東北地方で発生した地震がトレンド1位となり、処理水放出と結び付けられた。ちなみに同日夜に東北で起きた地震は最大震度1で、日本ではまったく話題になっていない。

この数日、多くの自治体が「個人でできる汚染防止指南」を発表している。

福建省泉州市のガイドラインには「泳いだり海に潜る時間をなるだけ短くしよう」「野菜や果物、穀物の摂取量を増やすなど、口に入れるものを多様化して汚染リスクを下げよう」「雨に濡れないように注意し、汚染エリアの天気予報や風向きをチェックしよう」と、科学的根拠が疑わしい文言が並ぶ。

ガイドラインは最後に「理性的、科学的な態度を保ち、根拠のない噂や情報を避けるように」とも呼びかけている。

国民の不満をそらそうとしている?

「根拠を」と言いながら、煽情的な呼びかけが官によってなされ、SNSで拡散される。中国で会社を経営する日本人男性(50代)は、「不動産市況が悪く、失業率も高い。中国の経済がガタガタなので、中国政府は日本という仮想敵をつくることで国民の不満をそらそうとしているのでは」と推察した。

(浦上 早苗 : 経済ジャーナリスト)