人気俳優のジョニー・デップが元妻で俳優のアンバー・ハードを名誉棄損で訴えた裁判を追ったドキュメンタリーシリーズ「デップvsハード」がNetflixで全世界配信され、再び注目が集まっている(画像:Netflix)

Netflix、Amazon プライム・ビデオ、Huluなど、気づけば世の中にあふれているネット動画配信サービス。時流に乗って利用してみたいけれど、「何を見たらいいかわからない」「配信のオリジナル番組は本当に面白いの?」という読者も多いのではないでしょうか。本記事ではそんな迷える読者のために、テレビ業界に詳しい長谷川朋子氏が「今見るべきネット動画」とその魅力を解説します。

全米で最も大きなネットニュース

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」を代表作に持つ世界的な人気俳優のジョニー・デップが元妻で俳優のアンバー・ハードを名誉棄損で訴えた裁判はなぜ、全米で最も大きなネットニュースになったのでしょうか。8月16日からNetflixに追加されたドキュメンタリーシリーズ「デップvsハード」は今どきの映像編集スタイルで、その様子をできるだけ公平に映し出しています。配信された各国でNetflix公式「今日のTV番組TOP10」の1位を獲得するほどの勢いもあります。ただし、肝心の答えについては期待しすぎてはいけません。

題材はまぎれもなく俗の極みと言えるものですが、有名人のゴシップという単純な話題性以外にも作品化された意味は十分にありそうです。というのも、1995年のO・J・シンプソン事件の裁判が全米のテレビで逐一生中継されてインパクトを与えたと言われているように、今回のケースも世間を騒がせた要因の1つにメディアの存在があったからです。

アメリカでは法廷内での撮影、録音が許されていますから、今回も公式でカメラが入ることがバージニア州フェアファックス裁判所の担当裁判官によって許可され、ライブ配信された合計時間は約200時間に上ったそうです。2022年春の当時、6週間にわたって行われたデップとハードの生々しい争いがお祭り騒ぎのようにネット上にあふれ、それによって社会問題化した話としても興味関心を引き出している作品なのです。


2022年春に行われたデップ対ハードの裁判の様子は約200時間にわたってライブ配信された。TikiTokを中心にお祭り騒ぎが起こり、アメリカ最大のネットニュースになったという(画像:Netflix)

“TikiTok裁判”と揶揄されたほど、切り取られた動画が爆発的に拡散されたことが作品内で伝えられています。それがどれほどのものだったのかを端的に伝えた発言として「イーロン・マスクを抜き1位、ジョー・バイデンの4倍以上、中絶問題の5倍以上、ウクライナ戦争の6倍以上の規模で、全米で最も大きなネットニュースとなった」ということも紹介しています。全体的にこのメディアの影響力についてあおり気味に取り上げているように見えなくもないですが、日本でも芸能人の不倫案件などが話題を独占することがありますから、決して大げさな表現ではないのかもしれません。

名誉棄損訴訟額は約145億円

「デップvsハード」は3部構成で本命テーマである「ネットの狂騒」を取り上げつつ、大半の部分はデップとハードがどう証言したのかと、最終的な判決に至るまでの過程を追っています。実際には裁判でそれぞれ約2週間ずつ証言されましたが、作品では証言内容が同時に紹介された編集によって、2人の証言が大きく食い違っていたことがよりわかるものになっています。

そもそも今回、2018年にハードがアメリカのワシントン・ポスト紙でDV被害者代表として語ったことから、デップは「キャリアを潰された」としてハードに対して損害賠償を請求したものの、ハードが反訴したことから、訴訟事件として扱われたというわけです。それぞれの請求額を日本円に換算すると、デップは約72億円(5000万ドル)、ハードは約145億円(1億ドル)ですから、一般庶民の感覚からすると名誉棄損を巡るこのケタ違いの話は、娯楽映画のように思えてしまいます。

そんな野次馬心理をくみ取ってか、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズをはじめ、2人の出会いのきっかけとなった映画「ラム・ダイアリー」(2011年)のワンシーンまで作品では映し出しています。さらに、泥沼離婚以前に23歳差の2人が恋に落ちたラブロマンスから、デップの薬物依存の要因となった幼少期の話までもが映画の台詞かのように本人たちから裁判で語られたことも扱っています。もれなくデップのかつて恋人だったウィノナ・ライダーとの話にも触れ、ケイト・モスが証人として登場までします。

エンターテインメント化に傾倒した編集スタイルゆえに、オーストラリアや飛行機でのDV案件などの真相に向き合わず、単なる痴話喧嘩のようにも見えてきます。「いったい、どっちがウソをついているのか」と、ミステリー映画のように考察を楽しませることを狙っているようでもあるのです。

それはやはり、製作側の意図的なものであると言えます。弁護士によるポッドキャスト番組「Love & Order」から「残念ながら、裁判は真実を暴くものではない。裁判官や陪審員は、提示された情報に基づいて信じるしかないからだ。どんな証人を呼ぶか、どの順番で証拠を出して話を組み立て、何を隠して何を見せるかが大事になるから、裁判は演劇化する」という独断の見解をわざわざ切り取っていることから裏付けることができます。

Netflix世界ランキング1位記録

Netflix公式の視聴数ランキングはまもなく発表されるところですが、即日結果を出しているオンラインコンテンツサービス順位集計サイト「Flix Patrol」によると、8月16日の全世界配信日から1週間の集計でNetflixのTV番組の中で世界ランキング1位を記録していることがわかっています。日本でもこれまで2回、Netflix公式の「今日のTOP10」入りし、海外と比べると反応は薄いものの、海外ドキュメンタリー作品がランキングに入ることは珍しく、ジョニー・デップの知名度の高さを感じます。

もちろん、人気と作品の質は必ずしも比例しません。「デップvsハード」の場合も例外ではありません。デップとハードのどちらのファンでもないかぎり、2人を公平に扱おうと努めていると感じるはずで、その点は監督のエマ・クーパーの手腕によるものでしょう。それがかえって熱狂的なデップファンやミソジニストから反感を買っていますが、作り手の潜在的なバイアスがドキュメンタリー作品に表れることはよくあることです。


作品では編集によってデップとハードの証言内容が同時に紹介されたため、2人の証言が大きく食い違っていたことがよりわかる。どちらがウソをついているのか……考察したくなる内容だ(画像:Netflix)

それよりも、題材に対するオリジナル取材がほぼなく、解説は当時ネット上であふれた映像を差し込むだけ、作品としての見解が最後に一言あるのみであることが気になります。アメリカでなぜ最も大きなネットニュースとなったのかを検証しきれていません。ユーザー目線を生かしきれず、投げっぱなしなのです。コタツ記事にしてはライブ感あるレポートという印象だけが残ります。

クーパー監督は過去にオーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞でノミネートされた実績があるだけに、製作手法に対して厳しく見られるのは当然です。「デップvsハード」はイギリスの公共テレビ局で今年の春に放送された後、Netflixで世界配信されたものでもあり、本来は評価されるべきドキュメンタリー作品がたどる理想の流通経路であることからも勿体なく思います。

真面目に議論できる要素を持たせているだけで、思わせぶりに終わる衝撃が、話題性に頼って議論を発展させる力が足りない作品であることを証明しています。


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(長谷川 朋子 : コラムニスト)